僕の好きな季節/冬/みかん

季節、四季について考えることはすごく楽しい。勿論、あまり好きではない季節もある。それでも、良い所はたくさんあって、それについて思いを馳せたり追憶に浸ったりするだけで、人生ってなかなか悪い物じゃないな、という気持ちになることができる。人類全ての者に許されたささやかな楽しみだ。しかし、季節の折々について考えることは、ひどく自己愛的な、ひどく自己陶酔的な営為なのかもしれないと不安にもなってしまう。特に追憶はそうだ。過去の記憶を自分で慰めて、気に入らない細部は無意識に足で踏み付けて、綺麗なものとして肯定してしまう追憶は人を酔わせる。スタジオの人達は自意識に敏感な人が多いから、分かってくれるかもしれない。こうなってくると、ノスタルジーと自己愛について長々と書き連ねていきたくなってしまうので、ここらで打ち止め。追憶の毒についてはひとまず置いておくとして、楽しい話をしたい。

春が四季の中で一番好きじゃない。なにより花粉症がとてもつらい。大量のティッシュを鼻水で濡らすことで、僕の身体にはこんなにも水分が溢れているのかと人間の神秘に触れること以外には悪いところしかない。何より不格好だ。鼻をかむ行為はとても恥ずかしい。それもこれも生い茂る草木のせいなのだが、僕はこの大いなる自然についても一家言ある。春の生命力、雪が解けて植物が萌え盛る。溢れんばかりの萌芽を目の前にして、僕はやっぱりクラクラしてしまう。夥しさ、轟々としている滝、強引に引っ張られるような、そんなイメージだ。むせかえるような生き物の呼吸の嵐に思わず怯えてしまうし、いかにも紙やすりで丸くしたような生の温かさに息切れする。こんな風に書くと、ただレトリックをこねくり回してしまっているように見えるが、そんなことはない。僕は思わず春の生命力におののいてしまう。しかし、何も全てが最悪な訳ではない。過剰な温かさだって、本当はとても嬉しい。何より春は風が気持ちいいし、草木が風に吹かれて揺れているだけでずっと見ていられる。風が吹けば肌寒いけれど、温かい陽だまりにいれば落ち着くし、安心する。木漏れ日だってずっと見ていられる。もしかしたら矛盾している思うかもしれない。でも、これが僕の正直な感想だ。そもそもこの世界は矛盾だらけで、整合性のついた感覚なんてないと僕は思う。

次に夏。夏は僕の中でもあまり好きになれない季節だったのだけれど、今年は違った。今年は何故か夏が大好きになった。夏は汚さと綺麗さが一緒にあるような、ウディ・アレンの映画のような、そんな逆説を内包している。とても綺麗なものと、とても汚いものを求めるのは実は似ているなんじゃないかと僕は思う。夏も同じだ。だから夏はどの季節よりもリアルだし、親しみ深い。お祭りのような昼、地面の上を這うように充満するねじれた熱気、辺り一面から聞こえる蝉の鳴き声、粘り気のあるような湿気、そんな昼から一転して、夜はとても静かだ。夏の夜に寝間着姿で外に飛び出すと、追憶に思わずむせてしまう。夏の夜の匂いは遠い過去のフィルムをカラカラと回しだす。モノクロな追憶に溢れた夏の夜について、きっとだれしもが悲しい記憶を持っているに違いないだろう。しかし、この厳しい、いや正直な静けさが僕は好きだ。とても落ち着く。濡れた雑草に潜む鈴虫の鳴き声や、風船のように拡大を続ける湿った空気。何故だかは分からないけれど、僕はこんな夏が大好きになった。

次は秋。今の季節は秋に分類されると思うけれど、はっきり言って秋は最高で今は最高だ。今はもう違うけれど、10月の初め辺りは金木犀の匂いが香ってきて、秋の訪れを感じることができる。季節が終わって、次の季節がやってくる予感を感じられるというのは大変な幸せなことだ。金木犀の素敵な香りのお陰で秋が最も季節の訪れを痛烈に感じさせる季節だ。季節の訪れを感じることは、すなわち時間の流れについて意識することと同じで、生きるということと密接に繋がっている。時間を意識しないでは多分人間は生きてはいけない。それについてはハイデガーを参照してほしいけれど、ここでは割愛する。というか、ハイデガーについて僕は全く知らない。何となくだ。話は変わって、秋の乾燥した空気が僕は好きだ。干からびた無機質さを僕は大いに歓迎したい。そして何より秋の横国が好きだ。落ち葉が地面に敷き詰められていて、歩くたびにくしゃくしゃと音を立てる。教育7号館裏の喫煙所まで行く道、教育8号館近くの階段からではなくて、雑草が無造作に生えている裏からの階段からのぼっていき、落ち葉や枝の音を噛みしめながら喫煙所のベンチに座る。そこは太陽の光が枝の隙間から丁度そそがれている場所で、温かく乾いた陽だまりを作っている。そこで吸う煙草をとても美味しいし、とても落ち着く。ヤニが口に纏わりつく不快感だって気にならない。乾いた空気と合っていると思う。そんな秋が僕は大好きだ。

そして最後に冬。はっきり言って季節の中で冬が一番好きで、早くやってきてくれないかと待ち遠しく思う。冬の温かさが何より好きだ。朝起きると寒さに耐えられなくて、布団に長い時間くるまっている。布団の中はとても温かくて、ずっとここにいたいと感じる。1番寒い冬は1番温かさを感じられる季節だ。村上春樹の短編にカンガルー日和という話があるけれど、その中でカンガルーのお腹についてポケットを慈しむシーンがある。それに近い。朝の布団の中は、母カンガルーの温かいポケットの中と同じ空間が構築されているに違いない。マザコンなのかと思われるかもしれないが、そこはできるだけ否定したい。とにかく温かさが大事だ。僕は温かい場所にいたい。温かいベッドで温かいコーヒーを飲みながら、好きな小説を読んでいたい。僕が読みたいのはブローティガンの小説。彼の小説はおかしみと幻想に溢れていて、ベッドで微睡ながら読むのに丁度いい。ブローティガンの想像力と溶け合って眠りに落ちたい。夢心地の中でずっと微かな息をしていたい。自室のささやかな楽しみをするには冬がピッタリなのだ。

以上で僕の枕草子は終わりになるが、冒頭にも書いたようにひどくナルシスティックになってしまった。そこはどうか許して欲しい。

 

総括

一つ目の文章はレイモンド・カーヴァーという作家をかなり意識して書いた結果、何の密度もないものになってしまいました。背伸びした文章を書くね、と言われてそうなんだよなーと恥ずかしくなりました。書きたかったことを一言で言えば現象の不条理さ、みたいな感じです。出来る限り無機質に書きたかったのですが、それでも血が通っていなければならず、人物や事物の運動について掘り下げればよかったと感じています。そもそも2000字相応なものを書けばよかったです。

二つ目の文章は好きな季節について書いたのですが、後から読んでみて気持ち悪い消したい消したいという思いに駆られてしまいました。あまりにナルシスティックすぎてエッセイ書くのって超難しいなとすごい思いました。面白いエッセイってひたすら筆者の考えを開陳するものではなくて、現実の現象や運動について主に書かれているのかなと実感しました。これは小説や映画についても言えると思います。

全体の総括としては、特に不満もなく終えることができてよかったです。次回もこんな風につつがなくやれたら良いです。

当然のように/台風/みかん

 

テレビをつけながら、朝ごはんを食べていた。そろそろ選挙が近く、候補者の演説が映し出されている。原発問題や少子高齢化など、問題とされているらしいことをつらつらと話している。それが終わると、女性のニュースキャスターが台風のために事前投票をするよう呼び掛けていた。そうか、確か来週は台風が直撃するんだっけ。投票率の低下が叫ばれている中、自然現象によって阻まれるのは不幸なことだ。かと言って政治についての関心は一切なかった。選挙も行く気はない。支持している政党は無いし、政治についてどういった動きがあるのかも分からない。分かるのは、なにか色々とあるらしい、ということだけだ。そもそもないのかもしれないが、別に何でもいい。僕の世界にその世界は一切関与していない。無知な僕が首をつっこんでもあちらの世界に迷惑なだけだ。

朝ごはんを食べ終わり、リモコンでテレビを消した。スーツに着替える前に、ベランダに行って煙草に火をつける。台風で投票率が下がるのはどうでもいいとしても、美咲に会えないのは残念だ。

仕事を終えて、加奈子の家に足を運んだ。夕食の準備はされていて、既に食べていたことは言えなかった。

「来週は台風らしいじゃない」

「らしいね」

無理矢理ご飯を口に運ぶ。

「仕事がちょうど忙しい時期なのに、更に台風だなんてついてないわね」

「そうだね」

加奈子は既に食べ終わっていて、リモコンでテレビのチャンネルを変えている。僕はお腹がいっぱいになりながらもご飯を食べ続ける。加奈子の作る食事は比較的美味しい。しかし、いつでも美味しく感じるわけではない。当たり前の話だ。

「それじゃあ、来週会うのはやっぱり厳しそうね。折角私は少し暇になったところなのに」

「しょうがないよ。全部が全部上手くいく訳じゃないんだ」

「確かにそうね」

加奈子はこっちを見ずにそう言って風呂場に向かった。僕はまだ夕食を食べ続けている。

寝る準備を終えて、一緒に布団に入ると僕たちは事を始めようとする。ずっとしていなかったからか、加奈子の息はとても荒かった。

僕はすぐに射精した。

加奈子と僕はそろそろ結婚する。付き合って一年も経ってないが、僕たちはいずれ結婚するんだろうなとお互いに思っていたのか、特別な出来事もなく、すんなりプロポーズをして、すんなり結婚の約束をしたのだ。互いの両親には報告していて、了承も得ている。僕の両親は加奈子のことをとても歓迎していて、新しく娘が出来たみたいだと騒いでいた。結婚するといっても正直実感が湧かない。結婚すると僕たちの関係性に綻びが出来るとは思わないが、しかしもっと別の、より温かいものになるとも思えない。彼女のことは確かに愛している。僕たちはずっとこの先も一緒にいるのだろうなと確信している。しかし、何だろうか。はっきり言って、何も分からないのだ。

予報通り、台風は直撃した。朝、窓に吹き当たる暴風の音で目を覚ました。外を見ると、風と雨だらけだった。今日は美咲に会う日だというのに。しかしこれは些細なことで、特に気にも留めていない。周りの世界について、現象について、僕たちは文句を言わずに受け入れなくてはならない。

仕事を終えて十時になっても雨風は止まなかった。しかし、僕は気にしないで美咲を待ち合わせしているホテルに向かった。

美咲はバーで偶然知り合った。彼女は一人で飲んでいて、僕も一人だった。何の気もなく話しかけてみたらと、美咲は愛想のってきれくれた。話はとても弾んだ。すぐに距離は縮まった。そしてなにより、彼女はとても美人だった。それから僕と美咲の関係は続いている。加奈子にプロポーズしてからもずっと。

僕たちはすぐに事にとりかかる。美咲はセックスがとても上手だ。

僕はすぐに射精した。

事を終えると、二人で煙草を吸った。

「あなたとのセックスってつまらないわ」

「どうして」

「感じているのが顔に出ないから」

「そうかな」

「そうよ」

美咲は既に三本目の煙草に火をつけようとしている。

「セックスはつまらないけど、あなたは私のことをどうも思っていないから落ち着くわ。あなたの顔を見ていて安心する」

美咲は煙を吐きながらそう言った。美咲はそう言うが、僕は美咲のことはとても気に入っていた。それは加奈子と同じくらいに。しかし、美咲のことを愛しているというとそれも違う気がした。加奈子は愛している。といっても、これは相対的な気がする。世界の文法に当てはめて、ありきたりを演出している。しかしそれは悪いことではない。演出していること自体に僕はずっと前から自覚している。悪いことではない。

僕は再び彼女の上に乗っかった。考えていることは何もなかった。

僕はまた射精した。

すぐに射精した。

枯れてるからって②/紹介記事/やきさば

はい、ということで「枯れてるからって」第2弾、つまりは第1弾で紹介した漫画「恋は雨上がりのように」のもっと紹介記事を書きたいと思います。

 

前回さらっとあらすじと、最後にこんな枯れてるおじさんが、可愛い女子高生に惚れられるなんて都合がよすぎる、と愚痴をもらしましたが、今回もその方向でいきます。(断っておきますが、決してこの漫画をディスりたいわけではなく、ただ、この漫画を一人でも多くの人に知ってもらいたい一心で書いてます)

ちなみにあきらちゃん、どんなにかわいいかというとこんな感じ。

美しい…めちゃくちゃ美しい…。長い黒髪と透明な白い肌。そしてきれいな大きい目と主張の小さい口。こんな美人な女子高生居る?ほんで、こんな美人な女子高生がおっさんに惚れる?しかもそのためだけに遠いファミレスでバイトする?

そうあきらちゃん、近藤に惚れてからわざわざ、近藤が店長を務める自宅から遠いファミレスでバイトを始めたのです。。けなげやなあ。

 

話を戻して。まず、主人公のあきらちゃん(17歳)が惚れるおっさん、近藤正巳(45歳)の冴えないっぷりを見ていただきましょう。

十円ハゲ…。

大きいくしゃみ…。

同僚からはなんか臭いと言われる始末…。

ほんとうによくいる冴えないおっさんですけど、これは正直辛いですよね。しかし、こんなことあきらちゃんにとってはなんのその。恋するあきらちゃんにかかれば、「ライバルもいない、ラッキー」という話なのです。

「あなたの魅力は わたしだけのもの。」というキャプションが入りますが、まさにすごいですよね。誰もが煙たがるおじさんを好きになることで、この人の魅力を知る人はわたししかいない、と自分を承認することにつながる。それによって壮大な勘違い、すなわち恋が強化されるわけです。

 

しかし、いくらわたしが枯れ専女子いえども、このおじさんのことは好きにならないです。しかもバツイチ子持ち。お子さんと一緒に暮らしてはいませんが、近藤には実は一人息子がいるのです。離婚の理由などは詳細に書かれていませんが、まさに枯れ切ったおじさんという感じ。なのであきらちゃんのことが全く理解できません。なぜ!なぜんだあきら!?

理由はちゃんとあります。さきほど、あきらちゃんは近藤に惚れてか、らわざわざ近藤が店長を務める店舗でバイトを始めたと言いましたが、そのエピソードはちゃんと描かれています。

 

実はあきらちゃん、バイトを始めるまでは陸上部のエースとしてバリバリ活躍していたんですね。部員の皆から期待され、本人も走ることをいきがいとしていた。しかし練習中突然のけがで足を痛めてしまうんです。

生きがいをなくし、あきらは人との関係を避けるようにふさぎ込んでしまいます。そんな中、路頭に迷い、雨宿りとして偶然入ったファミレスに近藤がいたのでした。

ここでのエピソードはとてもいいシーンなので漫画を買ってぜひ自分の眼で確かめてみてください。

 

さて、なんだかんだ近藤のことディスってきましたが、彼のおじさんとしての年の功が功を奏す時もあります。けがをきっかけに陸上部を遠のき、部員の皆ともなんとなく疎遠になっていたあきらを優しく諭すのです。

ますます好きになるあきら。まあね、17歳のまだひよっこの、本当の恋愛を知らない女の子がね、人生の重みを背負ったような(あきらちゃんは近藤がバツイチ子供ありであることを認識済み)おじさんに、自身の悩みを優しく諭してもらったらそら好きになりますよね。わかるわかる、わかりますよ、だってわたしも枯れ専女子だもの。

 

しかし!!!!!!!!!!!!これは許せない!!!!!!!

キスシーン!!!!!!!まさかあるとは!!!!!!おじさん×女子高生漫画に登場するとは!!!!!わたしはこのシーンを見た時度肝を抜かれ、おうちで1人ひっくり返りました。これは、なんだかんだであきらちゃんと近藤がメル友になり、なんだかんだでデートすることになり、一生懸命おしゃれしてきたあきらちゃんが別れ際に勇気を振り絞ってキスしちゃったということなんです。

 

ってなんだそれー!!都合よすぎるわ!!!おっさんが女子高生にキスされるわけないやろー!!!スピリッツ読者のおっさんらがただただ楽しむだけやろ!!!てかここ、スピリッツ読者のおっさんのためだけのシーンやろ!!!

 

けれどもけれども、私はこの漫画を読み続けます。最近でた9巻もしっかり読んでます。こんなに都合のいいのにわたしを惹きつけるものは何か。それは、こんな展開のずるい部分をうまくカバーする、あきらちゃんのピュアッピュアな恋心とそれに比例して起こるムズキュン要素なのです。

たまたま店長が、あきらちゃんの足のお見舞いに来てくれたときのあきらちゃんの反応。普段不愛想で感情を表に出さないあきらちゃんがこんな顔をするなんて反則ですよね。近藤の前ではあきらちゃんはとても可愛らしい顔をします。それに読者はやられてしまいます。わたしもやられてしまいます。

 

最後にあきらちゃん告白4連発。

 

どんだけ告白すんねんって感じですが、ここまで言わないと近藤には届かないんですね。鈍いおっさんなのです。果たしてこの思いは近藤に届く日は来るのでしょうか!?(実はもうきつつあります)二人の恋の行方は!?

 

気になる方はぜひ、マンガを買ってくださいね。しかもこの作品、アニメ化も実写映画化も決まっています。しかもキャストは小松菜奈と大泉洋。豪華!今本当にノリにノってます。近いうちにブームが起こるはずです。周りの皆が注目する前に、いち早く読んでおくのをおすすめします。あきらちゃんの恋に奮闘する姿を見て、ぜひわたしといっしょにキュンキュンしましょう。(おっさんにはしない)

バックラッシュ!/フィードバック/rascal

今回2班で集まって「バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれるのか」の内容について話し合ったときに自分がいかにジェンダーに関する用語に関して無知なのかを痛感した。とりあえず簡単に調べておいたものを今後必要になるかもしれないとき用にここにメモしておく。

・ジェンダー
生殖学的性別である「セックス」に対置される社会的・文化的・心理的な性別のこと。

・ジェンダーフリー
個人が固定的な性役割分担や「男らしさ」「女らしさ」の規範から自由に生きることができる社会を目指す立場。後に出てくるジェンダーレスと混同されがち。

・ジェンダーレス
昨今はジェンダーレス男子なんてものが流行ってレディースものの服を着る可愛い男の子が頭に思い浮かぶが、ジェンダー問題においては性別(もちろんジェンダーのこと)を否定し、消去していく立場。

・バックラッシュ
もとの意味は「逆流」「反動」。一般には、あるムーブメントや特定の傾向に対する反抗的な流れの台頭を指す言葉。

あともう一個調べようとしたのに忘れてしまった。ジェンダー〇〇。気になっていたのにすぐに調べなかったのが悪いということだ。ジェンダーを考えるにしろ考えないにしろ大前提としての「セックス」があるわけで、そういうことも考えていかないと大変ですよというニュアンスの言葉なのだが。イメージ的にはジェンダーフリー(ジェンダーレス)派とバックラッシュ派の中間みたいな感じだ。

題名にあるようになぜジェンダーフリーはバックラッシュから攻撃されているのかというのが2班でも論点になった。ジェンダーフリーが先天的性差を無視してまで押し進めるべきではないという意見。男性が多かれ少なかれ女性を軽視しているという意見。どちらかというと後者の論が展開されていったのだが妙にピンと来ない。なぜか。未だに男性っていうのをよくわかってないからである(多分)。

小学生女子あるある「ほんとにもー男子って馬鹿!!」をこじらせた私はこれまたあるある「中学は絶対女子校がいい」と主張しまくり、親の反対を押しのけなんとか中高一貫女子校に進学。学費の面でも外見・中身においても庶民的だった我が母校は生徒が男子化することで思春期に同世代の男子と関われないもやもやを押さえつけた。そして中高一貫女子校あるある「女子大行ったら10年間女子校じゃんww社会出れない共学行かなきゃ」を周りのみんなと貫き横国に入学。男子とお話とか女子校出身で無理ーとかいう前にまず私に近づく男子なんて存在しないし私も女子といるの楽だし…というわけで男性ってよくわからない。

それなのに私より異性のこと理解してそうな先輩方すら「へえ〜」みたいな反応なんだから性別違う時点でお互い理解できないと思う。そう言っては元も子もないが。男性と女性では物事の考え方というか物事に対する視点が違うのではないか。男女平等は本当に大事なのだが平等とは何もかもが一緒ということではなくて選択肢が同じだけ用意されているということではないかと思う。女性専用車やレディースデイについてもいろいろ出たが、それはいちばん大事な部分ではないと思う。女性が周りの男性と同じ立場に立ちたいと思ったときに同じ立場になれる可能性が男性と同じだけあればいい。それだったら別に女性専用車なんていらないしメンズデイもつくっていいのでは?と思うのだ。女性が、というより私が求めているのは女性に優しい世界ではない。性差が受け入れられる社会だ。まあツイッターに「男性が月経を勘違いしてる」なんてツイートが流れてくる限りは無理なのだろうが。

渦/台風/みくじ

 

 

布団の中でぼんやりと目を擦ると、右目の目尻に異様なざらつきがあった。少しびっくりしたが、起き抜けの頭ではどうにも大したことでは無いように思えた。手探りでつかんだコードを引っ張って薄目でホーム画面の時計を確認すれば、外の暗さに反して遅い朝だったが休日なので起きることもないだろう。

そうして体を横に向けて目をつむったり薄目を開けたりを繰り返すうちに、半開きの右目からぽたりと温かい液体が流れ落ちた。目が乾いていたり疲れていたりするとたまにこうなるのだが、今日のはそれにしても止まらない。

まだ体を起こすのもひんやりとした床を踏むのもまっぴらごめんだったのだが、枕が湿ってうっとうしいので、なんとか姿見の前まで這いずると、重たい瞼を持ち上げて目を開いた。目が黒い。目と言っても瞳が黒いのは通常のことだが、そうではなく、白目の部分がぼんやりと黒っぽく見えたのだ。ぼんやりというのは僕がかなりの近眼だからであって、さらに近寄ってみるとこれはまつ毛が束になって三本も入っていた。さすがにこれでは二度寝もできない。

電気をつけてひとさし指の腹で眼球をすくうとひじきが乗った。たかがまつげも三本が束になっていればいまだかつて感じたことのないような違和感があるのも当たり前だ。眼球へのやさしさを一切感じさせないタッチをしたことで、二度寝も億劫なほどに目が覚めてしまった。

目が覚めたとは言ってもこれといって家事をしようとも思えないので、電気を消して布団に入るとなんだか考え事をしてしまうような気分だ。

 

外は台風が来ている。ざあざあと長らく雨を降らし、風も吹かせていたが、あのあなぐらのように風の音がごうごうと地面までゆらすということもなく、家の中は静かなものだった。窓の向こうで風に吹かれてあばれる木々を見てふと、あの化け物はこんな風だったと思った。

台風というのは、なんでも南の海の上でできるらしい。温まった海水は蒸発して昇っては冷たい空に突き落とされ、繰り返すうちに渦を巻いて大きくなる。人の名前を付けられるが人の手にはどうしようもできず、ただその勢いが果てるまで渦を巻き続けるだけのただの気象現象。条件がそろってしまえば勝手に渦巻いてしまう、ただの現象だったのだ。

 

「今までにあったやつとそう変わらないじゃないか」

「いっそのこと、化け物をやっつけてしまえばよかったんだ」

僕が大仰に語ったことは、誰の目にも甚だ期待外れだったらしい。まさか期待されていたなんて思いもしなかったが、ここまで平坦な反応をされるとも思っていなかったのだ。思っていなかった。思い違っていた。勘違いしていたのだ。

それまで僕は僕なりに、かつてそれなりの時間を過ごしたあの化け物について語ることは、何かのためになると思っていた。何かというのは判然としないが、例えばこれから化け物にあってしまう人や、今までにあった人、さらに言えば自分が助かるような気がしていたのだ。そうして誰のためにもならず、自分のためにもならないということを知るためだけの徒労が終わった。

 

ところで、僕は事が起こってからそこに感情が追いつくまでに、人よりも長い時間がかかるらしい。具体的に言えば、その当時は自分に非があるのか飲み込んだことが、二晩寝て改めて振り返ったとき相手を徹底して批判してやろうという気になってしまうのだ。そうしてあの徒労を終えて数日後にやってきた台風は、今更とくに役にも立たない閃きと、遅れてきた不満への追い風を与えてくれる。

よく考えれば、化け物に向けた全ては渦巻く風に巻き上げられるビニール袋のように無力だった。無意味だった。何を変えることもできなかった。そのことを僕は、あのありふれた、つまらない言葉の羅列に詰め込んでたはずだ。化け物をやっつけてしまえなんて言ったやつはそのありふれたことすら分かっていない。つまらないから分かられなかった点は僕に非があるにしたって、例えば誰でも知っている暴風雨を伴う発達した熱帯低気圧をつまらなく説明した人に、じゃあ爆撃機でそれに突っ込んでみてはどうかなんて言うようなものだ。

いつも僕らのすぐそばに隠れているあの化け物のことは、しかし実際にあった人しか知らない。知ろうともされていないのだ。僕はそれを知らしめたかったのだろうが、誰も知りたくもないことを知らしめようとしたことは結局のところ、やっぱり徒労にすぎないのだ。

 

足音がする。擦れるような、それでいて叩きつけるような音だ。タオルケットを頭までかぶり息を殺すと、じんわりと埃がしみ込んでくるような感じがして鼻がむず痒い。くしゃみなんてしたら気づかれてしまう。鼻がぺらぺらになるくらい強く摘んで、音を立てずにゆっくりと口から息を吐く。

今日こそは完璧だ。食事の痕跡だってきっちりしたし、子どものにおいがしないよう換気したし、髪の毛の一本だって残していない。こうやって死体か人形のふりをして、気づかれなければ。大丈夫。きっと大丈夫だ。死体は息をしないし、人形に鼻腔はない。

何とかむず痒さをやり過ごして耳を澄ましていると、足音が物音に変わった。パタ、冷蔵庫を開く音。駄目だ。こぷり、ワインを注ぐ音。足音。ソファのきしむ音。ああ、もう駄目だ。テーブルとリモコンの擦れる音。テレビのうそ笑いに交じって、太く汚れた喉笛の鳴る音がする。

今日もまた眠れない。これは笑い声がうるさいからではない、壁の向こうにいるからだ。

しばらくしたら、どうせあの真っ赤に血走ったぎょろ目で、本当に死んでいるか確認しに来る。そして死んでいるとわかったら、今度は黒と紫でまだらに染まる口で臭い息を吐きかけて、媚びる様に擦りつき、かと思えば地を這うように唸り、吠え立てて暴れる。それが終わる頃には、この国の北の端ではもう朝日が昇っているのかもしれない。

それだって死んだふりがばれてしまうよりずっと良い。食事の跡やにおいや髪の毛を見つけられた日には、まず何回も殺されるところから始まる。子どものにおいに敏感だから、咳を漏らしたり汗をかいたらすぐにばれてしまう。だからって身を固くしすぎてもいけない。ぐにゃりと力を抜ききって、触られてもただの肉として振る舞う。光なんて眼に入らないし、吐きかけられた息の温度もにおいだって感じない。

こんな暮らしを何年もやっているはずなのに、死体のふりはたいして上手じゃない。何もできないから死んだことにしたのに、それだって満足に出来やしない。

 

起きたらまた枕が濡れていた。目尻には結晶のように固いやにがたまっている。雨の日の薄暗い微妙な明るさは変わっていなくて、ふて寝に失敗したと分かった。夢で見た血のような液体は、コップに入れてから半日ほど放置されている。合法的に飲める年になっても、これだけは避け(・・)ていた。酒だけに。

 

今のは忘よう。何でもない。僕は何も言ってない。

大人になって1年と数日がすぎて、よくわからない祝いの言葉と一緒にもらって、1口でリタイアした。においでイメージした通りに舌にも喉にも引っかかる苦みで、やっぱり人間の口には合わないものだと分かった。唇も目も赤くして、臭い息を吐くのはあの化け物だけで結構だ。

コップはこのままだと色が残ったりするかもしれないのでとりあえず片付けるとして、一度抜いたコルクがはめられなくて代わりに丸めたティッシュを詰めた瓶はどうしようか。せっかくもらったものを捨てるのは忍びない。ジュースに混ぜて少しずつ減らそう。よく考えると僕は砂糖味の飲み物はあまり飲み慣れないから、それだって本当に少ししか飲めない。

横たわったまま考えだけが先走るが、どうせ今はコップを洗ったりジュースを買いに行く気にはならない。もっとハードルを下げよう。

まず顔を洗う。涙に含まれるたんぱく質か何かの感触がいつまでも顔にあるから気持ちよく眠れないのだろう。そのついでにあの嫌なにおいの液体をシンクに流してしまおう。

 

じっとりした床は冷たく、ついつま先立ちになる。そうすると足音を立てずにフローリングを歩いて、夢の続きのような気持ちになった。冷たいのにも静かにするにもうんざりしたので、お湯の蛇口を思い切りひねって本当にお湯になるまでを観察した。

湯気が上がって鏡が曇って、少し晴れてまた曇るのを見届けて顔を洗う。化け物の目を盗んでひそひそと暮らしていたあの頃から考えれば、なんとも贅沢だ。蛇口から好きなだけお湯が出せる。お湯は顔の表面の気持ち悪さをすぐに忘れさせた。

せっかくお湯を出したのだから、茶でも飲むとしよう。蛇口から出たお湯とティーバッグをマグカップに入れ、少し電子レンジで温めるとすぐに紅茶が飲める算段だ。

40度くらいのお湯でも紅茶が少し出るらしく、ティーバッグの角をつたって赤茶の液体が細く落ちていく。お湯に流されながらも紅茶はあくまで紅茶として落下していく。小さい時に見ていたアニメのヒーローが魔法陣の周りに起こしていた風も、こんな風にくっきりとしていて、動きだけは柔らかかった。

落ちていく紅茶をじっと見ていると、足が冷たい床と一体化していた。さすがに紅茶の魔法も解けて、600W1分30秒を選択して布団に帰った。1分間、落下のことばかりが頭を占めていた。

 

 

 

 

【感想】

これまでのスタジオの文章に比べて、かない長い。それがここまでやりづらいものになるとは思わなかった。楽観視しすぎていた。小説ともエッセイともつかないような、やり方で書いているのは以前からだが、もう少しスタンスをはっきりさせないとこの長さで文体などが維持できない。計画性を持ちたい。

今までにないこと(字数が)だったので縛りを緩くしたのは正解だったと思う。それぞれ個性のある文章で長くても読んでいて飽きなかった。ただ、提出や評価などのルールは少人数だと曖昧になりやすかったので、次のグループワークではもう少しスムーズに進めたい。

今回の形式でよかったのは、グループ内でのコミュニケーションがしっかり取れたこと、人数が少ない分全員が運営に参加したことだ。メンバーが固定されることで書いているものについての変化や考えもわかり、グループとしての意識が持てた。

感情を掘り起こそう/自分が今情熱を注いでいること(改訂)/Gioru

皆さんはクラシック音楽を聞きますか?

なんだか堅苦しいイメージがあるジャンルですが果たして堅いだけなのか。

クラシック音楽界には「3大B」と呼ばれる人たちがいる。あ、三大バカでも三大ブスでも三大ブルジョワでもないです。三大仏頂面のように厳めしいわけでもなく、頭文字っぽいところからとってます。

J.S.Bach(バッハ)、Beethoven(ベートーベン)、Brahms(ブラームス)の3人のことを指し、偉大な音楽家として現代にまで名を遺した人たちである。ものすごくざっくりとまとめると、

バッハは音楽の父とも呼ばれ、カツラの人

ベートーベンは交響曲という形式に変革をもたらした、カツラじゃない人。

ではブラームスはどうなのか、と言われると何ともパッとしない。バッハとベートーベンを知っている人はかなり多いだろうが、ブラームスと聞いてもぱっと来ない人もいるのではないか。今回は、今私がオーケストラで取り組んでいる彼について書いていこう。

とりあえず今残されているビジュアルを見比べるところから始めよう。

これが一般的に知られているブラームスのイメージである。カツラを被っておらず、ひげもじゃのおじさまだ。中々威厳があるしカッコいい。目の部分に注目してみると髭のイメージとは程遠く、どこか潤んでいるようにも見え、そういう面では可愛いと言えるかもしれない。

このイメージはブラームスがだいぶ年を取ってからのものと言われている。ここで見てもらいたいのが次のイメージである。

もの凄く好青年っぽい。アイデンティティのようなお鬚は影も形も存在せず、眼には鋭さがうかがえる。

1833年に生まれ、このイメージは1853年に撮られたものと言われているから20歳のブラームスである。こっちの写真が出回った方が今の観点からすると人気が出そうな気がするが果たして。

一枚目の写真からにじみ出る厳格なイメージからは想像もつかないが、ブラームス本人はとてもシャイであったらしい。自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手で、作った曲の解説を求められても嫌々答えるほど。友人の人妻に恋をし、その友人が自殺してしまいその女性と親しくなっても最後まで一歩踏み出す勇気がなく生涯を独身で貫いている。あのお鬚も周りから見下されないために付けたのでは? と言われるほどである。ブラームス本人も若い頃の写真はあまり使われたくなかったそうだ。

残された曲ではハンガリー舞曲などが有名である。

小学校や中学校で聞いたことがある人も多いのではないか。お鬚にふさわしいカッコいい曲である。

この曲、実は少し面白いエピソードがある。「ハンガリー」舞曲とあるように、ブラームスはジプシー音楽の影響を受け、民族音楽のメロディーを元にこれを”編曲”した。そう”作曲”したのではないのである。

ブラームスがハンガリー舞曲で大成功を収めると、それを妬んだ人が盗作ではないかと訴訟を起こす。しかし、結果はブラームスの勝訴。自分が作ったのではなく、アレンジをしただけ。そういうスタンスのおかげでブラームスは今の地位の一部を築き上げたとも言える。……少しお鬚のイメージから遠ざかってきた。

それでもバッハやベートーベンと比べると知名度では一歩劣る。今私がオーケストラで練習をしている交響曲第2番などクラシックを嗜む人ではないと聞いたことがある人はいないと思われる。

ハッキリ言うと、他の二人と比べてどこが凄いのかよくわからない、という人である。音楽的に説明しようと思えばできるが、逆に言うとそこまでしないと伝わらない。一度聴いたら耳から離れない! みたいな二人の曲(トッカータとフーガ・交響曲第5番「運命」・交響曲第9番「合唱付き」など)みたいなインパクトがない。

まずは聞いてみよう。流すのは交響曲第2番の2楽章冒頭である。

チェロによる穏やかなメロディーが続き、どこかもの憂いのある局長が続く。内なる感情がそのまま燻ぶっているかのように続く。途中から抑えきれなかった感情があふれ出るかのように流れ(動画の19:30辺りから)、それも少ししたら理性で抑え込まれたかのように静かになる。

 

比較対象として、ブラームスと同じ時期に活躍したワーグナーの作品も出してみよう。曲名はワルキューレの騎行である。

比較してみれば一目瞭然かもしれないが、まるっきり曲調が違う。こちらは我こそはと様々な楽器が主張しているイメージか。金管楽器の主張が特に激しく、イケイケどんどんという言葉がふさわしい。

 

どちらの作曲家も後世に残る曲を数多く残した偉大な作曲家であることは間違いない。ただ、ブラームスの場合はヨーロッパ圏の人ではあるが自己主張というよりは曲の中ですら感情を抑え込み、漏れ出てしまった、くらいの気持ちで作曲をしていたのではないか。

音楽史的には無くてはならない大事な人ではあるが、少し調べてみるだけでもこのざまである。厳格なだけではない、そんな一面を曲の中から探していける人物である。深く調べれば、聞いていけばいくほど抑え込まれた感情を見つけ出していくことができるのが彼の曲であり、ブラームスなのだと思う。

 

堅苦しい中からシャイな彼の気持ちを感じられたらほっこりしませんか?

あなたの知らない マシュマロの世界/ふとん

 

 

いま私の心を掴んで離さないものがある。
それは

 

マシュマロ!

 

なぜマシュマロに惹かれるのでしょう?
バニラの香り…ちんまりとした出で立ち…パステルカラー…かわいらしい見た目…ふわふわ触感…むにゅしゅわ食感…あまあまの味…

 

特徴を書き出してみれば女の子の夢そのもののような食べ物。
味自体は甘くてたくさん食べると正直飽きる。それはじゅうぶん分かっているのに、しばらくするとまたあの感触を求めてしまう。
たぶんいくら食べても、不思議な食感すぎて何を食べているかよく分かっていないからまた食べようとしてしまうのではないでしょうか。

ということで今日はマシュマロ特集です!

 

1.こんなにあるの?いろんなマシュマロ

まず私が最近食べたいろいろなマシュマロを紹介します!

〇エイワ ホワイト

まずは定番のいちばん有名なマシュマロです。バーベキューで焼いたことありませんか?パッケージのミントグリーンに懐かしさを感じます。開けた瞬間のバニラの香りがたまりません。そのまま食べると甘みが強め。

 

〇明治屋 ダージリンティーマシュマロ

大好きな明治屋のマシュマロ!カルディで売ってることが多いです。
ダージリンティーのエキスが入っていて食べると深みのあるダージリンの香り!
明治屋のマシュマロは、食感がしゅわしゅわに近くて、口溶けがいいのが特徴です。

〇明治屋 コーヒーマシュマロ

先ほどのシリーズのコーヒー味です。
コーヒー牛乳のような甘ったるさはなく、コーヒーの苦味が程よく感じられて飽きが来ないで食べられます。
しゅわしゅわ食感がもうひとつ…とあとを引いて止まりません。ダージリンよりも甘さが抑えられててお気に入りです!

〇明治屋 期間限定あまおう

こちら冬季限定のあまおうとミルク味です!
ただの苺ではなくあまおうというところが女心をくすぐりますよね?!見つけたとき嬉しくて2袋買ってしまいました。
形もピンクのハートと雪だるまになっていて可愛い!お菓子のデコレーションに使っても良さそうです。

肝心のお味は、苺のほうは少しだけ酸味もあって、ただの苺味よりも確実に深みがあります。あまおうですから。文句なしに美味しいです。
ミルク味は白なので普通のマシュマロと似てるのかな?と思いきや、練乳のような独特の甘みがあってこれもとても美味しいです。

明治屋さんは過去にも様々な期間限定味を出しています!

紫いも×塩キャラメル、パイナップル×ココナッツなど…

めっちゃ気になるけど食べたことないのでだれか見つけたら教えてください。

 

〇コラーゲンマシュマロ グレープフルーツ味

マシュマロを食べながらコラーゲンがとれる!というのが売りのようです。
口に入れると柑橘の爽やかさはあります。しかし、個人的にはグレープフルーツ味がマシュマロにあまり合っていない印象です。鉄分プラスのせいか、少し鉄?ぽい味もしました。残念。

〇無印良品 りんごマシュマロ ゼリー入り

無印さんはやってくれます。りんご味のマシュマロってありそうでなかったですよね!
りんごゼリーはりんごジャムのような味。多めに入っていて贅沢気分。外側の白いマシュマロ部分はかなり甘みが抑えられていて、りんごゼリーと合わさった時にちょうどよくなるように調整されています!
さらに個包装で一粒が大きめです。ちょっとしたときに友達にあげるのもいいですね。
ひとつで大満足できちゃいます!

 

〇無印良品 レモンマシュマロ ゼリー入り

やっぱり無印良品はやってくれてます。レモンとマシュマロ。少女マンガのタイトルにありそうな甘酸っぱさを連想させますね。
先ほどグレープフルーツ味は微妙でしたが、このレモン味はかなり美味しいです。
酸味は予想よりも強いです。マシュマロ部分は甘いような気がしますが後味は酸っぱさが残ります。マシュマロは甘すぎると思っていた方にもおすすめです。他にない味!

 

〇無印良品 かぼちゃマシュマロ

かぼちゃとマシュマロ?!聞いたことのない組み合わせですよね。しかもオレンジ色、小さいかぼちゃの形です!かわいい~。ハロウィンに撒き散らしたい。
ちなみに味のほうは、言われてみないと絶対にかぼちゃ味だとは分からないです。でもおいしいです。

 

〇コストコ ジャイアントロースターズ

夢が叶う時が来ました。なんとこの世には特大マシュマロが存在していました!さすがコストコ。
この存在感。マンガに出てきそう。

手に載せると…

とにかく大きい!!すごい!触りたい!
弾力もすごいです。
そのまま食べてみると、正直外国っぽい甘さであまり美味しくないです。
しかし!グリルで焼いてみると外カリカリ中トロットロでとても美味しく食べられました。表面積が大きいのでカリカリ部分を多めに楽しめます。焼きマシュマロがひとくちで収まらないなんて、楽しすぎませんか?夢が叶いました。

 

2.新発見!マシュマロの美味しい食べ方

マシュマロはそのまま食べる以外にもたくさん楽しみ方があります。

〇焼く

先ほどから何度か出ています。串に刺してグリルで焼く!お皿に乗せてトースターで焼く!バーナーで炙る!どれでもいいです。

〇ムース
鍋で温めた牛乳の中にマシュマロを入れて溶かし、容器に入れて冷やすだけでムースが出来ます!

しかし私が作ってみるとレシピを見なかったせいか上の方しか固まりませんでした…でも固まったところは材料2つとは思えないくらい美味しかったです。

 

〇ヨーグルトに入れる
ヨーグルトに入れて一晩置くだけでマシュマロの新しい食感が現れます!ぷるしゅわな感じですごく美味しいです!マシュマロ自体が甘いので無糖のヨーグルトがおすすめです。

 

〇マシュマロクッキー

オーブンで30分ほど焼くだけでクッキーになっちゃいます。材料ひとつ。サクサクになります。

 

〇冷凍する
またもやマシュマロの新しい顔を発見できます。冷凍庫に入れるだけ!カチカチに凍ったりはしません。噛むとギュッと濃縮されたような食感です。

 

〇温かい飲み物に入れる
ホットコーヒーやココアに入れるとしゅわ~と溶けていくのを見て楽しめます。溶け切ると泡のようになってカプチーノ風のドリンクになります!

 

3.ユーチューバーも大好き!マシュマロ

1mくらいのマシュマロをいろんな食べ方で食べる動画です。楽しそう。
1番おすすめのホットミルク+焼きマシュマロやってみましたが、下半分は牛乳で柔らかく上半分は程よく焦げていい感じでした。
ただ電子レンジでチンすると飴のように固まってしまうそうなので注意しましょう。

 

スモアは焼きマシュマロとチョコレートをクラッカーで挟んで食べるお菓子。この動画では特大サイズの容器でマシュマロとチョコレートを焼いて大量のRITZにつけて食べています!幸せそう…

 

200個のマシュマロをココアに浮かべてみました。それだけなんですが、すごい吸引力で激甘ドリンクをすする様子は観るだけで欲望を満たしてくれます。

 

 

4.話題沸騰!行列のできる生ましゅまろ専門店

テレビでも紹介され一時期行列の出来た亀戸のマシュマロ専門店「ましゅまろ亭」。

ここでしか買えない生ましゅまろは、普通ほとんどのマシュマロで使われている卵白を使わないことで、ふあっふあの食感を実現したそうです。賞味期限は5日ほどとかなり短く、まさに「生」のましゅまろです。

このお店のTwitterを観察していると、なんとアルバイトを募集しているそう。しかも業務内容は「ましゅまろ製造」!
ふあふあのマシュマロを自分で作る!なんて夢があるんだろう。しかも働いたら余ったましゅまろ貰えるのでは?!
通勤に1時間かかる覚悟を一瞬で終え店舗に電話すると、優しそうなおじさんが出ました。

名前や年齢、電話番号を聞かれたあとに通勤手段を聞かれたのですが、

「徒歩ですか?電車ですか?」

「電車です」

「…あ〜……」
「ちなみに…最寄り駅は?」

「横浜です」

「横浜?!アハハハ…ハハハ」

丁寧にお断りされました。本気だったのに…
電車通勤だと遅延の可能性がどうしてもあり、ましゅまろ製造に穴を開ける可能性があるためダメみたいです…
本気だったのに…悲しい。

まだ食べれてないので、誰か千代田区付近に行ったら買ってきてください。お願いします。

 

 

さて、マシュマロ。どうですか?食べたくなりましたか?最近いつもジップロックにいれてマシュマロを持ち歩いてるので、言ってくださればひとつあげますよ。

 

死者は語る/熱中/温帯魚

前々回の「喜劇王は笑う」を手直ししようとしたのだが、いかんせん文章を変えたところで良いものになる気がせず、仕方がないので後編のような形で新たな文章を書くことにした。すなわち、人に何かを伝えるための技巧を凝らした作品の紹介という形になるだろう。

そんなわけで、今回紹介するものは映画ではなくゲームである。とはいえ「ドラゴンクエスト」のような異世界でのスペクタクルでも、「バイオハザード」のような身の毛のよだつようなホラーでもない。言葉にすることは難しい、しかし誰もがその中で何かを見つけようとする体験。それを何とか表現しようとしたものが、このゲームである。

簡潔に言おう。このゲームは、死というものについて語ろうとしたゲームだ。

 

「フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと」は2017年の4月にSteamとPlayStation4で発売されたタイトルである。インタラクティブ・アドベンチャー、あるいはウォーキングシミュレーションゲームと呼ばれるジャンルに分類されるゲームであり、プレイヤーは主人公であるエディス・フィンチという一人の女性となり彼女がかつて住んでいた奇妙な屋敷を探索する。その中でフィンチ家の人々に訪れる奇妙な死の数々を体験していくというゲームだ。

特筆すべきはそのアートデザインだろう。ゲームの進行は訪れた屋敷の探索パートとかつての部屋の持ち主に起こった死に際の追体験のパートに分けることができるが、それぞれが別の魅力を持ちながらプレイヤーを惹きつけてやまない美しさをもつ。

屋敷の内部にはかつて住んでいた住人の痕跡が色濃く残っている。それは本棚から溢れるほど置かれた書物であったり、地下へと降りるための奇妙な鍵であったり、あるいはアートにあふれた別室であったり。あるいは探索の中で時間の進行とともに移り変わる光の濃淡の繊細さが、プレイヤーの先に進みたいという思いともっとじっくり見ていきたいという欲望の葛藤を引き起こす。バラバラで、奇妙ながらどこかか洗練された統一感をもつデザインは特筆に値するだろう。

それぞれの部屋には彼らの死について書かれた文章が置いてある。プレイヤーはそれを手に取ることで、様々な形で彼らの死に際を追体験することになる。それは古いアメリカンコミックの形式や、あるいはRPGゲームのようなデザインが施されたミニゲームのようなものである。一つ一つの彼らが残したものが彼らはどのように死んだのか、あるいはどのように生きたのかを教えてくれる。

かつて、死について語ることはゲームでは不可能だと論じた人がいた。しかしこのゲームはその死というテーマに卓越したデザインと不思議なストーリーで誠実に向き合ったのだ。誰にも訪れるものであり、残されたものが全てを知る機会は永遠に失われる。あるいはその悲しさは、失ったことではなく残ったものこそが輪郭を浮かび上がらせるのだ。しかし、それでも、どうしようもなく人は繋がって前に進むということをこのゲームは優しく歌い上げる。

明日からは/自分が今情熱を注いでいること/奴川

なぜゲームが好きなのか、と問われることがある。大体『えーだってゲーム面白いじゃないですかー』と言って話を切り上げるわけだが、もうちょっと考えてみようと思う。だって、私が情熱を注いでいることがあるとしたら、それくらいしかないのだから。

 

 

ゲームはだるいものだ。無駄に時間を食う。しかも最近のゲームはスマホゲーへの対抗心からかやたらと大作化している傾向にあって、一本あたり100時間とか取られるのもザラだ。アホか、勉強しろ。勉強はさておいても、ゲームを一本やる時間で世界中の素晴らしい小説やら映画やらをたくさん観ることが出来るはずなのだ。多分そうした方がいい。

それでもどうしてゲームを買ってきてしまうのだろう。ポエミーなあれこれを排除して言うなら、ゲームはコスパが良いのである。支払った金額の割にたくさんの時間を潰すことが出来る、それがゲームの良いところである。欠点と美点は表裏一体というわけだ。

 

 

例を挙げてみよう。私は年に5回ほどディズニーシーにインパ(インパ:入園のこと。どのジャンルにおいてもオタクは気持ち悪い造語を作るものだ)する。廃人からしたら『舐めとんのか』と言われそうな頻度だが、チケット代がクソ高すぎるから仕方のない事なのだ。ディズニーシーの開園時間は最大14時間、それに対して大人1名様7400円! 年間パスポートは大体10万円するので無理。さて本題に入ると、7400円でお釣りがくるゲームとしては『キングダムハーツ』がある。最近出た総集編は7344円だ。

そう、7344円なのでほとんどディズニーシーに行くのと同じ価格だ。パッケージにはミッキーも描いてある、ミッキーとの連携技もある。完璧だ。要はディズニー映画の世界で闘うゲームだ。まあこれが時間食い虫であり、実際に私の夏休みを食い散らかした戦犯である。ちゃんとやりこみまで回収してたら200時間くらいかかった。200時間/7344円。このゲームを買えば、ディズニーシーの20倍以上の時間、ディズニーワールドに浸れるということである。

体験の密度とかそんないまいち測定もできない指標は当てにならないので無視しよう。とにかく、ゲームは必要経費の割にたくさんの時間を潰すことが出来る。

 

 

つまり私は暇なのだ。ぶっちゃけゲームをしていなかったらめちゃくちゃ暇である。飲み会に行ったって酒は一杯しか飲めないしそもそも友達は少ないしで、多分やることがなくてずっと寝ていることになる。ゲームを買わなかったらアルバイトする必要すらないし。

話がなんだか悲しい方向に逸れてきたが、要はそういうことである。お金もないし時間もないし友達もいないし、でも面白いことがしたいからゲームをしている。ゲーマーはいつもやたらめったら忙しそうにしているが、そいつからゲームを取り上げたら何も残らないのである。

 

 

そのくせ最近のゲームはやたらとメタいネタをぶっこんでくる傾向にあるから困る。なんかボスキャラと戦っていたら「お前友達いないだろ」とか言われるし。そろそろゲームを卒業したらいかがですかと、ゲームの側から説教されるようになっている。非常にまずい、オアシスが私を殴ってくる。自分がそういう要素ばかり汲み取っているっていうのはそうなんだろうが。そんなことを書いていたらポケモンの新作が届いたので、とりあえず筆を置くことにする。この期に及んでゲームなんてやっている奴は、現実を先送りにするのが得意なのだ。だから私は明日から、アローラ地方に踏み出していく。

「そらもよう」latte

「そらもよう」
利光舜也


横殴りの雨だった。目を開けられない程の風と大粒の水滴。天気予報ではそれほど強くないただの台風だと語られていたはずなのに、そんなものに「彼」の人生は流されてしまった。いや、ただの台風なんて考えていたからあんなことになると思えなかったのかもしれない。あの日、「彼」は台風が元で起こった交通事故に遭って死んだ。「彼」が最後に遭っていたのは紛れもなく僕で、「彼」は僕に会っていた所為で死んだのだ。避けられない偶然はいくつもあった。でも、僕は「彼」の死の元凶に等しい。あの台風の日、僕の所為で「彼」は、死んだ。


「サバイバーズギルド、という言葉はご存知ですか?日向野さん。」
僕はあの日以来、雨や風の強い天候の日に抵抗を感じ、外出することができないでいた。僕の親はそんな精神状態を案じて医者にかかるよう勧めてきた。そしてその医者は僕にこう語ったのだった。
「あなたのご友人の死は全くの偶然であり、あなたにはどうすることもできなかった。辛いでしょうがあなたが罪の意識を抱く必要はないんです。」
「…………。」
「大丈夫ですよ。あなたが前を見て歩くことを誰も責めませんし、みんながそれを望んでいるはずです。」
「……先生。」
「はい。」
「……僕は生存者じゃないです。僕は台風に巻き込まれることなくいつものように家に帰ったんです。そして、「彼」にはそれができなかった。「彼」は、僕が殺してしまった。」


それから何年か経ち、僕は関東の大学に進学した。雨の日でも学校に通えるように、付近のアパートで下宿をはじめ、昔から興味を持っていた建築系の仕事と、人との関わりを持って欲しいという親の勧めの影響で工学研究会というサークルに入ることにした。しかし放課後の活動も雨が降る日には参加する気にはなれなかった。二年生に上がり、活動自体が億劫になり始めていたある日、広い講義室の窓に映る灰色に染まった空から疎らに落ちる線を見て帰り支度を始めた僕に、一人の女性が話しかけてきたのだった。
「今日、サークルには行かないの?日向野君。」
「君は……?」
「あれ?覚えてもらってなかったんだ。奥村悠陽と言います。一応同じ工研サークルなんだけど……。」
オクムラ……。名前は初めて聞いた気がする。しかし顔は確かに見覚えがある。
「それと私、あなたの一つ上だから。」
サークルに行っても自分のことしかしていなかったことの弊害か。サークルにいる人の顔なんて全然記憶してなければ、学年なんて尚更知らない。これでは親がサークル費用を賄ってくれていることの意味がなくなってしまうじゃないか。
「そうなんですね。失礼しました、奥村先輩。今日の活動は休ませてもらいます。天気が悪くなりそうなので……。」
「天気?工研の活動は室内だし、天気は関係ないんじゃない?」
「いえ……雨は苦手なんです。なるべく早く帰らないと……。」
過去の話は誰にもしてない。話して救われるようなものではない。犯した罪は僕が一人で背負うのが正しいのだから。今までそうしてきたしこれからもそうし続ける。
「確かに、あんまり雨が好きって人はいないものね。でも、毎日が晴れっていうのも退屈じゃない?それに雨が上がった後の景色ってすごく綺麗で私は好きかな。」
無粋なことや的外れなことを言われるのは仕方ないだろう。だって彼女はなにも知らないのだから。僕は彼女に不器用に微笑みかける。
「そうですね。でも僕は、やっぱり雨を……好きにはなれません。」
僕はそう言ってどこか寂し気に困惑したような彼女を背に向け帰路につく。彼女は僕を心配してくれていたのだろうか。人付き合いが苦手そうだから?いや、人付き合いはできる。けれど、僕の所為で他人の人生を変えてしまうことを、僕はもう二度と耐えられないだろう。
しかし、そんな僕の思いに反して彼女は再三に僕の元を訪れるのだった。


「気象庁は昨日、関東甲信、中国地方他いくつかの地域で梅雨入りしたと発表しました。今年の雨期は例年に比べ多くの雨が降ると予想されています。同時に気圧の変化も激しく……」
ひどく憂鬱である。普段から薄ら感じる頭痛もこの季節においては容赦がない。
僕を何度も訪れた彼女、奥村悠陽とはあの講義室で初めて出会った日からしばらく後、SNSを通じての連絡を取り合っている。実のところ、彼女との付き合いは悪いものではなかった。僕が雨を嫌う理由を問いただすことはしない。ただ近くで見守られているだけなのに、僕は次第に彼女の嵐とは無縁な太陽のように明るい姿に惹かれていった。けれど、それを僕は良しとできなかった。惹かれてしまっている僕に嫌悪感を抱き、「彼」への罪悪感が積もる。
「(今日も雨か……)」
ここ一週間は毎日雨らしい。気が酷く萎える。僕は大学に行かずに横になることにした。
……携帯が鳴っている。電話だ。室内が闇に包まれようとしている。今は何時だろうか。ぐったりした重い体をのそりと起こし携帯を手に取る。
「着信……奥村先輩。」
急いで洗面所へ向かう。渇いた喉を水でゆすいだ後、着信に応じた。
「はい」
「こんばんは、日向野君」
こんばんはと言われ、はじめて今が夜になっていることを知る。うたたねのつもりがいつしか微睡を通り越していたようだ。
「こんばんは、奥村先輩。今日も工研休んでしまってすみません」
「雨も降ってたし君は今日も来れないかなって思ってたら案の定だったね。」
改めて部屋を見渡し時計で時刻を確認すると短針はちょうど数字の八にいた。
「……なにかあったんですか?」
奥村先輩から電話が来たのは初めてだった。この質問は自然にでてくるものだった。
「……もう今週以降もずっと雨らしいね。それでもやっぱり雨だと外には出たくない?」
成程。どうやら先輩は僕がしばらくサークルに顔を出せないことを懸念しているようだ。好天候でなければ参加しない融通の利かなさは先輩方からしたら迷惑なのかもしれない。
(このサークルも潮時か……。)
辞めるにはいい機会かもしれない。親には申し訳ないが、僕の雨受け皿はもう決壊している。雨の冷たさにはもう耐えられない。この季節にサークルの活動など
、考えていられるほどの強さを持ち合わせてはいない。
「奥村先輩、僕、工研やめますよ」
言葉にした後、俄雨に当てられた体のように冷えていくのを感じた。電話口の向こうで黙っている彼女の姿が脳裏を過りさらに寒気に呑まれた。
「……サークルをやめたら君は幸せになれるの?」
絞り出すように発せられたのはそんな問いだった。僕は無言で返す。
「きっと君は自分がいるほうが迷惑だって、思っているんじゃない?」
「…………」
「雨を言い訳にしていろんなことから逃げているんじゃない?」
「…………」
僕は沈黙を続ける。彼女の言葉に間違いは無く、僕の過去を知らない彼女にどう思われようとも、それは仕方がない。
でも、僕は「彼」の存在から逃げたことはない。逃げてはいけないことなのだから。その言葉は素直に聞けなかった。
「……奥村先輩は、友人を亡くしたことはありますか?」
僕は大人気なく、地雨の言いようもない嫌悪感を含んだ口調で語りはじめた。長く閉ざしていた「彼」の話を。


言葉にしてしまえばほんの短い、物語にもならない話だった。台風の日、旧友を失った。それ以降、僕も「彼」も、物語の続きを持たない。時計の短針は未だに八の上にあるように見える。
「医師からはPTSDだと言われました。高校の頃も、雨の日は人と会うのが怖くて学校に行けませんでした。もちろん、自分が病んでいるのは自覚してますよ。でも、これは正しい病です。これが「彼」を背負って生きているという証なんですから。」
「…………」
電話の向こうからは何も聞こえない。
「やっぱり、サークルは抜けます。どうやら僕の考え方はこれから先も変わらないみたいです。」
人と関わるのが怖い、失うのが怖いから。人と関わることで、「彼」のことを再び見捨てることになるから。しかし、しかし彼女は口を開く。
「それでも、私は君にいなくなってほしくない」
どこかで彼女はそう言うのだろうとわかってはいた。それが彼女の在り方で、僕はその在り方に惹かれていたのだから。しかしその在り方は僕にとっては眩し過ぎるものだった。
「君が「彼」を見捨てたくないのと同じように、私も君を見捨てたくない」
「…………」
「ねえ、外を見てみて」
「外?」
言われるがままにふと窓に目をやる。薄緑の窓掛けに遮られて外の様子は窺えない。僕は外を見る為にその布を引いた。先ほどから沈黙の静けさが妙に目立っていたが、成程、あの忌々しい雨は上がっていた。
「雨、止んでる?」
「はい」
窓を開けると、涼し気な空気が吹いてきた。
「空、見て」
彼女の言葉に従い、目を上へと伸ばす。
「あ、月だ……」
大きな正円の月が、雲一つない空に煌々と落ちていた。目を凝らすと周囲に散在している星々が共に煌いているのが見える。
「今日はね、満月なんだって。実は、これを見せようと思って君に電話したんだ」
「これを……?」
「そう、日中の雨、空の雲から全部流れ出て、こんなに綺麗な夜を見せてくれるんだ。言ったでしょう?私は雨上がりの景色が好きなの」
喉奥が詰まる。何かを言おうとしたが言葉にならなかった。ああ、やはり彼女は眩しすぎる。けれども、彼女の言葉と夜の落ち着いた風景は混ざり合って心地の良い明るさだった。
「雨のこと、やっぱり嫌い?」
彼女の問いに、僕はすぐに応えることができなかった。


翌日、風が新しい雲を運んできた。昨晩あの後、電話を切ってからもしばらく夜風にあたっていたからか体が冷えてしまっている。
「本日、関東地方では午後から雨の予報です。外出の際は傘をお忘れにならないようご注意ください。なお、来週には台風の接近による……」
テレビをつけたが天気予報は昨日に引き続いて憂鬱な気分にさせるだけであった。
「雨は、やっぱり好きじゃない」
幸い今日は土曜日である。外出の予定はない。頭痛もするので今日も横になることにした。しかし横になって数分、空腹と寒気をおぼえ睡魔は消えていった。もう初夏だというのに寒気が治まらない。思えば、昨日の朝からきちんとした食事をしていない。そこに加え長時間夜風にあたっていたなど、体調を崩すのは当然だっただろう。
「なにか……食べるもの」
ぼやけた視界で冷蔵庫を漁るが目ぼしい食材は見つからない。
天気予報によると雨は午後からと言っていたが、天気予報など、あの日「彼」を失ってからはあてにしてない。どんよりとした空模様を一瞥し、溜息をついて僕は水を一杯飲んだ。
「いいか……寝よう」
僕は再び横になるのだった。


結局僕がその日口にしたのは買い貯めてあったカップ麺のみであった。そしてその次の日の朝、今朝になって当然のように風邪をひいたのだった。
「こっちに来て初めてだな、体調を崩すのは……」
風邪薬くらい置いておくんだったなと後悔する。予報通りに今日も雨であった。気怠い気分はいよいよ吐き気へと変わっていく。
(気持ち悪い。熱もあるんだろうな)
息苦しさの中で「彼」を想起した。墓の前で、心の中で何度も謝ったが僕の気持ちが晴れることはなかった。僕の空模様はいつだって今日の空と同じ灰色だった。そして、視界さえもがぼやけて灰色へと変わっていく。この色が、「彼」への贖罪と言わんばかりに僕を苦しめる。それを拒絶することは許されない。僕は向き合わなければいけない。たとえ、僕の命さえ失われてもそれでいいとさえ感じる。それで楽になれるのなら或いはそういう結末もありなのかもしれない。
「そういえば、奥村先輩にもいろいろ迷惑かけたし、謝らないと……」
霞む視界の中で携帯を操作し奥村先輩にメッセージを送る。謝罪と感謝、そして、再三になるがサークルを抜けるという旨も添えて。
送信した後は画面を見るのもつらく、もはや何もできずに布団へと倒れこんだ。


耳鳴りと雨音が鼓膜をたたく中、家の呼び鈴が微かに聞こえたような気がした。その音は二回、三回と繰り返しているようだった。なんとか上半身を起こし壁にもたれつつ玄関へと歩く。僕はそのまま外を確認せずに鍵を開けた。
「日向野君」
そこにいたのは奥村先輩であった。だが、朦朧とした僕はそのまま倒れこみ意識を失った。


ぼんやりと目が覚める。
どうやら布団の中にいるようだ。そして自分の手が何かを強く握っていることに気づく。意識がすうと晴れ、隣に目をやるとそこには座りながらこちらを覗く彼女がいた。
「奥村先輩……」
「大丈夫?日向野君」
そこで自分の握っていたものが彼女の手であったことを理解する。
「す、すみません……」
手を放して未だ覚醒しきってない意識を冷静に起こし、彼女に問いかける。
「なぜ、僕の家に?」
「今日、大学の補講があったの。その帰りに携帯を見たら日向野君がまるで死んじゃうみたいなメッセージ送ってきてたから……」
いくら憔悴していたとはいえそんな文章になっていたのかと反省した。いや、死んでしまっても良いと考えていたせいで文字に感情がこもってしまったのか。なんにせよ、彼女には心配をかけてしまった。
「ごめんなさい……迷惑をかけました。もう、大丈夫です」
「嘘。まだ熱はひいてないよ。それに食事も、台所なにもなかったよ?君が寝てる間にいろいろ買ったから。お腹すいたらお粥でも作るよ」
雨は依然として降りやまない。しかし、そこには確かに太陽のような温かさと明るさがあった。目頭が熱い。熱の所為ではないだろう。人の温もりを避けていた僕にはこの感情を制御することはできなかった。
眩しい太陽の前で、僕は雨を流した。

10
雨は嫌いだ。けれど、例えば泥だらけになった顔を見て笑い合えるような、濡れた土に芽吹く命のような、冷えきった体を暖め合うような、そんな物語は嫌いじゃない。
もうじきあれがやってくる。そんな物語たちさえも消し飛ばしてしまうようなものが。
でも今はいつでも光がそばで差し込んでくれている。彼女ならきっと、「彼」ごと僕を晴らせてしまうのだろう。
思えば悠陽、「遠く長く果てしない陽」、そんな彼女に会った時点で僕は変わる以外にあり得なかったのだろう。
そして僕は彼女と、雨後の景色を見に行こうと決めたのだった。

​​​​​    そらもよう(終)

清田スタジオ第一班 振り返り​latte

テーマが「台風」になった時点でなんとなく頭に浮かんだのは、ある楽曲のパロディを作ることだった。KEI氏の「そらもよう」というボカロ曲である。ボカロ曲は二次創作しやすいという特徴を差し引いても実に今テーマと繋げて物語を生みやすいものに感じた。形式が小説になるのは必然であったが、4000字という小説にしては短すぎる字数にまとめるのが大変であった。結局のところ総字数は6000字近くまで伸びてしまった。物語を終えることも大事ではあるが、こういう機会をもっと訓練として使うべきだとも感じた。指定された文字数で伝えたいことを伝えなければならないことは多々あるだろう。それ以外にも多くの反省点が見つかった。物語のテンポの悪さ、キャラクターの弱さ、風景描写の甘さや心象の伝え方、等々、いかに浅い考えの物語であるかが自分でわかってしまった。反省点を数多く残す結果となったが、次回にうまい方向に変えられたらいいなと思う。それと、これは何とはなしに物語を作るうえで自分に課した枷だったのだが、できるだけカタカナや横文字を使うのは避けた。興味半分でやってみたが「メッセージ」をどうしても違和感なく言い変えることができず、挫折に終わった。いずれはもっと面白そうなウリポの物語を書いてみたい。

続いて少しずつであるが班の方たちへの感想。
・杏仁さん​1、2回目共にリアリティを強く感じさせられた。1回目の表現力に富んだ風景描写と、2回目の現実に言及する生々しさ、特に二つ目の「おんなのこのおはなし」に関しては男ながらも共感できる点があってなかなかに小気味良かった。

・みくじさん​なんだか幻想的な雰囲気を醸し出す作風であった。夢の狭間の描写や、寝起きの情景が多かったためか、エッセイだけれども共感しやすく心地よい作品であった。

・手汗王​作風、というか性格なのだろうか、筋肉についてのメタファーを多く取り入れていて大変力強くインパクトのある作品であった。班内ででた発言を借りるならば「元気の出る作品」まさしくその通りであったと思う。もっといろいろ見てみたいとも考えてしまう。

・みかんさん​一作目はなんとなくつらつらと読み続けていたい感覚になった。浅すぎず深すぎない独特の味だった。あと、煙草はほどほどに。とだけ。

・θnさん​自伝を書いたのはここだけであったが、自己の人格形成という大変興味深いテーマで、ああ、こういう成り立ちを得ることもあるのかと自分にとっても特別な経験を与えられたような気がした。誰しもがそういう影響を受けた人物、大きな存在となっている人がいるのではないか、そう考えついて自分を振り返るきっかけになった作品であった。