さすればそんな世の中じゃ/駅/染色体XY太郎

『発車します。ご注意ください』

私は環状線の発着駅で電車を待っていた。私の後ろで、同じ様に電車を待つ人々は、手の平にすっぽりと収まった画面をじっと見つめている。今では珍しくもないが、皆一様に眉間に皺を寄せ、亀の様に首を縮めている姿は、何度見ても気味悪く感じてしまう。

その時汽笛が鳴り響いた。すると右方から、ヘッドライトで暗闇を切込む様に、鈍く黒光りする蒸気機関車がやって来るではないか。周りで並ぶ人々を見回したが、彼らは変わらず亀の如く黙したままである。そうしている内に列車は、車輪とレールの摩擦する嫌な音を響かせながら私の前に停まった。そして、音を立て、蒸気を漏らしながら戸が開いた。辺りは煙突からでた黒煙に包まれてしまい、最早何も見えない。私がどうして良いやらわからず、阿呆の様にぼんやりとしていると、後ろから何か、決して人間の感触ではない何かに、とっ、と押された。私は前につんのめる様に戸の内側へ押し込まれた。直後、列車は私を待っていたかの様に車体を震わせ一声あげると、開いた時と同じ様に音を立てて戸を閉じて、ゆっくりと重厚に動き出した。私がその刹那、黒煙の中で見たものは亀の足だったのではないか。今となってはわからない。



列車の速度が安定していくにつれ、私の気も落ち着いて車内を見渡す余裕も生まれてきた。車内は、滑らかにつるつると光る焦げ茶色の木製で、赤いビロードが金鋲で止められた柔らかそうな座席が据え付けられている。私は何だか懐かしい様な思いになって、窓際の席に腰を下ろした。窓の外は黒煙が満ちている様で、何も見えない。トンネルだろうか。そんな黒く染められた窓を眺めながら、気づくと私は郷愁に耽っていた。
私が故郷から旅立つ時、今から何年も前のことだ、こんな風に当時としてもオンボロの蒸気機関車に乗っていた。出発する前は、都会での新たな生活に胸を膨らませていたが、いざ、列車に乗ってしまうと、急に家を出ることの寂しさに襲われて、泣きそうになりながら、母から車内でお腹が空くだろうからと持たされた握り飯をほおばっていたことを覚えている。

と、黒煙が晴れた。突然入ってきた光に目を瞬かせていると、窓の外には、あの日の故郷の風景が広がっていた。夏になると唐揚げにして貰うために沢蟹を沢山集めた小川。冬になるとすっぽりと埋まってしまってそり滑りに最適な大岩。何もかもがそこには、当時のまま残っていた。気付くと、私の体も家を出たばかりのあの頃へと戻っている。目頭が熱くなり、頬を伝って涙が流れた。窓の外では様々な風景が、次から次へと流れて行く。新婚旅行で訪れた海水浴場。家族旅行で連れられて行った遊園地。初めてのデートで訪れた動物園。そのどれもが懐かしく鮮やかに流れては消えて行く。私の身体は既に元の背丈の半分程になっていた。この列車はどこまで行くのだろう。いや、私はもう知っているのではないか。列車はますます速度を上げ、進んで行く。それに連れて、私の身体もどんどんと縮んでいく。もう立っていられず、私はゴロンと座席に体を投げ出した。私はこのまま、羊水の海へと入って行くのだろう。その後はきっと、私は消えて無くなってしまうのだろうと、そう思った。



『列車が参ります。ご注意ください』

気が着くと私は元の駅に立っていた。夢だったのだろうか。時計を見ると、あれから五分と経っていない。しかし、窓から見た風景は、今も、鮮やかに思い出される。思わず頬が緩む。周りの人々が不可解そうな表情でこちらをみている。何だそんな顔もできるんじゃあないか。頬が熱い。笑い声が溢れる。私は迷う事なく一歩踏み出した。






『……間は人身事故の影響のため一部運転を見合わせています』

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「さすればそんな世の中じゃ/駅/染色体XY太郎」への2件のフィードバック

  1. きれいな描写。やっぱりこんな感じの路線でいいと思う、素敵。オちも綺麗でいいんじゃないかな?

  2. 走馬灯というテーマが見えて、そこからもう一度読み直してみるとうまくまとまっていた。1度目はよくわからなかった描写も走馬灯やんって思いながら読んだらすっきりした。
    先週の良いところを踏襲しつつ、今週もかけててよかった。びろーどという単語を僕は人生で一度も使ったことがありません。

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