スローモーション/駅/山百合

私が地元の駅に降りる時は常に一人だった。中学は地元の徒歩10分で行けるような場所にあったが、高校大学とおそらく自分がそこの学生の中で最も遠方から来ているであろうと思われるくらいには遠くの学校に通うことになった。

当然、同じ駅から登校する者はいない。中学以前の友人も、不思議なことに、電車を利用しないのか全く会うことは無かった。通勤通学のラッシュの中、顔は覚えお互い密着しながらもコミュニケーションの発生しない人々が唯一恒常的に出会う知り合い(と言えるのかも疑問だが)と言っていいくらいだった。

学内ではそれなりに楽しくやっていたが、飲み会や打ち上げの帰宅に、次々と同行者が減って行き、最終的に一人で降り立つ駅の雰囲気は、祭の後の寂しさを加速させるには充分すぎた。楽しいことは続かない。どんな状況でも心の底から楽しむことができなくなってしまった。幸せが永続的であると信じることができないのだ。

 

だが出会いは常に唐突に訪れるもので、きっかけは定かではない。記憶があれば次に生かせるような教訓を取り出せるのだろうが、困ったことに全く覚えていない。

彼は同年代の学生らしかった。駅前で毎朝通勤通学の乗客に、たいして宣伝効果の無さそうなティッシュ配りに勤しんでいる。そんな彼からティッシュを受け取り、挨拶を交わす。なんてことないように思えるかもしれないが、どういうわけか彼が挨拶を交わすのは自分だけだった。気のいいサラリーマンや暇そうな老人など、彼に一言二言声をかける人はいるのだが、彼は会釈をするだけで、言葉を発しようとしない。

他人との距離が掴めないのだろうか。そして、そう考えると、自分も同じだろうと思った。そんな前提が共有されていたのか、大学を卒業するまでの数年間、ひたすらティッシュを受け取り、挨拶を交わすだけの関係だったのだ。

就職と共に家を出た。自宅から出勤できないこともなかったが、ともかく家を出ようと思った。おそらく、彼に出会わなかったらそう思うことはあれど、行動に移しはしなかったろう。

 

あれから10年、いまだにティッシュには困らない。だが、広告の店にはついぞ訪れることは無かった。潰れたのかもしれないし、今も営業していて、もしかしたら彼がいるかもしれない。だが、どうしても行く気にはならない。それどころか、あの駅にさえ近づこうとも思わない。

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「スローモーション/駅/山百合」への1件のフィードバック

  1. 内容としては面白いのですが、結局どうなったんだろう、というのが一番の感想です。タイトルのスローモーションはどこにかかっているのだろう、と何度も読み返しましたが、結局理解できませんでした。読解力不足で申し訳ないです。

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