景色になる/駅/ちきん

「もういいから、早く帰ってよ。」

今、真夏の日差しの痛みや堪え難い湿度をよく思い出せないくらいのノリで、機嫌を損ねたときには、それまで積み上げてきた愛情や感謝の気持ちを簡単に失くしてしまうし、お腹が痛くて余裕がなければ、大切な人に優しい言葉もかけられなくなる。

「そんなところにいたら、通る人の邪魔になるから。」

改札の入り口にいつまでも突っ立って見送る母に、必要以上に嫌な顔を見せてしまった。それは同時に、きっと都会に出ても、無意識のうちにそういうところが滲み出てしまうであろう、自分への嫌悪感でもあった。そんな風では、生きていけないよ。

20年弱住み慣れた土地を離れることを望んだのは自分なのに、あまりに余裕を欠いていた。特急電車は、目立つ合図もなく、時間になるとすっと動き出すので、不安になる。どこにも焦点を合わせぬまま、窓の外に目をやっていると、駅のロータリーで大きく手を振る母が視界に入ってきたから、呆れた。

 

ときどき、自分で働いて、お金を払って部屋を借りて、一人暮らしをしているという事実が信じられなくなる。私は、社会の仕組みも常識もよく知らないのに、たぶんまだ「おとな」ではないのに。目の前の問題をひとつずつ適当に処理していくだけで、なんとなく生きていけると言うのか。

「『道』ってつくなんて、名前からして胡散臭くね?ブラック企業かな?」

「今日、菅野さんに相談してきたんだ。やっぱり次の説明会に出ろって。」

「でも、できればそっちで就職したいなあ。一緒に住むのは無理でも、出来るだけお前の近くにいたいもん。やっぱり家賃とかって、こっちより高い?」

ああ、私だってもちろん、できるだけ近くにいてほしいけど、だけど、私がいるという理由だけで、この人を連れてきてしまっていいのかな。別にそのくらい、大したことはないのかな。携帯をスピーカーの設定にして、ふとんの上に投げた。

初めて降り立った駅、息が詰まりそうな人の数に、ひとりひとり人生があるのだなと考えたら、情報量に耐えられなくなって、思わず目を閉ざしたことを思い出す。大きなキャリーバッグを引きずって歩くのは、少し恥ずかしい。いろんな気持ちを、味わってほしいなあ。全部に意味があるわけではないし、ときにはやるせない気持ちにもさせられるけれど。たとえば私がいなかったとしたって、価値のある時間だ。

 

 

 

私は、誰かの景色になる。どうでもいい寂しさは、映らない。

「やっぱりしばらくは、実家から通えるとこで働くことになりそう。ごめん。」

なんで謝るんだよ。したいなあって話していただけだから、そこまで期待してないよ。誰もこちらなんて見向きもしないのに、人混みの中、知らない誰かを早歩きで追い抜けばじゅうぶん心強い。みんな強い。私の気持ちは押し流されて、知らんぷりをして、見えなくなる。

そういえば、どうしてひとりでこんなところへ来たのだっけ。

もっと自分を、愛さなければ。

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「景色になる/駅/ちきん」への1件のフィードバック

  1. ちょっといつにも増して抽象的であり、何を言わんとしているのか分かりにくいところが多いかなと思いました。オチのある話を前提としてるにしてはオチているといっていいのかいまいちわからないものですが、話の雰囲気が柔らかいのでこれが女の子の感覚、という感じなのかなあと。
    景色になる、という表現は素敵だなあと感じましたが、自分の中の景色のあの人この人も一人一人悩みがあるだなあというのが、自分を景色だと認識している主人公を通して分かりました。
    ちきんさんのお話は独特で空気で感じさせるのが得意なんだろうなと思うのですが、たまにはパッキリとした非抽象的なお話も読んでみたいかなと密かに思っているので、気が向いたらそういうのも書いてみて欲しいです。

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