End.less,End.less/駅/エーオー

男は走っていた。荒い息づかいが天井をおおう鉄骨に叩きつけられる。乾いた足音は規則的で、時おり細かな破片が弾かれてノイズが生じた。これで6本目。左手に並んだ柱を抜かした回数を数えていた。柱から天井にかけて大きな亀裂がはしっている。

「あきらめな。お前さんは一生出られないよ」

どこからかしわがれた老人の声が響く。あちこちに反響して膨張した声は、呪詛の様に耳朶に纏わりついた。男は肘でしきりに耳を拭った。

肺が肋骨を強く連打する。9本目。硬いコンクリートの反発で膝が軋んだ。大丈夫、向こうに明かりが見える。右手の線路は光の方へ続いていた。12本目。もうすぐだ、あと一歩! ーーー

はっと目を見開いた。

鉄骨の張り巡らされた天井。散らばった瓦礫。ガラス片。恐る恐る左手を見る。柱はーーー1本目。

喉を乾いた風が行き来した。再び老人の声が響く。

「ほらみろ、ふりだしだ」

 

だいぶ長いこと走っている気がした。時間の感覚が掴めない。酷使した筋肉は硬くなり、疲労で思考も淀んでいた。何度柱を通り抜けても、気がつくとまた元の場所に戻っている。男は数えることを辞めた。

ふと、かすかな声を聞いた。

それはあの老人のものとは違った。か細い、しゃくりあげるような声だった。男は走る速度を緩め、前方に目を凝らした。

幼い少女が、顔を覆ってうずくまっていた。目を引くレモンイエローの花がプリントされたワンピースは、黒く煤けて破れかけだった。腕や足は擦り傷だらけで痛々しい。溺れたような嗚咽に、やわいブラウンの髪が揺れた。呆然としながらも声をかけようとした。

「あなたのせいよ」

悲鳴が脳天を突き抜けたのを感じた。こちらを向いた少女の顔は赤黒く焼け爛れていた。

 

その日はよく晴れた日曜日だった。

北欧の片田舎の小さな駅のホームは、休日を楽しむ人で何時もより賑わっていた。初夏の青空はどこまでも開けて、待ちわびた季節の装いをした人々はみな幸せそうだった。白いリボンの三つ編みの少女、小さな老夫婦、バスケットを提げた親子。果てなく続く線路の脇では薄紫のジキタリスが風に揺れていた。

突如、轟音が世界をつんざいた。

炸裂と黒煙、壁も天井も大破して瓦解した。叫び声と、或いは声にならない声が千切れて、もうもうと砂煙と血の匂いが蔓延した。肉片、誰かのスケッチブックの端っこ。呻きと怒号が遠く静かな夏の空に吸い込まれていく。永遠に、あのやさしい日は姿を消してしまった。

 

靴底が渇いた音をたてる。呼吸が荒い。喉の奥で血の味がする。

男は走っていた。走り続けていた。終わることはないのに逃げる他なかった。

カチリ。覚えている。すり合わせた指が汗でぬるついた。この右手の親指の沈む、あまりの呆気なさに驚いたから覚えている。

「あきらめな」

老人の声が覆いかぶさる。それは最早後ろからくるのか、自分の頭の中で響く声なのかわからなかった。振り切りたくて必死で走っても、どこまでもどこまでも追いかけてくる。

「お前さんの牢獄はここなのさ」

視界の端で柱が流れていく。線路の向こうは鈍く灰色に淀んでいた。

 

服役囚の足音は鳴り続ける。

 

 

 

 

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「End.less,End.less/駅/エーオー」への2件のフィードバック

  1. 怖かったし、大体はつかめたと思うし、雰囲気とかはエーオーさんさすがで、読ませる文章だったと思います。最後まで勢いがあってとっても面白かったです。文自体は楽しかったです。
    しかし今回はわかりやすい起承転結というテーマ?が付いていたので、それには少しそぐわないかなあとも思いました。なんとなく、の解釈しかできていないので私の理解不足かもしれませんが、わかりやすさは少なかったと思う。もう少し端的でわかりやすいものがすべらない話のイメージです。

  2. 「じだ」が漢字で、「覆う」がひらがなで記されるエーオーさんの文章は空気感が表現されていて好みなのですが、平易に記すという上では若干不親切かもしれません。抜け出せない空間が駅のホームだと気づくのが遅れ、少し理解に時間がかかってしまいました。ループ描写で使い古された手ですが、意図的に表現を揃えることで繰り返される事象に対する不安を煽るという方法があります。今回はショートショートですが、もう少し文量が多い場合は試してみてもいいかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。