ヒルコ/初恋/なべしま

恋とは、私の憧れでありました。
私の友人は口々に言ったものであります。
曰く、好きになればわかる。
曰く、するものではなくて落ちるものだと。
桜の散る頃にひとり。
夕立の激しい暮れにひとり。
月の映える晩にひとり。
友人は私を取り残していきました。
それでも私だけはいつまでも独り身で、恋しい気持ちなんて少しも湧いてこなかったのです。
そんな馬鹿馬鹿しい悩みを抱えていたのです、こんな馬鹿馬鹿しい初恋も許してもらえないでしょうか。
よく言うでしょう、幸せは探しに行くものではないと。
幸せはすぐそばにあると。
愛し愛されたいとずっと思っていたのです。気づかなかったなんて。
馬鹿ね、私の初恋は目の前に。
「大好きよ、」







八重子にせがまれるまま、電車に揺られ県境を越えた。
いや、これは高校受験が終わったご褒美なのだと言い訳をする。甘やかしているわけではない。
とはいえ実際、八重子は真面目に受験に取り組んでいた。人と遊ぶこともせず、部屋の明かりは明朝と言えるような時間まで消えることはなかった。
お蔭でこちらまで思わぬとばっちりを食らったのだが。
毎日話していた時間が無くなったのは、存外辛いものだった。
まともに顔も合わせられなかったのだ。
多少の我儘くらい許されたい。
広大な湖は、海のような果てしない印象はなかったが、湧いたばかりの泉のような清さがあった。
「ねえ、すごく冷たいよ」
いつの間にか靴も、靴下も脱いで裸足で水際を歩いている。
「おい、風邪ひくぞ」
慌てて腕を引く。足の指先が真っ赤に染まっていた。
「全然寒くないもん」
「鈍いだけだろう」
子供っぽいところが少しも抜けない。昔からそうだ。雨の日にはスカートの裾を濡らしてくるし、雪の日には冷え切った手をさすりながら笑っていた。
「鈍いって。年頃の娘に言う言葉じゃないわ」
デリカシーってもんがないのかねえ、などと言いながらも靴を履いてくれた。
なんだかんだ言って、素直な子なのだ。
「向こうに鮎の塩焼きの店があるから、そこへ行こうか。好きだったろう、鮎」
それを聞くとぱあっと顔を明るくして、こちらに駆けてくる。
この笑顔のためなら何だってしてやろうと思える。
頭の中で残りの札の枚数を数えつつも、嬉しげに鮎を齧る八重子を想像したら、思わず笑みがこぼれた。
「なに笑ってるの」
気持ち悪い、などと軽口を叩きながら八重子はこちらを見上げてくる。
昔はもっと目線が下にあったはずなのに、大きくなったものだ。そんなことを思いながら頭を撫でてやる。
「ねえ」
「ん、どうした」
「大好きよ、お父さま」
「鮎を買ってやるからだろ。現金な娘だな」

闘え、ハタコムギ/はな/ヒロ

 ハタコムギこと畑中さん家の小麦は改造植物である。
 彼を改造した畑中さんは日本全国の営業を企む善の専業農家である。
 ハタコムギは自分たちの良い実りのために害虫と闘うのだ!
 
 畑中さんの畑ではたくさんのハタコムギが育てられていた。それまでのハタコムギは害虫にやられていた。そのために畑中さんは遺伝子組み換えした新しいハタコムギを育て始めたのだ。(ちなみに畑中さんの小麦だからハタコムギなのだ。安直である)
 彼の改造されてからの日々は辛いものだった。尽きることなく迫りくる害虫たち、遺伝子組み換えされた自分はもはや人々に食べられるような食べ物ではないかという苦悩、倒れていった仲間。まさに辛く厳しい闘いの連続だった。
 
 そして作物の大敵の害虫の首領とも言うべき存在、害虫バッタが彼に襲い掛かってきた。もう花も咲き、豊かに種を実らせる準備が整うところだった。その敵は強かった。それまでにも彼の仲間は何本もやられていた。そしてとうとう彼にもその闘いの時がやってきた。害虫たちとの闘いに終止符を打つ時が来たのだ。
「ふふふ……今日はお前を食ってやる。その後はお前の後ろのやつを食ってやるぞ!」
 害虫バッタはそう言った。彼は仲間を守るため、花を守るために闘うことを決意した。
「行くぞ、害虫バッタ。ハタコムギ変身!」
 ハタコムギは叫んだ。……が、別にハタコムギの姿は変わったりはしなかった。特に何の変化もない。ただそう叫ぶと強くなった気がするのである。
 ハタコムギは闘おうとしたが彼は植物、動くことはできなかった。当然のことである。
「愚か者め、そのまま食ってくれるわ!」
 しかし、ハタコムギは強かった。「ハタコムギキック!」そうハタコムギは叫んだ。当然何も起きなかったが、ハタコムギを少し齧った害虫バッタは倒れた。爆発はしない。彼は遺伝子組み換えにより害虫には強く、寄せ付けない。もちろん人間には無害だ。畑中さんとハタコムギは人間を愛している。彼らを傷つけるようなことはしないのだ!
 
 そして、ハタコムギの害虫との闘いは終わった。ハタコムギはたくさんの種を実らせた。仲間たちも実らせていた。黄金色の絨毯が広がっていた。いよいよ人々のもとに出荷される時が来たのだ。直接味わってもらえるわけではないかもしれない。あえなく加工されてしまうかもしれない。それでも人々のもとに送られることが嬉しかった。
 しかし、現実は甘いものではなかった。ハタコムギが出荷の喜びに浸っていると隣の仲間の実の姿が消えた。一瞬わけがわからなかった。ハタコムギは気づいた。鳥だ。鳥が自分たちを狙っている!
 ハタコムギの闘いは終わっていなかった。新しい敵が現れたのだ。ハタコムギの闘いは続く。闘え! ハタコムギ。畑中さんに出荷されるその時まで!

走れM/はな/のっぽ

Mは激怒した。必ずかの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。

Mには政治がわからぬ。Mは、村の下工人である。村人の頼みを聞いてはどぶ水に足を突っ込みながら必死に働いてきた。けれども邪悪に対しては人一倍に敏感であった。

或る日、かの邪知暴虐の王は姫をさらい逃げ去った。姫は国一番美しい女性であり、その美しさは国外にも知れ渡っていた。そのうわさを聞き付けた隣国の王は姫の生誕祭へと忍び込み、あっという間に姫を自国の城まで連れ帰ってしまった。

Mは下工人である。Mが姫の生誕祭に呼ばれるはずもなく、いつものように下水道の中で作業をしていた。Mが仕事を終えて地上に出てくると街中があわてふためき、騒然としていた。これはいったいどうしたことか、Mは近くに座り込んでいた老人に尋ねた。

「王様は、姫をさらいます。」

「なぜさらうのだ。」

「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな悪心を持ってはおりませぬ。」

「たくさんの人をさらったのか。」

「はい。初めに王様の妹婿様を。それからお世継ぎを。妹君を。そして、姫様を。」

「おどろいた。国王は乱心か。」

「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事ができぬというのです。このごろは、臣下の心をもお疑いになり、少しく派手な恰好をしているものは、人質ひとりずつ差し出すことを命じております。ご命令を阻めば十字架にかけられて、さらわれます。今日は、6人さらわれました。」

聞いて、Mは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」

Mは作業着に長靴を履いたままにもかかわらず、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢のごとく走り出した。隣国の城までは休まず走っても丸1日はかかる。しかし、暴虐な王に対する怒りと、姫を救い出さねばならないという使命感がMを走らせた。

 

若いMは、つらかった。幾度か、立ち止まりそうになった。えい、えい、と大声をあげて自身を叱りながら走った。広大な砂漠を超え、うっそうと茂った森を抜け、人を襲う魚の住み着く海域を泳ぎ、雲より高い丘の上を走り、凍り付く雪山さえも駆け抜けた。

Mの体はとうに限界を超えていた。普段のMであれば倒れこみ、指一本動かせなくなっていただろう。しかし、この日のMは違った。まるで誰かに手足を動かされているかの如くMは走った。落ちたらまず助からない大穴を軽々と飛び越え、水中を魚よりも速く泳ぎ、天高く伸びた蔦を一度も止まることなく登った。

そしてMは王の城まで一度も足を止めることなくたどり着いた。城の堀には赤く煮えたぎった溶岩が流れ、至る所に見張りの衛兵が配置されていた。蝋燭の火は消え、3歩先すら見えない場内には、まるで王の心を映したかのように悲壮な雰囲気が漂っていた。Mは衛兵を踏み越え、王の城まで一目散に駆け上がった。

王の部屋の扉を勢いよく開く。玉座に座っていた王は一瞬驚いた顔を見せたのち、不敵に笑った。その体は筋骨隆々。異形の怪物のごとき王は立ち上がると、口を大きく開いた。Mが虚を突かれた次の瞬間、王の口が真っ赤に燃え盛り、灼熱の火の玉がMめがけて飛んできた。

Mは横に回避しようとした。しかし体が動かない。いつのまにかMの体は前後と上下にしか動かなくなっていた。固まるM、迫る炎。火の玉が眼前に迫り、瞳を閉じたM。驚いたことに、熱さは一瞬だった。きっと一瞬で冥土に運ばれたのだろう、死を確信したMが目を開けると、そこにはさっきまでとなんら変わらない光景が広がっていた。いや、すこしばかり視点が低くなっているかもしれない。

なぜ自分が生きているのか、そんなことを考えている余裕はなかった。眼前では王が再び口を開け、炎を今まさに吐き出そうとしている。

その時、Mの足元に一輪の花が咲いていることに気づいた。白い花びらの中央に赤と黄色の咲いた大きな花だった。気づくとMはその花を口に運んでいた。今まで見たこともない、見るからに怪しい花を。しかし、Mの手は止まらない。Mは根っこごとその花を丸のみにした。

 

テレレテレレテーテー♪テレレテレレテーテッテテー♪

THANK YOU MARIO !

 

「な、言った通りファイアフラワー取ればクッパなんて楽勝だろ?」

「うぉー、こうちゃんすげぇ!」

華逆じいさん/華/縦槍ごめんね

もう15回もオーディションを受けているが、決まって言われる事がある。

「君にはさぁ、なんていうか華がないんだよね。」

高校時代は演劇部に所属していた俺はそれなりに楽しい学園生活を送っていた。卒業と同時に舞台俳優の道へと進むことを決意し上京してきたはいいが、どれだけ努力しても現実は甘くなかった。

「華か… 華なんてどうやったら身に付くんだよ…」

そんな独り言とともに家路に着いている最中、見知らぬ男が何かを言いながら近づいてきた。

「あなたに華を授けましょーう。あなたに華を授けましょーう。」

なんだこの気持ち悪い男は、頭がおかしい。とにかくこういう種類の人間には近付かないほうが身のためだ。そう思った俺は、すぐその場を立ち去ろうとした。しかしやばいという気持ちとは裏腹に俺はその場に留まった。彼の言っていることに少し興味が湧いたからだ。どんなに怪しい男でももしかしたら俺に何か好機をあたえてくれるかもしれない。とにかく俺はなんでもいいからすがりたかったのだ。そうして俺はその男に声をかけたのだ。
「その願い、どうやったら叶えられるんですか?」
「どうということもありません。私の持っているこの灰を頭から被れば、あなたの人生が途端に輝きだしますよ。」
尋ねた私に男はにやつきながらそう答えた。怪しいと思いながらも言われるがまま男の持っている瓶の中に入っている灰を頭から被った。その瞬間俺はそこに倒れた…らしい。というのも目が覚めたとき俺は病院のベッドの上だったからだ。倒れている俺を見つけた人が救急車を呼んでくれたそうだ。その場に変な男が居なかったかと聞いても誰もその男のことは見ていないといっていた。1日入院してその次の日無事に家に戻った。

その出来事からしばらくして、少しずつだが俺自身ではなく俺の回りに変化が現れ始めた。まぁ具体的に言うと…急にもて始めた。よく分からないが雰囲気が変わったらしい。髪型や顔立ちが変わったというわけではないのにこれはどういうことだ。これが華というやつなのか?それから徐々にその変化は大きくなっていった。オーディションにも受かるようになり、もらえる役もどんどん大きくなっていった。そして、あの晩から2ヶ月が過ぎる頃には俺は日本を代表するスターになっていた。正直俺は調子にのっていた。だがそれも無理なかった。今や日本で俺のことを知らないものなど誰もいないのだから。

しかしそれから更に1ヶ月が経過し風向きが変わってきた。俺は人気者になりすぎた。家の回りには毎日毎日何十人もの人が取り巻き、家から出ることもできない。何とか変装を施し、家から抜け出すことが出来ても、発見されれば追いかけられる日々。気が付けば方針状態のまま俺はかつて灰を持った男と出会った道をさまよっていた。

「頼む…もう華なんていらない! だから誰でもいい。助けて…」

そう呟くと、前方から前にも聞いたことのあるような声が聞こえてきた。

「あなたの華を奪いましょーう。あなたの華を奪いましょーう。」

あの男だ。そう思った瞬間、私は神にもすがる気持ちでその男のもとに駆け寄った。

「俺に、そ、そ、そ、その灰をくれ!」

「構いませんよ。ですが本当にいいのですね?」

その男はそうにやつきながら言った。

「構わない。とにかく早くしてくれ!」

「了解しました。」

その言葉を聞くとすぐに俺はその男の持っていた瓶を奪い取り、そこに入っている灰を頭から被った。するとまた俺はそこに倒れた。今度は病院ではなくその道の上で俺は目を覚ました。そして、通りかかる人々が俺を追いかけてこないことを確認して、本当に俺からは華がなくなったということに気がついた。少し寂しく感じたが今までのことを思い返し安堵した。

「助かった。本当に良かった…」

あの不思議な男に感謝しながら、俺は呟き、家路に着いた。ところがしばらくして俺はある違和感に気がついた。誰も俺のことを見ない。というか俺という存在が見えていないようなのだ。そして家につきふと鏡を見ると、そこには俺の姿はなかった。そして日本中から俺という人間は消えた。

サングリア/はな/リョウコ

扉を開けると、ずぶ濡れの女が立っていた。ゆるいウェーブのかかた品の良い赤茶色の髪の毛が、べたべたと汚らしく女の肌に貼りついている。
「一杯飲ませていただけませんか」
クローズの時間だったが、私は女を店に迎え入れた。
グラスも氷もほとんど仕舞ってしまったし……お酒の種類もそんなに沢山はございません。それでも宜しければ。
「かまいません。酔えるなら、なんでも」
奥からタオルと、赤い酒の入ったグラスとを持って戻ってくると、女はカウンターの右から三番目の席に俯いて座っていた。
どうぞ、サングリアです。
「ありがとう」
掠れた、細い声だった。女の枯れ木のような細い指が、照明を受けて輝く美しい赤に纏わりつく。
「これは……果実酒かしら」
はい。赤ワインにフルーツを漬けたものです。
「薔薇の香りがするわ」
香り付けです。そのままだと呑みづらいので。
「そう」
女は疑う素振りも見せず二口目を口に含んだ。
お酒はあまり飲まれないのですか。
「ええ、主人は好きだったけれど」
主人は、ともう一度繰り返し、女は静かに涙を流した。
好きだった?
「ひと月前から行方知れずなの。警察に届けを出したのだけど、まだ見つからなくて」
それはお辛かったことでしょう。
女の削げ落ちた薔薇色の頬、鎖骨の浮いた首、マニキュアの剥がれかけた爪を見た。可哀そうに。不思議とすんなり声が出た。
「寝酒はよくないと分かっているけれど……どうしても眠りたくて」
「何か話して下さる?黙って食事をするの、昔から苦手なのよ」
そうですね、ではこんな話はいかがでしょう。
難破し無人島に漂着し、長い間行方知れずだった男が生還した。その男がある日、海の側のレストランでウミガメのスープを注文した。スープを飲んだ男は、ウェイトレスを呼び、尋ねる。このスープは本当にウミガメのスープですか。ウェイトレスはそうだと答えた。その日、男は自ら命を絶った。さて、どうしてでしょうか。
「うーん、どうしてかしら。男が死んだのは、ウミガメのスープが原因?」
ええ。
「無人島から帰ってきた、というのは何か関係があるかしら」
そこが重要です。
「無人島から帰ってきて、わざわざレストランにでかけたのよね。ウミガメのスープを飲みに」
はい。
女は少し考えて、降参の息で笑った。
「あまりに美味しく無かったから、という理由で死ぬのはおかしいかしら」
正解です。
「え?」
自ら命を絶った理由は、ウミガメのスープが美味しくなかったから。いいえ、想像していた味とあまりに違ったから。
「腑に落ちないわ。どういうこと?」
その男は以前にもウミガメを食べたことがあった。その味とレストランで食べたウミガメのスープの味があまりに違った。男はそこである事に気付き、自殺した。
「あることって?」
男は、無人島で、ウミガメを食べていたのです。
「無人島?」
無人島で、少し前までいっしょに船に乗っていたウミガメ。
「その、ウミガメって……」
この問題、答えはないんです。色々な解釈があって。
「でも、これがきっと正解でしょうね」
どうして?
「だってもし……もし近しい人。そうね、例えば我が子とか、恋人とか。そういう大事な人を自分が食べていたとしたら……私、きっとおかしくなってしまうわ」
そうでしょうか。
「違う?」
近しい、大切な人と、少しだけだけれど同じ身体に成れたのに、死ぬだなんて勿体無いです。
「……考え方はそれぞれだものね」
女は俯いて、グラスの中のどろりとした赤をぼうっと見つめていた。酔いが回ってきたらしい。
私もお酒、頂いても?もう閉店なの。
「あら、ごめんなさい。どうぞ」
女が差し出した白いバスタオルを受け取って、グラスを片手に店の奥へ進む。そのまま裏口から店を出て、脇の階段を上がり、二階の自宅へ、そしてまた奥へ、浴室へ。
扉を開けると、強い薔薇とアルコールの香りが身体に纏わり付いた。浴槽の中の赤をグラスに掬う。
水面に浮いていた黒い毛を、指先でつまんで取り出す。私はそれを、そっと指先ごと口に含んで、咀嚼した。


 

 

恋と呼ぶには気持ち悪い/はな/やきさば

     恋と呼ぶには気持ち悪い。

     最近変な人に付きまとわれている。というか、求愛されている、たぶん。しかもこんな地味なオタク女子高生に対して、向こうは社会的に圧倒的勝ち組の、高スペックのイケメンサラリーマン。今までその整った顔でどれほどの女性を泣かせてきたのか、考えると恐ろしいほどだ。そんな人に求愛行動をされているなんて、自分でこんなこと言ったら勘違いの痛い女だと思われるかもしれないけど、誰が見たってそうなのだ。なんてったって、その変な人の妹、あ、わたしの親友なのだけど、彼女のお墨付きだし。

     出会いはいつだっただろう。一か月か二か月くらい前だろうか。わたしの親友、莉緒のおうちにお邪魔したときに偶然出会ったのが最初だった。「あ、これわたしのお兄ちゃん」と莉緒に紹介されて、こんなイケメンが…!やっぱ美人兄妹なんだな……!と感動しながら「どうも、有馬一花(あありまいちか)です…」と挨拶した瞬間、「い、いちかさん…!」と両肩をがしっとつかまれた。え?初対面ですよね…私たち?と、あまりの驚きに鳥肌が立ったのは言うまでもない。どうやらひとめぼれだったそうだ。なんでだよ…。それからというものの、莉緒のお兄さん、改め天草亮(あまくさりょう)さんは、わたしにストーカーレベルで付きまとってくる。普通ならこんなこんな素晴らしい男性に好かれるなんて大変喜ばしいことなのだが、彼のストーカーレベルで変態じみた行動がわたしをそうさせなくしているのだ。わたしの平和な生活は一気に彼に乱されていった。

     一番の変化は、毎日わたしの家に一輪の花が贈られてくるようになったことだろうか。はじめは奇妙だなと気持ち悪がっていたのだが、贈り主がお兄さんだと聞いて納得した。あの人ならやりかねないな…と。「なんでいつも一本だけなんだろ?」と近くにいた母親になんとなく尋ねてみると「あなたの名前じゃない」と言われて、初めて気がついた。そういうことか…!ひえ〜〜〜〜〜〜〜!!と改めてお兄さん自身の愛?なるもの?に脱帽してしまう。うーん、さすが社会的勝ち組イケメンサラリーマン。やることが違うなあ……って感心してる場合じゃない。

     莉緒によると、お兄さん自身もわたしと出会って生活は一変したらしい。わたしと出会ってから、今まで関係を持っていた複数人の女たちとは完全に連絡を断ち切って、それはそれは健全で真面目になったそうな。まあ、わたしからしたらどうでもいいことなんだけれど。困ったことに、莉緒と同じ高校、同じクラスのわたしの生活リズムは全てお兄さんに筒抜けで、わたし達がテスト週間で帰りが早い時なんかは学校の門の前で待ち伏せしてたりもする。仕事はどうしたよ…仕事は……!!と、突っ込みを入れたくなるのは毎度のことである。「学校お疲れ様です、一花さん」と、世の女子が見れば黄色い歓声を上げるような爽やかな笑顔でさらっと隣に並んでくるお兄さんに、「どうも…」ととりあえず愛想笑いを浮かべる。正直、親友のお兄さんだから、思いっきり邪険にできないのが辛いところだ。

     ある夜、たまたまわたしの帰りが遅くなったときのことだった。出会ってから時々、お兄さんから電話がかかってくるようになっていたのだが、今日がその日だったのか、夜道を歩いているとお兄さんから電話がかかってきた。渋々電話に出ると、開口一番「今どこにいますか?向かいます」と言われ場所を伝えるとその5分後に本当に来た。救急車かよ……!と心の中で突っ込んでから、どうしていきなり?と理由を尋ねると「一花さん、いつも5コール以上しないと絶対にでてくれないのに、今日は2コール目ででてくださったので、夜道を一人で歩いていて、不安だったのではないかと」と、返事がきた。え……と思っていたら今度は頭の上で鼻をすんすんする音が聞こえる。「あ〜一花さん、今日もいい匂いがします」

     やっぱり、恋と呼ぶには気持ち悪い。

夜の想い/鼻/T

保育園に通っていたくらいの頃、私は夜が嫌いだった。

私の家では、私が生まれてからずっと私、お父さん、お母さんの家族全員が同じ部屋に布団を3つ並べて寝ていた。お父さんとお母さんは共働きで、朝の出勤が早かったから夜は基本すぐに寝てしまう。だけど私は寝付きが悪い子だったし、保育園でお昼寝もしているから、すぐに眠れないことが多かった。二人とも寝ちゃってお父さんが大いびきかいたりしている部屋の中で、私だけが眠れないでいて暗い夜に起きているっていうのがすごく寂しくて心細かった。でも寝ている親起こすと怒られそうとか思って、遠慮してずっと我慢していた。

それでもある日、私は風邪をひいて鼻が詰まっていて、夜本当に苦しいときがあった。いつもみたいに眠れるまで我慢してようと思ってたけど、その日は息をするのが辛くて我慢できなくて、寝ているお母さんをはじめて起こした。怒られるかもしれないけど隣で寝ていたお母さんの肩を叩いて、鼻が詰まって眠れないのと半泣きで伝えた。

夜中に突然起こされたお母さんは最初少しぼーっとしていたけど、泣いて訴えている私を見てすぐに状況は察したという感じで、

「彩音、鼻が詰まっているときはね、横を向いて寝るといいんだよ。片方の鼻だけ通るようになるから。」

と言った。

言われた通りに横を向いて寝てみると、上にきた鼻だけなぜか詰まりがとれて、息がしやすくなった。もう片方の鼻は詰まったままだから完全にスッキリした訳じゃないけど、それでもだいぶ苦しくなくなった。

びっくりした私がほんとだ、すごいねって言うと、お母さんはふわっと笑って、

「そうでしょ、なんでそうなるのかお母さんもわからないんだけどね。」

とか言いながら、私の毛布を掛け直して頭を撫でてくれて、私が眠るまで起きていてくれた。息がしやすくなったのと、お母さんが隣で起きていてくれることに安心した私は、それまで寝付けなかったのが嘘みたいにすぐに眠ることができた。それからはお母さん起こしても怒られないってわかって、嫌いな夜がちょっと楽になった。

その後小学校の途中から自分の部屋で一人で寝るようになったし、鼻が詰まって眠れないとかいつの間にか思わなくなった。眠れないなら起きてればいいし。あのころ眠れない眠れないって思っていた時間って、絶対そんなに遅くなかったよね。たぶん今布団に入る時間より早いよ。

 

でも中学生になった今も、風邪をひいている夜はあの時のお母さんの優しい口調とか表情とかをなんとなく思い出したりする。風邪ひいてなくても、なんか眠れない夜とかにふっと浮かんできたりする。そんなことお母さんには言ったことがないし、これからもたぶん言わない。最近ずっと喧嘩してばっかりだし。

私が生まれてから14年経って、小さい頃の記憶なんてはっきり覚えているものなんて少ないのに、そんな小さな夜の出来事が心の片隅に残っているのは、自分のことだけど私にもよくわからない。横を向いて寝ると片方の鼻の詰まりが抜ける理由も同じようによくわからないままなのだ。

 

 

 

参考:FISHMANS 「夜の想い」、「いかれたBaby」

 

花の散るまで/はな/なべしま

轟音がした。
耳を聾する、というものではない。
遠雷は決して耳を塞ぎはしない。腹の底に響き、体の根底を震わせる。
そんな音だった。
その洞窟の入り口は林の中にある。
暗い。
暗いがそこに何もないのではない。
何か暗いものがある、そんな印象だった。
波打ち際の海藻のような、滞った池の藻のような、不愉快な柔らかさを足の裏に覚える。
登山靴を履いてきてよかった。
この靴でさえ、ずるずると足を取られる。
もしかすると、靴底がすり減っているのかもしれない。
一度足を滑らせたら、そのまま岩場に飲み込まれそうな気がした。
うっかりすれば、背中に背負ったリュックの中身をばら撒いてしまうだろう。
それだけは避けたかった。
もう少しだ。あと少し。
ただ足を動かした。
「兄さん」
いつの間にか足元の地面は深く落ち込んでいた。
深い崖だ。
底の方には水が溜まっているようだった。
音の正体はこれであったかと得心する。
「兄さんが私をここに連れてきてくれたの」
くぐもった声は背中からのものだ。
ゼリーのような感触が首にまわされる。
腕だ。
そのままおぶさるように、肩にずしりと妹がのしかかる。
「兄さんが置いていった時に、嫌われたのかと思った。隠れてたところから出ていくら探しても、兄さんいないんだもの」
よかった、と切なそうな声を漏らし、ぽろぽろと妹の顔から雫が垂れた。
数匹の蛆であった。

突然眼前の淵から甲高いフルートのような音色が立ち上る。
到底上手いとはいえない、キリキリと耳に残る不快な音色だったが、それに勇気付けられて僕は妹を高々と抱え上げる。
きゃあと楽しそうな声を上げる妹を暗闇に投げ落とし、僕は一目散に駆け戻った。



響くチャイムに目を開ける。
寝癖そのままのみすぼらしい姿だが、いたしかたあるまい。
さすがに目のクマも、ヒゲもそのままのニートのような格好を知り合いに見られるのは勘弁だ。だがどうやら宅配らしいし、何も問題はない。
やけに魚に似た顔をした配達員から、これまた魚のように、少々生臭さの残る荷物を受け取った。
身に覚えはないが、また何か注文したのだろうか。
床に積み上がり、薄っすらと埃の溜まった本を見て、本棚がそろそろ入り用だなとため息をついた。
テープをハサミで切り裂く。
幸いなことに本ではなかった。
見た目には美しいままの妹の入ったダンボールをそっと閉じて、靴底のゴムを変えるのは何度目だろうかと思いを馳せた。

鏡を見て/鼻/眉毛

今日も学校に行っていない。「やりたいことは自分で見つけなさい」という自由意思を唯一授けられた大学生であることをいいことに、今日も私は学校までの坂が登れない。自分がやりたくてやったのだけど、少し忙しくて大変なことがあると、それに心身持って行かれて、すごーく疲れて親知らずが腫れて、ご飯食べられなくなった。弱いなあ情けないなあ、でも、親知らず腫れてるの外から見てもわかるレベルだし、今日も学校休もう。とかいう自己正当化をかます、甘いだけの毎日。

 

わたしがもっと可愛ければ。鏡を見る。本当に特徴のない顔だと思う。特別貶すところはないんだけど、特別褒めるところもない。華がない、と言われたことがある。確かに、すっぴんだといつも顔色悪いよ?体調悪いの?と言われて、ただ血色が悪いだけなんだけど、地味な顔だから余計言われる。赤いリップを塗って、普通の人の唇の色になれる。

けれどもひとつだけ好きなパーツがある。それが鼻。特別貶すところも褒めるところもないということが功を成している、素敵な鼻だと思っている。特別高くはないけど、特別低くもない。団子鼻でも、鷲鼻でもないし、上をむいているわけでもないし、鼻筋が通ってないこともない。なんて協調性のある鼻だろう。積極的に主張してこないけど、確実に他のパーツを邪魔しない、和をもって尊しと成せる鼻。もっと褒められてもいいと思う。

なのに今のアイドルさんとかを見ても思うけど、女の「可愛い」は目。目が大きい人が可愛い可愛いとちやほやされているように思う。だからみんなメザイクして、カラコンして、つけまつけるんやし。でもよーく見て欲しい。そのアイドル、鼻、ほんまにきれいか?低かったり、横に広がってたり、鼻筋通ってなかったり。絶対私のほうが鼻きれいやで。私のほうが確実に整った鼻してるで。

 

おんなのこにもある つけるタイプの魔法だよ

自信を身につけて 見える世界も変わるかな

 

そう、目は魔法のように大きさを変えられる。その、可愛いと世間で言われているアイドルさんも、お化粧とったら、魔法がきれたら、私と変わらないぐらいの目かもしれない。でもいいな、私は特に魔法をかけなくてもそれなりにきれいな鼻をしているのに、自信は身についてないし、きょうも学校行けてない。鼻なんてかけられる魔法はせいぜいシャドウぐらいやのに、目にありとあらゆる魔法をかけた女の子のほうが、どんどん現実とは離れていくのに、装備が強くなって、明るい顔をして家を出れる。羨ましい。

そう考えたら何なんやろう。すっぴんとはかけ離れた化粧をしていると見てわかるのに、目が大きい子を人は可愛いという。確実にそこに人為的な創作が入っているのに、そこには言及せず、可愛いと受け取る。なんかやっぱり、「目が大きい」から可愛いんじゃなくて、「目を大きくしようとしている」ことが可愛いのかもしれない。そしたら、「女の子は可愛くなろうと努力しているその姿がいちばん可愛いんだよ」とうあの言葉はあながち間違っていないのかも。

そういやこの前、好きな人に「俺のほうが目大きいね」って言われた。まあ事実なんだけど。私のほうが鼻はきれいだよ、とは言えなかった。これもたぶん事実なんだけど。

今日はちゃんと学校に行こう。