夕焼けパラレリズム/青春/けいと

公園のベンチに座り、俺は携帯を握りしめていた。

「……こうするしかないんだ……」

もう片手には、茶封筒に入った書類。

そこには俺の親友の身辺書類が一枚余さず入っている。
そして──奴の「入学辞退届」も。

封をして、ポストに放り込んで、それからあの高校に一本電話をかければいい。
それで、たったそれだけで、俺の第一志望校への道は開かれる。

俺とあいつは同じ高校を目指していた。
厳しい受験勉強、必死にやってきたつもりだった。
周囲の期待に応えるために、輝かしく見える未来への切符を手に入れるために。
けれど返ってきた結果は、奴は合格。
そして俺は………補欠合格 2 番手。
道は残酷にも閉ざされたように見えた。

───いや、そのまま閉ざされていてくれれば、どんなに良かったか。

後日、俺とあいつが通う塾から連絡があった。辞退者が一人出た、と。

「最後まで希望を捨てるな、もう少し待ってみよう」

────あと一人、辞退者が出れば…

受話器を置いたあと、背後に気配を感じ振り向いた。

「……うちによく来ていた彼は合格したんだったね」
「父さん………」
「こういう言い方もあれだけれど、彼、お父さんいらっしゃらないんでしょう?今入れたとして、学費とか卒業まで払えるのかしら」
「母さん………」
「……彼の身辺書類なら、私のコネで手に入らなくもない」父の一言に俺はその真意を悟り、同時に慄いた。

「それ……それ、って……」
「よく考えなさい。彼との友情がずっと続く保証なんてないわ。だけど、あの高校に入れば
……あなたを裏切ることのない学歴が手に入るのよ?」
「そんな……」
「母さんたちはあなたのためを思って言ってるの。あなたももう子供じゃないんだから、先々のことを考えられるわよね───?」

両親の言葉は、俺の今迄の人生における「絶対」だった。
俺はそれに従い続けてきたし、 それで「間違っている」なんて思ったことは一回だってなかった。
合格発表の帰り、入学式には桜吹雪が舞うだろう木の下涙を流して帰った。期待はずれの自分が嫌だった。
ただ泣いた。明け方まで。

「…………あの、どうかしましたか?」
「!」

突然上から降ってきた声に、俺はははっ、と顔を上げた。
いつの間にか辺りは夕暮れに染まり、知らずまた涙を流していた角膜に眩しい光が反射した。

「……大丈夫?」

目の前に立っていたのは、どこにでもいるような OL、と言った容貌の女性だった。
彼女は困ったように、しかし心配げに俺を覗き込んだ。

「あ、あの、突然ごめんね。その封筒の校章…私、そこの OG でね、つい」
「OG……」
「今年入学なのかなって思って見てたら、その……泣いてたから…どうしたのかなって」俺は焦った。何でもないんです、そう言って立ち去ればいい。
立ち去らなくてはいけない。

しかし、その言葉を放とうとした喉から漏れたのは、抑えきれない嗚咽だった。

「ご、ごめんね!ごめん!えっと……」
「違う…違うんです…俺、この高校には入れない…」
「……え?」

喋り出すと止まらなかった。
そこにいるのが見ず知らずの人間だということも忘れ、俺は胸につかえて膿みつづけていた思いを絞り出すように嗚咽交じりの言葉を吐き出した。

「………そっか…」

ひとしきり喋り終わったあと、彼女は小さく呟いた。

「その……わかる、なんて簡単に言えないんだけどね。私、高校には一度不合格してるの」
「………え?」
「君みたいに補欠合格ですらなくてさ。それでもうお先真っ暗。私見ての通り美人じゃないし、特別な才能もなくて。唯一出来るのは勉強しかなかったから、ここに入れないんだったらもう存在価値なんてないって思った」
「そんな………」

思わず俺が言うと、彼女はにっこり微笑んだ。

「だからね、私はもう一年やったんだよ。高校入るのに浪人するの、珍しいでしょ。情けない思いもしたけど、それでも何でも入れなきゃダメだって思い込んでたんだ」
「…………」

2 人の足元から、心を映すような影が長く伸びていた。

「で、翌年入ったら入ったでさ。自分より頭のいい子なんて掃いて捨てるほどいて、当然 1 番なんて取れなくて。もうプライドどころの話じゃなかったよ。 ……でもそれからいろいろあって、今こうやって大人になってさ。思うんだけど」

女性は俺の隣から立ち上がり、鞄を持ち上げた。

「世界は君が思うよりずっと広いんだよ。今は受験とか、お父さんやお母さんの言葉がすべてに思えるかもしれないけど──うん。
世界は、ずっと広い」

使い込まれたその鞄は、彼女の凡庸な髪型や服装とは全く雰囲気が違っていた。
たくさんのステッカー、結びつけられたバンダナや古びたキーホルダー。どこの国とも知れない言葉で書かれたサイン。半開きの外ポケットから覗く、色の変わったトラベラーズノート。

「……それでね、その広い世界を作っているのは、やっぱり人なんだ。
私は大学時代から放浪癖がついちゃって、今もふらっと海外とか、世界中どこでも出掛けちゃうんだけど、そんなめちゃくちゃの旅で困った時助けてくれるのってやっぱりそれまでに出会った友達とか知り合いなんだよね」

──その言葉に呼び出されて、俺の脳裏に浮かぶのは…あいつの姿だった。
2 人で同じ目標に向かっていたあの時間は、かけがえのない青春ではなかったか。
俺にとってあいつの存在は、今の世界のその先へと続く鍵ではなかったか。

どうしてあの高校へ行きたかったのだろう。
ただただ褒めて欲しかっただけ?親の期待に応えたかっただけ?安泰な将来が欲しかっただけ?

─────違う。

「俺は……」

………あいつと一緒に、同じ未来を追いかけたかったんだ。

「………あの」

そんな思いを読んだかのように、彼女は俺の手から茶封筒を受け取った。
そして、鞄から女性が使うにしては無骨な鋏を取り出し、俺に渡す。

(あの時この封筒を投函すればと思う日が、いつか来るかもしれない。
選ぶ道が違ったと思う日が来るかもしれない。
だけど…………)

───……ざくり。

「…………ありがとう、ございます」

切り刻まれた封筒の残骸を拾い上げた女性は、説教くさいこと言ってごめん、と眉を八の字にして困った笑みを浮かべた。
それに首を振り、鋏を返して頭を下げた。

小さく手を振った彼女と反対方向に、俺は歩き出す。
夕暮れの中、取り出した携帯からコールするのは、学校でも親でもない───親友の番号。

『───────もしもし?』
「……あの、さ」

─────これから、会えるかな。

たら、れば、もしか。
つまらない魔法の呪文はもういらない。
汚れた可能性なんか蹴飛ばして、この世界で俺は、あいつを待つ。

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