これまた昔の話/はな/山百合

“松尾芭蕉は、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と洒落ていた”

ラジオCMで一番好きなものを挙げるなら、迷いなくこれを選ぶだろうというものがある。TBSラジオで放送された、radikoのCMである。落語芝浜の魚屋、赤穂浪士、松尾芭蕉。江戸の街に鳴り響く時の鐘が、江戸の都市化によって聞こえにくくなり、文明開化にその役目を終えた様子を、高層ビルの乱立で通りにくくなったラジオ電波になぞらえ、パソコンやスマホから聴取できるサイマル放送サービスのradikoをアピールする。

このCMの要は何と言っても小沢昭一の語りだ。その独特な語り口と話題の切り出し方は、CMというより公演の始まりを思わせる。

小沢昭一と聞いてピンとくる人もそう多くは無くなっているのかもしれない。一言で説明しようにもその活動があまりにも多岐にわたるために、少々難しいところがある。俳優としてその存在感を示したり、記録に残りづらい放浪芸の記録に努めることも、俳優が小沢昭一一人の劇団しゃぼん玉座での活動もある。早稲田大学に在学中、日本初の落研を設立したのも小沢昭一である。あえて表すなら文化人といったところか。

だが小沢昭一の代表的な活動はやはり38年間続いたラジオ番組、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」であろう。平日の昼過ぎ、毎週テーマを決め、それについて架空の登場人物を使い様々な切り口で語り倒す。私はこれで小沢昭一を知った。聞き始めたのは小学生の時分だったか、ともかく面白い話をするおじさんだ、というのが第一印象。この番組は放送作家の書いた台本がある。だが、その語りはその身に経験したことを語っているのだろうと思わせるに十分だった。

そんな小沢昭一がラジオの新たなサービスを語るのだ。これ以上の宣伝効果は無いだろう。かくいう自分もその宣伝に乗せられた一人である。パソコンで聞くラジオに抵抗が無かったわけではない。だが、このCMを聞かなければ、radikoを聞くという選択肢すら無かったような気もする。現在、ラジオの主な聴取方法はradikoになった。

気が付けば、3年が経とうとしている。小沢昭一が亡くなってから、このCMが電波に乗ったのを聞いたことは無い。故人の出演には諸々面倒な問題もあるのだろう。ラジオのリアルタイムな一体感も捨てがたいが、こればかりは放送し続けて欲しかったと思う。それが、自分の中での小沢昭一の在り方なのだから。

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「これまた昔の話/はな/山百合」への4件のフィードバック

  1. すんなりと、読みやすかったです。radikoというパソコンやスマホという「若者」のツールにおけるサービスの宣伝に、小沢昭一という若者はぴんとこない人が多い人を使ったのはなんでだろうとなんとなく思った。

  2. 山百合さんのradiko、そして何より小沢昭一に対する愛や尊敬などのプラスの感情が溢れていて、失礼ながら珍しいなあ!と思った。鋭い切り口や吹き出せるようなオチを得意にする(と私は思っているのだけれど)山百合さんの話にしてはキレというか、山百合さんらしさが薄いように感じたけれど、たまにはこういうのも愛が伝わってきて良いと思う。ひとつ挙げるとすると、小沢昭一の紹介を試みている段落は逆に「伝えたい」が暴走して少々くどく感じたため、いっそ謎の面白いおじさんのような紹介でも良いかもしれない。

  3. 私自身、元となる作品を選ぶときに、歌でもいいのか?と少し心配だったのだが、ラジオとなるともう完全に音声で、不安な感じがして、でも確かに言葉であって、固めの文章の中で確実に読み手を納得させる重さを持っているから、おもしろく思った。
    元ネタの選択の新しさや、同じオマージュでもこんな直接的な形があるのだということなど、勉強になった。

  4. エッセイテイストの文章で、かつ自分の興味のあるものの紹介という構成上どうしても一人で突っ走ってしまいがちになると思うが、うまく均整が取れていて主張もしつつという文体で読みやすい。
    もっと小沢昭一について調べたり、実際にラジオの録音などを聞いてみたいと思った。

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