絵/はな/ボブ

私は画家である。若い頃、私の絵は評価された。嫌う人ももちろんいたが、そんなことはどうでも良い。私はよく風景と光の絵を描いた。朝の透き通った様子だったり池に反射するしだれ柳だったり。私はいつの間にか印象派と呼ばれるようになった。

私は稼いだお金で庭を造った。いつまでいても飽きない庭を。この庭が私の最高傑作といえよう。一角に薔薇の花を植えた。いわば薔薇のトンネルが出来た。その場所が私のお気に入りであった。私は何枚も何枚も同じ角度から薔薇の絵を描いた。花は美しい。季節ごと、いや一瞬ごとにその表情を変える。私はその一瞬を捉えたかった。そして、表情を変える薔薇の花を何度も描かずにはいられなかった。

私は年老いた。年老いてもなお絵を描き続けた。しかし、この頃なんだか視界が曇って見えるようになった。どうやら私は白内障を患ってしまったらしい。もう昔見ていた色とは全く違った色が見える。赤い色が泥の色に見えるようにまでなってしまった。

絶望

私の気持ちを表す言葉はこれしかない。晩年の私の絵を見た人々からは落胆と心配の声が聞こえた。色が奇抜になってきたのは目がよく見えないからではないか。輪郭も前よりぼやけている。絵の繊細さはどこへ行ってしまったのか。そんなことは描いている私が一番よくわかっている。苦しい。見えないということはなんと苦しいことか。制作活動をする気が起きない。しかしそれでもなお作品を作り続けた。それが私の宿命なのだから。それこそが私の生きる道なのだから……

とここまでが現在言われている私の晩年である。白内障を患ったのは本当だし、人々の評価が変わってきたのも本当である。しかし、私は白内障を患って絶望などしていないのだ。むしろそれを楽しんでいた。世界が変わったとでも言おうか。色の見え方、光の加減までもが昔とは違っているなんて。絵を描かずにはいられない。しかし、年齢のせいかずっとキャンバスに向き合っているのは体力的に辛い。だから晩年は作品数が減ってしまった。確かに絵のタッチは繊細さを欠くようになってしまったかもしれない。色も原色ばかりを使うようになってしまったかもしれない。でも他人がとやかく言ったところで私の見ている世界はその形であり、色なのだ。愚作なんてない。もし白内障を患った後に描いた作品が愚作であったなら、私はとっくに破り捨てている。でもそうしなかった。今見えている一瞬を描くことに価値があった。

私はまた薔薇の絵を描いた。

そして薔薇の花を青く塗った。

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「絵/はな/ボブ」への4件のフィードバック

  1. なんか、こ慣れない日本語を使っているなと読んで早々に思った。あと、序盤の絶望していると思いきや、というところは読んでいる人にはあまり関係がないので、いらないかなと思う。また、白内障という言葉が文中で浮いて見えるので、そこの処理をいかに行うか考えてもらいたい。

  2. 絶望という言葉を強調しているのに何故か非常に淡白で、さらりと流されているような印象だった。絶望という感情に重きをおくのであればもう少し工夫があってもよかったかもしれない。

  3. 色彩が失われるってことがどれだけ画家さんという職業において絶望的なことなのか、もっと感じ取りたいかな、という印象でした。たまに年齢に合わない言葉遣いがあるのが気になりました。

  4. 希望に満ちた、爽やかな文でした。
    終盤での、自分の状況に絶望しない心境がまとまっていたと思います。
    もう少しその希望に満ちた部分を読んでみたいくらい。
    知識がなくとも楽しめたと思います。

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