タイトル負け/書評/峠野颯太

 私は「家族」というものを知らない。いや、実際は知っていたのかもしれないが、今ではこれっぽっちも思い出せないのだ。友人から聞いた家族の話や、フィクションとしての家族の姿が、今の私の「家族」のイメージだ。その家族が病とされているタイトルからして、私は個人的に非常に興味を持った。
 
全体の流れとしては、現在の家族の在り方を、殺人事件の起こったニュースや、正月や盆のシーズンのインタビュー、電車で遭遇した親子など、非常に具体的な例を挙げながら問うている。筆者自身の家族や夫婦についても織り交ぜており、より比較のしやすい構造となっている。基本的に、現在の家族中心の考え方を筆者は批判しているようだ。結局最後は一人なのだから、家族の一員としてというより、自分は自分として考えるべきだと考えている。家族の枠組みとしてしか考えられないのはつまらない、家族にそして他人に期待するのではなく、自分に期待するべきだ、など納得のできる部分は多々あった。読んでいる最中、なるほどと何度か頷いたほどだ。しかし、「親の躾はどうなっているのか、と家族に責任を求めようとするから本人が反省しないのだ」と筆者は否定気味に言ったにもかかわらず、後から自身で「親の躾はどうなっているのか」と述べるなど、軸のぶれた部分が所々に見えたため、少し説得力に欠けているように思える。また、自分は絶対に正しいと思い込んでいる描写や、何かの例として自身の体験談を出すことはより論に現実味が増し、読者の共感を得やすいとは思うのだが、筆者はその体験談に自身の価値観を押しこみすぎているなど、客観性にも欠けているように感じた。「家族の話ばかりする人はつまらない」と言いつつ、「筆者の仕事を手伝ってくれる女性が、母親のことを話したくてたまらないという姿は微笑ましく羨ましい」とするのは、単に筆者の好き嫌いが関係しているだけなのではないか、と疑問を持たずにはいられなかった。これも先ほど述べた、軸のぶれた部分の一つである。

 総合的に見ると、夫を主人と呼んだり、血の繋がりを気にしたりといった、私たちの根底に常識として根付いている考えを違和感として批判しているという点では、読者の考えを見直すことができるきっかけとなるため評価できる。しかし、それらの意見は筆者が自身を正当化した上で論じられたものであるので、簡単に推薦できる本ではない。そのせいか、冒頭に述べたような興味を抱いたのはタイトルにのみであり、内容にはあまりいい印象を抱けなかった。

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「タイトル負け/書評/峠野颯太」への2件のフィードバック

  1. 非常に冷静に論じているという印象を受けた。このような文章を求められる場面もあるとは思うが、僕個人としては色のある文章の方が好きだ。また、最初に出てきた家族というものを知らないという話は導入としては意味がありすぎる気がした。回収されないし。

  2. 論の矛盾を淡々と指摘している文章で、すべて納得できるものであった。しかし、細部を分析していくことは、言ってしまえば、時間を掛けて読み込めば誰でもできるところで、もうちょっとオリジナリティーがあってもよかったかなと思う。
    最初の段落で、ただタイトルへの興味のために意味深なことを書いて、その後特に何も触れずなので、筆者の二の舞で主観的になり過ぎないように気をつけながら、もう少し膨らましてもおもしろかったのではないか。語りたくないから意図的にこうしているのかも知れないけど。

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