これを読んでどうしろと/書評/眉毛

下重暁子の「家族という病」(幻冬舎新書)を読んでみた。Amazonではベストセラーになっているこの本、はっきり言って、著者の自己満足である。

 

「私達は家族を選んで生まれてくることは出来ない。産声をあげた時には、枠は決まっている。その枠の中で家族を演じてみせる。父・母・子供という役割を。家族団欒の名の下に、お互いが、よく知ったふりをし、愛し合っていると思い込む。何でも許せる美しい空間・・・・・・。そこでは個は埋没し、家族という巨大な生き物と化す。」

 

著者の言いたいことはまとめるとこうだ。「家族って言ったって赤の他人だしわざわざ知ろうとしたりしないくせに、家族だからという理由でこの世でいちばん理解していると思い込んでいるのは馬鹿じゃないか。私は家族団欒とかいう幸せ空間が嫌いだ。」おそらくこんなもんだろう。私としては、前者の方はものすごく共感できる。馬鹿だとは思わないけれど、私達は、赤の他人ならお互いがお互いを知ろうとし、助け合ったり、またはどうしても許せなかったりするのに、どうして「家族だから」という理由だけで、こうもこの世の人間関係の最上位にその構成員を配置させてしまうのか。

 

しかしそれこそが家族の不思議というか、家族はそれを赦してしまう関係性だとは思う。しかし著者はこの本の中でだらだらだらだらいかに自分が家族というひとつの「集団行動」が嫌いかをただ愚痴っているように思う。そこに何も客観的な根拠は存在せず、ひたすら、著者の体験談か、著者の周りの人を見て著者が感じたことを根拠に話が進む。お前の家族がどうとか知らねえよ!!ひたすら、あなたの家庭であなたが感じていたことをつらつら述べられても、「私はこうだから皆もそうでしょ?」とはならない。

 

なによりいちばん意味がわからないのは最後の、著者から亡くなった父、母、兄、そして著者自身への手紙の部分だ。あれを読まされてこちらはどうすればいいのか。たしかに、著者の苦悩で私も共感する部分はある。しかし、あれを読んで読み手が何か救われたり、変われたりすることがあろうか。ただ著者が自己の救済、自己満足のために書いただけでしかない本だった。

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「これを読んでどうしろと/書評/眉毛」への3件のフィードバック

  1. 筆者はただ単に「嫌い」だからこんな文章を書いたんだろうか?

    この文章を読んで、僕も嫌悪感を覚えました。著者の自己満足も多くみられると思います。しかし、そこで止まってしまって「この本嫌い」で終わってしまうのはもったいないと思います。
    だって、「家族という幸せ空間が嫌いだ」なんて自己満足本がアマゾンでベストセラーになっているというのは不思議じゃないですか?(アマゾンレビューもぼろくそですが)
    何がこの本を買わせたのか、何で筆者はこれを書いたのか、考えてみると面白いと思います。

  2. この書評は大枠はこの本に対する嫌悪感を述べる形になっていますが、何か所か筆者の意見に同調しようとしている部分があります。おそらく同調の部分で自分はこの本をひたすらに嫌っているだけではないことを示そうとしているのでしょうが、本の否定部分の言葉遣いが荒いためにその効果を十分に発揮できていないのではと思います。また、最後の段落の「意味がわからない」「自己の救済、自己満足のために書いただけでしかない」という表現は本に対する拒絶の意思を強く示してしまうため、知的に書こうとした場合には良くないと感じました。
    一方、毒舌キャラみたいな感じでやるのも一つの手ですが、その場合は逆に批判方向へより突き抜けていく必要があるでしょう。

  3. この本は筆者の愚痴だ、といいながら書評を書く本人もこの本に対して愚痴っていて、面白いです。ただ、書評としてはどうなのでしょうか。書評というよりレビューのイメージをうけました。

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