カゾクトイウヤマイ/書評/JBoy

「家族という病」というタイトルが示す通り日本全体の家族礼賛的な風潮を、実際の生活に即して揶揄している記述のために論文調な学術書テイストよりも「家族」という自分たちの最も身近な存在を意識しやすく描いている。「家族を『個』としてとらえる」という新たな家族の切り口は、近すぎて見えない家族の様態を観察するのに大いに役立っているといえる。一方でいくつかの疑問点も残ったのでその点を掘り下げていきたい。

 

まず初めに文章全体に言えることだが、引き合いに出す著者自身の家族の様相があまりに特異ではないかという点である。家族のことを考えるきっかけになったという軽い叙述だけで済むならいいが、文章全体にわたって出てくる元軍人の父、愛情深い母、腹違いの兄がどうもいまいちピンと来ない。更にそこからくる妙な時代錯誤感も否めない。戦争に関する記述も多々あるが、我々今の若い世代は戦争を知らない。家族の様態の変化を考えるのではなく、家族という概念自体を考えるのではないのか。こうしたことから今現在の時間軸に即した家族の考察ができているのかは少々疑問である。

 

次に家族の生存中に歩み寄ることは本当に不可能なのかということである。「日々の暮らしで精一杯であり、相手の心の中まで踏み込んでいない」。家族が生きている間はお互いがお互いのことを理解しているつもりで生きていると。家族が死んでいなくなって初めて家族が自分にとって何を意味するのかを知ることができるのだろうか。

家族に関するありとあらゆるデータを収集し分析することで量的に家族を考えることはできるだろう。許されるかどうかは別として、量的な理解ではなく質的な理解をする一番手っ取り早い方法は、自分以外の家族を殺すことか。そうすれば家族が自分の中でどんな位置を占めていたかを過去形の形で理解することができるであろうが。

筆者は家族を理解することは自分を理解することだとして少し茶を濁した感があるのは自分だけだろうか。

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「カゾクトイウヤマイ/書評/JBoy」への3件のフィードバック

  1. なんとなく文章同士の繋がりが見えにくく、書評というフォーマットに翻弄されている印象を受けた。また、短い文中で二つの事を取り上げているため掘り下げが甘く、もの足りたさを感じた。書評というのは書を評するものである。その原則さえ守っていればどのような書評でも考えられる。もっと、自由になっても良いのではないか。

  2. 高校の時によく書いた?小論文を思い出しました。よく言えば、丁寧に順序立てて論じていて、悪く言えば、典型的でつまらない。私も人のことを言える立場ではありませんが、確かにもっと自由な、個性的な文章の方が読みごたえがありますね。

  3. 論の矛盾や筆者自体に突っ込むのではなく、自分なりの論点を持って書いているので、私にはむしろ新しく感じられた。
    2つ目の論点が消化不良であるような気がすることと、あとは、「自分以外の家族を殺すこと」とあるが、自分の手で行わなかったとしても、意識して殺してしまうのは、また少し違ったことになるのではないかと思った。

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