家族という病という病/書評/染色体XY太郎

私はこの本を読んでいて、非常に辛くなった。
あまりにも読んでいて気持ち悪かったのだ。
更に、この本は売れているらしい。
そのことにも戦慄した。
とはいえ、ただただ、気持ち悪いと述べてはただの悪口である。

この本の気持ち悪い理由、それはこの本に書かれている内容がまるで一貫していないからである。

例をあげよう。
筆者は話の話題に家族についての話が出た時、それはどうでも良い話だから、聞き流すのが得策だと述べている。
しかし、この本、家族についての本である。
さらにタチの悪いことに、筆者は自分の家族について詳しく述べているし、最後には感傷的な死んだ家族に宛てた手紙さえ書いている。これはどういうことだろう。
これだけではない、筆者は地域、国も含む大きな意味での家という概念を否定している部分がある。その中でも特に、血の繋がった家族というものについては忌み嫌っていると言ってもいいほどだろう。
その論は、「血の繋がりというのは何の意味もなく、家族といってもただの他人である!」といった風である。
だから彼女は血の繋がりではなく、思いやりで繋がった家族を作っている自分も含めた人間を賞賛している。
しかし、待って欲しい。
家族が血の繋がった他人であるというなら、思いやりのある家族も考えられるのではないか。なぜ血が繋がっているだけで忌み嫌わねばならないのか。
まだまだ、突っ込みどころは多くあるが、書いていてもキリがない。
そこで、なぜ筆者はこのような矛盾に満ちた文章を書くことができたのかを考えてみることにした。

普通であれば内容がまるで支離滅裂であることには気付くはずである。
しかし、そのことに気づかないのはなぜか?
それは恐らく、彼女もわかっていないからである。
読んでいると彼女は確かに家族というものを忌み嫌っていることはわかる。
しかし、驚くべきことに、家族に強い憧れをを持っていることもわかるのだ。
そして、どうやら自分の中にその相反する思いを抱えていることに気づいていないように思える。
そしてそのまま、文章にするとこのようなとんでもない本が出来上がるというわけだ。
そして、頑なにこだわる血の繋がりというワード。
血の繋がった家族を他人だというのなら、事更に嫌ったりせず、筆者がパートナーだという人や、社交辞令的に対応した大学教授と同じように対応すれば良いなずなのだ。
ここからわかるのはつまり、筆者ほど家族に固執している人間はいないという事。
家族という病の重症患者は筆者なのかもしれない。

あ、あともう一つある可能性はこの本が盛大なネタ本であるという事です。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「家族という病という病/書評/染色体XY太郎」への2件のフィードバック

  1. タイトル通り、病という病、という持っていき方が上手ですね。私は先週のスタジオに参加しないままこの書評に取り組んだので、正直堅い文章を、枠にはまらないといけないのではと考えながら書いていましたが、どうやらそうではないようですね。オチというか、最後の一文の言いたいことはわかるし、非常に効果的だとは思うが、拍子抜けだという印象も抱きました。もう少し書き方を変えたらより良くなる気がします。

  2. 今回、多くの人が筆者の論の矛盾に突っ込んでいたが、特に突っ込み方の表現が上手だなと思った。
    そして、矛盾ばかりだから嫌いだ!というところに留まらず、その本質に迫っており、それがあまりに的確だからおもしろい。
    この本自体、漠然と病的な感じが漂っているので、その根を明かして、タイトルを用いてうまいタイトルをつけているのはうまいな(?)と思った。
    最後の一文は、必要ないと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。