家族という病/書評/オレオ

この本は、筆者である下重暁子が、我々日本人が抱く「家族」への幻想を一刀両断するという主旨のものである。

しかし、結論から言ってしまえば、主観のみで語られるただの自己満足に過ぎない文章だという印象だった。全ての事例において、客観的なデータが一切書かれておらず、全て自己解釈または憶測で語られているため、説得性が微塵も感じられなかった。

内容の多くは筆者自身の体験談が、“皆んな本当の家族を知らない”という主張を裏付ける根拠として連々と書かれているのだが、何かと説得性に欠けている気がした。特に作者自身が父親、母親、兄の三人と分かり合う前に別れてしまったという体験談の結論は実に幼稚だと印象を受けた。

というのもこの筆者の個人的な体験と見解を根拠に作者は、

“私だけではない、多くの人間が、家族を知らないうちに、両親やきょうだいが何を考え感じていたのか確かめぬうちに、別れてしまうのではないかという気がするのだ。”

とまとめていたからだ。筆者の主観を大衆の意見として無理矢理こじつけ、それが如何にもそれが紛うことなき事実という風に述べているのだ。つまり、「私がそうだったから、皆んなもそうに違いない」というのと然程変わりは無いのではないだろうか。その後これについて何か裏付けや統計データが付け足される訳でもなく、ただふと思いついた作者の感想で終わってしまっており、実際何が言いたかったのかが全く解らなかった。

また、度々出される具体例がかなり表面的で、その解釈が非常に浅はかだと感じた。内容は、お盆の時期にテレビでよく見る帰省インタビューについてなのだが、それに対して筆者は

“「冬休み、何が楽しみ?」というリポーターの差し出すマイクに子供が答える。「おばあちゃんやおじいちゃんに会えること」「おもちつきと雪だるまを作ること」・・・・登場する家族はみな善人である。テレビの中で家族は善人でなければならないのだ。日々そうしたパターンを見せられている。”

と綴っている。要するに、純粋無垢な子供のコメントを、あたかもそれが善人ぶったコメントとして偽善或いは綺麗事だと完全な主観で言い切っているのだ。こんな無茶苦茶な論理で「ああ、なるほど」と納得して読む人はいるのだろうか。

そして終いには、

最近私がつくづく思うことがある。それは愛されると同時に、愛する対象が必要だということ。「子供が成長して膝がさみしい」と言った知人の評論家の言葉がよくわかる。私も最近。愛する者が欲しいと思うようになった。犬や猫を我が子同然かそれ以上にかわいがるのも同じなのである。世の中の夫婦の会話の中心が今やペットという事実はそのことを物語っている

という事実かどうかも判らないような小学生みたいな例を挙げて根拠づけしようとした挙句、「筆者がそう感じたからそれは絶対的事実なのだ」と言い出す始末。

結論として、この本は筆者の憶測や個人的見解のみで書かれた自己満足だというのが個人的な感想である。

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「家族という病/書評/オレオ」への1件のフィードバック

  1. 評するにあたり、本文を引用するという書き方はとても面倒だ。それをきちんとしてあることで読みやすさ、秩序だった論が読めた。
    この本を読んでいて感じたおしつけがましさを説明されすっきりした。

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