承知/書評/リョウコ

「私たち、家族なんだから」
居間には、母と、中二の私。よくある喧嘩、よく聞く台詞。その口論について、私は詳細を殆ど覚えていない。覚えているのは、そのクサ過ぎる古臭い、腐った台詞の衝撃だ。
分かり合えないはずがない、知らないことなど何もない。
母は、床に座りこみ、ソファにもたれかかって泣いている私にそう言った。
「そうだよね、ごめんなさい」
私は、その瞬間に、大人への階段をひとつ、確かに上った。家族を諦めた瞬間だった。
家族という病、とは、語感も大変よく、確かにある一定の層の目を引くタイトルだ。血のつながった父親、母親、子供。それぞれがそれぞれを尊重し合い、信頼し、助け合って生きるスバラシイ共同体。家族を信じて疑わない人々と、家族(それが家族制度そのものなのか、特定の人間に対するものなのかは別として)に不満を持つ人々。
その内容もまた大変刺激的で、攻撃的なものだ。血縁のある子、親を信頼し、分かり合えているという強い思い込みの元生まれた歪さを無いものとして幸せに暮らしている人間を、直接的な表現や言葉で批判する。目を覚ませ、わたしたちは何も分かってはいない。一つ屋根の下暮らしている、そのニンゲンは誰だ?
筆者は繰り返し言う。家族を理解することはできない。
当たり前のことである。父は、母は、兄は、家族の一員である前にまず人間なのだ。自分ではない、誰かを理解することはできない。筆者は導入で、親しい友人・知人とは分かり合おうと対話を重ねるが、家族は分かり合っているという前提で、それを行わない。分かり合えなさの原因は、その思い込みにある、と述べている。
家族は、最も近しい他人。
その認識は、大学に入り、一人暮らしを始めるよりも前から、私の中にあった。この本を、タイトルに惹かれ手に取った人間の半数は、そのように思う瞬間を、経験していたはずだ。
筆者の批判。血のつながりがあろうと、家族は、独の集まりである。
私にとって、何も衝撃ではなかった。
「私たち、家族なんだから」
赤い目に涙を浮かべ、私にそういった母にとっては、どうだろうか。

私には一生分からないし、分からなくても彼女は私の母親だ。

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「承知/書評/リョウコ」への3件のフィードバック

  1. 書評自体を一種小説的に作品として成立させる試みは面白い。だが、一方でその手法は立ち位置によっては、本の内容についての言及が薄なってしまう危険が伴う。そこの注意深さは大切で、現に今回の書評も自分の家族の話なのか書評なのかギリギリのラインである。しかし、方向性としては可能性があるので今後に期待する。

  2. 今回のAグループの中で1番枠をはみ出てて面白かったです。書評というより、一個の作品という感じで、ああなるほど、こういう書き方もあるのだと参考になりました。
    書評ってなんなんでしょ?先週参加してなかったからなのか、本気で迷子です。

  3. 新しい書評の形を開拓していておもしろかったし、締めくくりも上手だなと思った。
    しかし、本について言及している部分が、内容紹介のようなものに留まり、書評の「評」の部分が欠如しているのが惜しい。与えられたテーマやフォーマットから上手に外すのは、けっこう難しいけど、積極的に挑戦してほしい。

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