薄っぺらな家族という病/書評/フチ子

嘘くさい本だという噂は聞いていた。

定価で買うのは気が引けたため、BOOKOFFに向かった。すぐに見つからず、店員さんに聞いた。「『家族という病』売ってませんかね?」「ありますよ。その本はたくさん」。店員さんは少し呆れたような言い方だった。きっと大量に売りに出されているのだろう。100円で購入できた。

2015年、下重暁子著『家族という病』が大ヒットした。実の母(私にとっての祖母)との関係に悩む私の母も気になっていた本だった。まさに今、「家族」に対する理想像が世代や性別によって異なり、家族内で衝突が起こりやすいからこそ、このタイトルに多くの人が惹かれるのだろう。家族との間にこんなにも確執が出来てしまった自分は異常なのか、と悩んでいた人々が、自分は流行病である「家族の病」にかかっているだけなのだという確信を持ち、安堵する。ニーズに合わせた題名で、その点は評価に値する。

しかし肝心の内容は薄い。薄っぺらすぎる。

多くの読者は、筆者の強い信念で生きる私!ブイブイ!を読みたくて買ったのではないと思う。家族との確執に悩んでる人が、励まされたい、あるいは打開策を見つけ出したい、とこの本に頼っている。しかしこの本に書かれていることは、デキル女下重の新しい家族の形を作り出すための心構えであり、既存の衝突中家族やギリギリを保つ家族に対する考察や助言はほとんどない。「家族に血のつながりは関係ない」と小見出しをつけ、家族には精神的なつながりが必要であり、血がつながっているか否かは関係ないと強く何度も主張する。

たしかに、下重や下重の周りの人のように立派な人にとって、形骸化した家族を拭い去ることは可能なものなのかもしれない。正しい心構えさえあれば気持ちの良い心の通った家族関係を作れるのかもしれない。

しかし多くの読者は一般人である。血のつながりは家族にとって大いに関係がある。経済的援助は受けません、という強い意志をもって自分の家の名字を継がなかった母は、その決意通り祖父母からの支援を全く受けずに結婚生活を送っているが、祖母からの時折かかってくるヒステリック電話に悩まされている。「長女なのに私を見捨てて」と恨みつらみ言われてしまうと、どうすることもできないらしい。逃げられないし、どんな信念や理想を持とうかと選ぶ余地もない。ただひたすら我慢するしか道はないのであり、そこに絶望をして病んでいるのだ。内容は読者が求めるものに触れない、何の救いも納得もないものだった。

エッセイとしても面白さはなく、印象に残った言い回しも表現もない。最後の家族と自分手宛に書いた手紙は少し興味深かったが、結局、戦争は日本にとって視点を変える大きな出来事であったことを再確認するだけで終わった。

5段階中☆2つでもためらうほどの駄作だと私は思った。

 

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「薄っぺらな家族という病/書評/フチ子」への3件のフィードバック

  1. ここで読者という主語を使っていいのだろうかという箇所がある。著者の主張が一般的な感性と乖離しているという意見には賛同できるものの、その根拠に自分の話を持ってきてそれを読者一般の状況としていいのだろうか。個人的な体験から大きな主語に結び付けるのはこの本の批判されている部分でもあり、そこに同じように陥っていまいか。

  2. 読者に寄り添った文体は非常に読みやすく、個人的に好感が持てる。ただ、節々で本の内容以上に個人的な問題を書きたいという意思が見え隠れする。その為、書評ではなく、少しエッセイ的な匂いもする。だが、別にそれは悪い事ではなく書評は様々な形が考えられるのだから、もう少し書評の概念を固定化せず、自由に書いてみても良かったのかもしれないと感じた。

  3. 言葉選びは面白かったです。内容的には若干引きました。
    本の内容や感想、反論の根拠など押さえるところは押さえてると思いましたが、文体が感情的過ぎて説得力を失っているところがあると思います。怒っている感じしか伝わらなかったです。
    むしろこれだけ怒らせたあの本もすごいなと少し思いました。

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