書評じゃない/書評/のっぽ

提出が遅れ、ペナルティもわんさか溜まっていたので、コメントを他の人に書いてから自分の書評を書くというズルをしています。

本来であれば他の人の意見を知らないまっさらな状態でこれを書くべきなんでしょうが、どうしても他の人がどう書いているか知りたくなってしまいました。読んでる途中からAmazonのレビューとか見てたので結局同じことかもしれないですが。

 

僕がこの本に対して興味を持ったのは二点。ひとつはどうしてこの本がこんなに売れたのか、ということ。でもう一つはなんでこの本を書いて出版しようとしたのか、ということ。

 

一つ目、どうしてこの本がこんなに売れたのか。

僕自身この本を読んでいて、さらりと読めませんでした。それは内容があんまり面白くなかったから。だっておばさんの人生観を読んでいても面白くない。別段盛り上がるポイントがあるわけでもなく、おばさんが考えたことがだらだらと書かれているだけ。書かれている内容に対しての賛否を問わず、面白くなかった。

 

ただそこで出てくるのが、こんなに面白くない本が「なぜ売れたのか」ということ。それはやはりタイトルだと思う。家族っていう単語と病という単語のミスマッチ。これが人の気引くことは当然だ。ミスマッチと書いたけれど、それも別段違和感なく受け入れられるだろう。家族というのは、いいものだから。病の入り込む余地なんてないのだ。これは他の人が書いた書評とかを読んでいて感じた。

 

家族は「いいもの」。これって本当だろうか。そもそも家族を「いいもの」のままキープすることは可能ですか?だって、考えてみてください。家族は常に年を取ります。子供は乳幼児、幼児、小中高、大人へと成長し、それに伴って親も歳を取っていきます。いずれはヨボヨボになって、ぼけてしまうかもしれません。もちろん自分も。そうした中で家族内の立ち位置は変わってきます。親に扶養されるものから独立し、子供を扶養する側に立ちます。いずれは親を介護する側にまわっていくかもしれません。

そんな風に移り変わる中で、家族が「いいもの」であり続ける保証はどこにもありません。それなのに家族とは無条件で「いいもの」だという感覚だけが人々に共有されています。

 

僕が立てた仮説は、人々は家族が必ずしも「いいもの」ではなく、特別な人間である家族も実は赤の他人ということを心の底では知っている。しかし、そんなことを考えたら共同体は離散してしまうから、それをひた隠しにしている(無意識にそれを排除している)のではないか、ということ。人々がこの本に対して以上なまでに反応する理由にもなる(アマゾンの低評価の数とか)。必死に隠しているものをつつかれたから反応してしまうんじゃないの。これはあくまで僕の仮説だから、全然否定してもらってもかまわないし、馬鹿げてると思われても仕方ないでしょう。

 

しかしこんな仮説を立てられるぐらいに、この本が売れたという事実が奇妙であるということだ。なぜならみんなが家族を「いいもの」だって信じてたならば、こんな本は見向きもされないはずだから。

 

 

二つ目、何でこの本を書いて出版しようと思ったのか。

 

編集部だって馬鹿じゃないでしょうから、こんな本を出したら叩かれまくるってわかっていたはず。もちろん著者だって。

 

他の人の書評の中にちらほら見えたのが「著者が矛盾している」という指摘。確かに、筆者の主張は食い違っているように見えることもある。それは確かだ。ただし、それが家族関係へのコンプレックスから来ていると決めつけるのは違うんじゃないかと思った。

彼女の主張には2つの側面があると思う。ひとつは、家族に対するあきらめから成るもの。そしてもうひとつは社会に対する期待からくるもの。つまり彼女は家族という共同体はあきらめているけど、社会に対しては希望を持っているんじゃないか、ということ。で、そこで食い違いが起きているだけなんじゃないかな、と。

 

 

ここまで書いて「あ、これ書評じゃない」と気づいてしまいました。

なのでまとめ。

 

この本を読んで心が多かれ少なかれざわっとすれば、それでいいのかなと思いました。

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