あなぐらのなかで/嵐/五目いなり

湿った風が、ぴんと伸びた髭を揺らす。
一雨来るぞ、と気が付いたのは、真っ青な空に一つ、綿毛のような雲がもこもこと浮き始めた頃だった。

「こりゃあ嵐になるなあ」

猫が言う。
ネズミは草の陰から頭を出して、猫の言葉に頷いた。

「嵐になるね」

空は少しずつ暗くなり、猫は髭を撫でた。
撫でつける手を舐める猫の口が、ぽかりと開く。
鋭い牙は暴力的な白色だ。
それを割り裂いて現れるのは、柔らかく掬い上げる桃色。
いつか。
いつか、その牙が。その舌が。

「早く帰らないと、ヌレネズミになっちゃうよ。君はノネズミなのに」
「僕はノネズミだから、濡れ鼠にはならないよ。そいつらとは種族が違うんだ」
「へえ、そうかい」

猫は、くああと一つ欠伸をした。
ネズミは自分の髭を撫でた。
空は雲に覆われている。
ぺたぺたと張り付くような風が鼻先に纏わりつく。
雨の匂いがする。
細長い雑草たちが、体をぴしりと叩いて回る。
嵐が来た。

「君は帰らなくていいのかい。ご主人様が心配するんじゃないのかい」

ネズミは猫に尋ねた。
猫はネズミの顔を向ける。
金色の縁取りをされた黒い目が、ぐりんと動く。
猫が爪をしまった前足を、ぺろりと舐める。
いつか、その目が。その前足が。

「一緒に来るかい」

猫は髭を整え終えていた。

「行かないよ」

ネズミはそっぽを向いた。

「だって、君は僕を喰うだろう」
「うん、きっと、喰うだろうね」

猫は笑った。
もう一度「本当にいいの」と聞くので、ネズミは頷いた。
それを見ると、猫は空き地の塀に飛び乗った。
ネズミは何も言わずに、猫の背中を見送った。

鼻先に一つ、雨粒落ちた。
しっとりと濡れた毛が心地悪い。
ネズミは吹き始めた強い風に押されるように、自分の穴倉に戻った。

寝床の土は湿っていた。
足を踏み込む度、足に泥がついた。
ネズミは構わずに体を丸め、眠った。

入り口の細長い草が、ぽたぽたと雨水を落としていく。
ざあざあと、がさがさと、嵐の音が聞こえてくる。
ネズミは耳を塞いで、眠った。

夢の中で、猫はネズミに言った。

「君は、僕に食べられたいのかい」

ネズミは答えた。

「そうかもしれない」

ネズミは自分の尻尾を齧る。
味はしない。
美味しい様には思えなかった。

「君は、僕を喰うんだろう」

猫は笑った。

「君が、そう望むなら」

ネズミは目を閉じた。
猫は、口を閉じた。
とうとう、猫が口を開くことはなかった。

目が醒めると、嵐はとうに去っていた。
雨の匂いだけが、穴倉の中に残っている。
青い空には、嵐の前と同じ、雲が一つ浮いていた。

「やあ、どうしたんだい」

穴蔵の外には、猫がいた。
泥に濡れた前足を丁寧に舐めている。

「雨が上がったから」

ネズミは猫の尻尾に腰掛けた。
猫は笑った。

「溺れやしなかっただろうね。君はヌレネズミじゃないから、泳げないだろう」
「濡れ鼠じゃなくても、ネズミは泳ぐのが得意だよ。猫とは違ってね」
「そうか、それは失礼したね」

ネズミは猫の尻尾を齧った。
味はしない。
猫は驚いた様に、飛び跳ねた。

「何をするんだい」

ネズミは言った。

「君は、僕を喰うだろう」

猫は首を傾げた。
少し考えてから、猫は答えた。

「うん、きっと、喰うだろうね」

ネズミは目を閉じた。

「君が、そう望むのなら」

猫はそれだけ言うと口を閉じて、とうとうそれきり口を開かなかった。

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「あなぐらのなかで/嵐/五目いなり」への4件のフィードバック

  1. 猫やネズミが擬人化されているので、彼らを猫、ネズミと述べてしまうのは違和感を感じた。なぜなら、そう書くのは、人間が喋ったと書くのと同義であるからだ。さらに、最初の一文の時点で、猫が登場するということはわかるので、その感覚は強くなる。内容はさておいて、そういう点を直すとこなれた文章になるのではないか。

  2. 性愛の絡まない男女関係のような煮え切らなさ。タイトルや捕食者と餌の関係性から「あらしのよるに」を基にしているのだろう。それにしては相手を喰ってしまいかねない緊張感が無い。というか、最後の最後で喰い殺す展開を期待していた。これはどういう関係性を取り上げるか、個人的な趣向も入ってくるのっで物語の出来不出来で一括できるものではないだろうけど。

  3. 嵐の夜には、お互いに姿が見えないために読者がいつばれやしないだろうかと緊張感を持たされていました。かえって、五目さんの嵐の夜にはもう相手が見えてるのだから、同種の緊張感では成立しないのでしょう。
    究極に、利己的に、「愛してるから食べたい/食べられたい」という関係で、両者が皮一枚引っぺがしたら獰猛で戦慄する策が渦巻いている。でもそこには触れずに、穏やかなやりとりを続ける。この両者の「気づかないふりをしているのをお互いに気づいているけどたまに深淵を覗かせ確認しあいながらそこの表層で会話を続ける」という関係性が私は大好きなのだと思います。
    なので、文体自体はこれにあっていると思いますが、この突出した「あいしてるから食べる食べられる」という言葉に若干私は自分のフィルターをかけて悶えているようなそんなデータベース的消費を行っているような気がします(笑)。そこの核だけにとどまらないように、私だったらもっと会話を入れるかもしれない。宮澤賢治のやまなし的な、クラムボンには何一つ触れないような会話。「どこから食べる?」「うーん、腹かな」とか、一歩間違ったら怖いけどそのギリギリをお互いが愛しいと感じるような。

    1. すいません、追記です。つまりそのデータベース自体に惹かれない人もとりこんで、あわよくばそのデータベースを愛好するものとして取り込めたらその物語ってものすごくすごいものなのかもしれない。

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