嵐のようなひとたち/嵐/ちきん

友達が異常に少ないことで有名な私だが、大学に入って偶然出会えた、もえちゃんとフチ子ちゃんという、大切な2人がいる。何もない鳥取砂丘に半日滞在したり、たった3人きりで学祭にわたあめ屋さんを出店したりする、素敵なひとたちだ。これまで多くの時間を共に過ごしてきて、大切に思っていることは間違いないのだけれど、未だにときどき、一緒にいることを不思議に思う瞬間がある。それは、私たちがあまりに違うからだ。

もえちゃんは、入学式前日のオリエンテーションの日、私が事前に誰ともコンタクトを取らずに乗り込み、友達を作る努力もせず1人で座っていたら、最初に話しかけてきたひとだ。その頃はまだ、知り合いが誰もいないが故に愛想よく振舞うことができた私は、いい感じに彼女と会話をし、テニスサークルの勧誘の先輩などにも、自然な対応をしていた。もえちゃんには、わりと普通(?)の子だなという印象を抱き、彼女も私に対してそう感じたと思う。本性が現れ始めたのは、夏休みを過ぎてからだ。これは小学校や中学校のころからなのだけど、長期の休みを越えると、友達と再会したとき、以前どのくらいの仲であったか微妙に忘れてしまっていて、多くの場合けっこう親しかったように誤解して話しかけてしまう。たぶんもえちゃんもそれで、トイレから帰ってきた彼女は私に向かって唐突に、「この世の中で1番無くなったら嫌なものは、パンツかな。」と言った。彼女のリビドーはあらゆるところに拡散していて、人間文化基礎論のレポートでカレーの研究をすると言い出したり、授業中にAmazonでランドマークタワーよりも高く揚がる凧を購入したり、テルミンという楽器でバンドを組もうと提案してきたり、バイト先で横領をしてしまうかも知れないと告白してきたり、それは目まぐるしく移り変わってゆく。羨ましい。ただ、1番大切みたいな言い方をしたくせに、パンツを落としたり穴を開けたり、あまり大事にしない傾向にある点については、少し疑問に思う。

それに対してフチ子ちゃんは、リビドーが主に人に対して流れている。私と親しくなった理由も、仲良くなりたいという強い想いが、互いにコミュニケーション障害を発揮し過ぎて、ただただ気まずいだけの苦痛の時間を越えてしまっていたからだ。ただそれも、安定感と目まぐるしさのよく分からないところにある。彼女は、出会って会話した男性を、50%くらいの確率で好きになる。1年強交際していたひとと別れた翌日、どんなに弱っているだろうと心配していたら、だいぶ笑顔で教室に入ってきて、「次に付き合う人が決まった!」と言われた日には、いろいろなことがけっこうどうでもよくなった。この間、また別の好きな人(?)のバイト先に連れて行かれた夜には、帰宅後になぜか「もう頑張る気が失せた。諦めた。」と言われ、「B型の突然やる気を無くす運動」(https://youtu.be/DVL2xMu61vA)などがちょっと頭をよぎった。しかし、彼女はその場のノリと勢いで奔放に生きているのだと言ってしまうのは少し違う気がする。フチ子ちゃんは、人を分析するというか察する目が鋭い。そしてそれを的確な言葉で表現できる。さすが人が好きなだけはある。それから実は、同じように自分のことも常に客観的に見ることができている。その上で、すごく冷静に考えた上での、これなのだ。でも、呆れたフリをして、私はけっこう彼女のことが好きだったりする。恋愛観も可愛いと思うものも食べ物の趣味も、共感できるところは決して多くないのだけれど、全体的に見て、あらゆるものがなんとなく徹底されている感じが魅力的だ。あまり言い過ぎると、さらに自己愛を増強させてきそうなのでやめておく。

夫婦はだんだん似てくるとか、飼い犬は飼い主に似るとか、太っている友達がいると太るとか言うけれど、私たちの恋愛観や行動パターン、興味は時間が経っても似通ってこない。食べるのも思考もとろい私は、彼女たちのスピード感や行動力を羨ましく思うこともあるが、違っているからこそ気楽に絶妙な距離感で付き合っていけるのかも知れないとも、少し考えた。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「嵐のようなひとたち/嵐/ちきん」への4件のフィードバック

  1. 僕は全員知っているので客観的に見づらいけれども、愛に溢れた文章だなと思った。また、筆者のリビドーはどこに向かっているのだろうとも思った。ただ、このリビドーという言葉をなぜ使ったのかはよくわからなかった。僕はあまり詳しくないので間違っているかもしれないが、性的なニュアンスが強い気がするので、あえてこの言葉を使った意味が疑問である。

  2. ここまで誰かに思われる人っていいなあと、素直に羨ましく思います。それを表現できることも。私はどうしても他人との間に厚い壁を作ってしまいここまで思える、思われる友人などいないからです。
    自分語りになってしまいました。とても読みやすかったです。どんどん私の心を抉っていきました。あぁ、駄目だ、どうしても冷静なコメントができそうにない。

  3. ちきんさんの文章は常に愛があると思う。相手を認めていて、欠点もよしと、またはそれもそれでおしゃれだなと思わせるような書き方をする。見習いたいなと思うことが多い。結局、友達が少ないのも、しっかり内面を愛するまでに時間かかるし、それがちきんさんのスタイルに合ってる。LINEの友達になっただけで嬉しくなるのは、ちきんさんだからだし。

    しかしパンツを落とすって最初何言ってるかわからなかった。

  4. 嵐のような人たちというタイトルに、ちきんさんが受けた衝撃の大きさが集約されており、文体も彼女たちのスピード感とちきんさんとの乖離がよく表されていてうまいなと思う。
    リビドーという言葉はいろいろな解釈があって、性的なニュアンスに限った意味と、根源的な本能を指し示す意味である。
    日常的にはほぼ前者で使われると思うが、後者の方が自分が今回書いた文章とも関わりが深く、この点についてもワークショップで色々と話をしてみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。