嵐の前の静けさ/嵐/ボブ

突然散歩に出かけようと思い立った。午後9時、一人で家を出た。家を出た瞬間、風の匂いがいつもと違うような気がした。いや気がしただけではない。確かに違っている。息を吸うたびにもやもやが頭に広がるこの不穏な感じ。心臓の鼓動が早くなっていく感じ。言葉ではうまく表せないけれども。それにしても夜は真っ暗だ。分厚い雲は自然の光を一切遮断してしまっている。急勾配の階段を下りるのも、街灯の明かりがないと危険だ。その街灯には黄ばんだ蛾や黒ともグレーともつかない色をした虫が集まっていた。それを横目で見ながら進んでいくと神社が現れた。その神社は石でできた狐がその本堂を守っているようだ。狐は赤い頭巾をかぶって如何にも誇り高く立っている。そのそばを何やら黒い影が通り過ぎたかと思えば、狸であった。狐と狸の化かし合いがふと浮かんだが、狸はこちらに注目することもなくただただ通り過ぎて行くだけだった。

しばらくすると、大通りに出た。人はまばらで、友達やら家族やら恋人やらと楽しそうに喋っている人はいない。みんな一人で歩いている。商店街の方に進むとほとんどの店にはシャッターが下りていた。商店街の一角にあるコンビニには明かりがついていたが、なんだか無機質で浮いていて不気味だったから私は直感的に絶対に入ってはいけないと悟った。

駅に着き、横浜行きの電車に乗り込んだ。電車の中には人が結構いるが、誰も口を開かないし、顔を上げない。ほとんどの人が俯き加減で小さな画面を見ていた。私はといえば、ジーンケリーが歌うあの曲とマルコム・マクダウェルが歌う同じ曲を交互に頭の中で映像とともに再生していた。横浜に到着するとみんなそそくさと降りて行ったが、私はずっと座っていた。ふと前を見るとハットをかぶり全身を古ぼけた白い服で覆ったおじいさんと目があった。そのおじいさんが私に微笑んできたのだけれど、その顔がまるでオレンジ色のあの映画の主人公のようであったから思わずぞっとしてしまった。やがて電車は元来た道を引き返していった。

ふと隣の人の新聞を読んでみると、今夜は大荒れの天気となると書いてある。それも数年に一度程度の嵐らしい。こうして電車に乗っている間も着々とそれは近づいてきているのだ。乗車駅で降りると、やはりあの不穏な風が身体にまとわりついてきた。家を出た時よりも不穏な気配は強まっていたが、私は変に落ち着いていた。天気次第で電車が止まるかもしれないと引っ切り無しに伝えている駅員を無視して改札を出た。改札を抜けるとやけに静かな世界が広がっていた。私は静けさに酔いながら電車で再生した曲を口ずさみ、あのコンビニに向かった。

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「嵐の前の静けさ/嵐/ボブ」への5件のフィードバック

  1. とりとめもない日常。小説ともエッセイとも言い難いポジションの文章だという印象を受けました。
    小説と考えると、前後にきっと面白い流れがあるのだろうが、敢えてその真ん中のなんでもないところを切り取った感じ。エッセイと捉えると、エッセイは自身の見解を述べたり、何らかの味を出しているものが多いと思うのですが、これはちょっと物足りないような。タイトルが嵐の前の静けさですから、この文章の今後の展開が荒れるのでしょうか、コンビニで何があったのか、読者の想像に任せるというのは良いですね。

  2. 全てが曖昧で、夢の中にいるような文章だなと思いました。意味のない不穏さというか、不安みたいなところを僕も感じるのだけど、それは原因がわからないからこそ不安であるので、それがわかれば不安でなくなるというのは納得ですね。また、もしかしたら狐と狸に出会った場面ののちは位相の少しずれた世界、所謂異界に行ってしまったのかなとも思います。千と千尋のなにがしではないですが、神社はその入り口としてのモチーフによく使われますしね。結構好きでした。

    1. あ、あとあの曲やあの映画と曖昧ながら具体的であるのは、異界であるから記憶は曖昧であるが、それらが具体性を帯びている限り、現世と繋がっていられるという感じなのかなとも思いました。つまり境界にいるわけですね。で、最後は戻ってくるはずなんですけど、あのコンビニとしているのが不穏さを出しているなという感じ。

  3. ゆったりとした時間の流れも、これといった目的のなさも、本当にタイトルの通りの静けさを表現できていると思う。
    個人的に漠然とした文章は好きで、自分でもよく書くのだけれど、本当にただぼんやり何もなく終わってしまうと、何がしたかったのかまったく分からなくなってしまうので、歩いている間のぐだぐだとした思考に自分の伝えたいことを投影するなり、繊細な情景描写で絵的な意味を持たせるなり、読むものを動かす工夫を何かしら加えることを、意識しなければならないと思う。

  4. 全体的に靄がかった小説だなという印象。嵐自身という荒々しいものに注目するのではなく、その前の不気味な静けさに注目したが故の不気味さがよく表されていると思う。

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