ディストピア・フューチャー/嵐/ケチャねえ

ミルグラム実験

それは拘束された環境の中で、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。別名アイヒマン実験。ただし、この実験を行うと被験者の精神に後遺症を残すため世界中でこの実験は禁止された。

 

 

 

はずだった。

 

 

3015年.日本。1000年前の日本は平和主義、平等主義をかかげた国家だった。しかし今の日本はディストピア。つまり、ユートピア(理想郷)とは対になる、権力主義、徹底的に国家がすべてを管理する管理主義体制の国である。政府によってロボットが作られ、人間とロボットが混在する生活になっていた。

 

 

国家の手によってある実験の計画が実行されようとしていた。それは、生まれたばかりの赤ん坊に最低限の欲求だけを満たして育てた場合どうなるかというものであった。最低限の欲求とは食事、睡眠、排泄の3つだけである。もちろん、愛も光も与えない。1000年前から日本の少子化は進むばかりで、有効な解決策など一つも見つからなかった。そこで政府は、女性にたくさん子供を産ませて、育てるのはロボットに任せよう。と決めたのだった。

 

まるで恐ろしい計画のようにも思えるが、高齢者が増え、高齢者の年金を負担しきれない20代~40代の国民はこの計画に大賛成だった。

この実験の被験者として5人の生まれたばかりの子供が集められた。男の子2人に女の子3人。3015年1月、実験がスタートした。「少子化対策」という名のもとに。

 

 

 

 

僕はいわゆるニートで、母から働きなさいと耳にタコができるほど言われていた。たまたまコンビニで見ていた雑誌の横に高収入バイトという文字だけに魅せられ応募したところ、実験されている子供たちの世話をするロボットが、正常に動いているかをチェックする仕事であった。

実験が始まって早いもので7年が経った。5人いた子供たちのうち1人は3年ほど経ったとき病気で亡くなった。残りの4人の子供の様子と言ったら、生きているが、ただ呼吸をしているだけという表現のほうが正しいのだろう。皆笑いもしないし泣きもしない。感情がないのだ。4人が4人ともそんな様子なので政府のほうも新たな実験を加えた。1人だけ、願い事をかなえてやれ。と言った。願い事をかなえるために一日だけ外に出てもよい。と。その1人とはみさちゃんという女の子で大きな目に色白でとても端正な顔立ちをしていた。僕がみさちゃんに願い事はなんだと聞くと、たどたどしい口調で

 

「おほしさまがみたい。」

と言った。

 

 

次の日の夜、僕はみさちゃんを外に連れ出した。しかし、外は嵐。星なんて到底見えないだろう。だがみさちゃんは

「つめたいあめ。きもちい。」

ときゃっきゃっと笑っていた。僕はあいにくの天気を恨んでいたが、雨さえも知らない彼女から自由を奪った国家に怒りがわいてきた。だが、ただの仕事人の僕に出来ることは、今みさちゃんに生きる希望を与えることだった。

 

僕の必死の願いが通じたのかみさちゃんの願いが通じたのか今でも分からないままだが、僕とみさちゃんが芝生の上に座って話をしている間に、嵐が過ぎ、上には星空が広がっていた。まばたきを惜しむほど初めての星を見つめている彼女が愛おしかった。

 

 

 

 

 

だが、次の日仕事場で聞いた一報。みさちゃんが亡くなった。自分で首を絞めたそうだ。

 

 

7年間孤独だった少女にとって外に出れた一日は生きる希望を見出すと思っていた僕は愚かだった。みさちゃんはこの一日のあと、終わりのない孤独が続くことを察したのかもしれない。それなら幸せのまま死ぬことを少女は選んだ。

 

しょっぱい味を感じて初めて自分が泣いていることに気づいた。

この国は狂っている。だが、ディストピアになってからではもう遅い。

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「ディストピア・フューチャー/嵐/ケチャねえ」への4件のフィードバック

  1. なぜ、みさちゃんは言語を習得しているのか、また、なぜ星を知っているのかはよくわからなかった。また、ロボットによる管理社会なら、ロボットの修理自体もロボットにさせるのではないかと思った。あと、言葉でディストピアと文中に出してしまうのは読み限定してしまうし、陳腐に思えるので、出さなくても良いのではないかと思う。なぜなら、諸々説明したことがディストピアという言葉に全て含まれてしまうため、説明の意味が薄くなってしまうからだ。また、本当の意味で管理社会ならば、彼らはディストピアであると思いもしないだろうから。また、年数はぼかしてもよかったのかなと思う。3015年という数字に特別な意味があるなら別ではあるが。

  2. ミルグラム実験のことから書き出しているわりにその後出てくる実験がミルグラム実験とは関係なかったり、自殺方法が自分で首を絞めるというできるのか怪しいやり方であったりと、所々普通に読むにもおかしな箇所がある。というか物語のキモの部分である実験の目的と手法が合っていないのではなかろうか。その辺が合理的でないと国家の冷徹さが表れない。

  3. 世界観の限定をするため最初の方で詳しい説明をしていますが、これは個人の好みの話になるけれど、もう少しぼやかしたり話の中にうまく世界を溶け込ませたほうがナチュラルになるかなあと思いました。説明口調から突然僕視点に移るのは読者には厳しいので、その辺りを補完してあげると良いやもしれません。
    あとは他のコメントにもありましたがディストピアにディストピアと言ってしまうとなぜその状況から抜け出さないのかという理由がなくなってしまうのではないかと思いますので、その辺りは工夫してみるのもありかと。あとは物語内の不自然な点の理由を説明したり、雰囲気で流させたりするのも良いと思います。
    相手に百パーセント理解される文章も良いですが、雰囲気だけの小説も良いと思いますゆえ、いろいろな手法を試してみるといいんじゃないかなあという感じです。

  4. ディストピアに世界が向かっていったのも、今のディストピアは過去ではユートピアだったからこそ向かってきたはず。なので、ディストピアの光の面の描写もあったらただこれを理不尽だと思うだけでなく、理想を極限したらこうなるよとあう危機感を感じさせることができるのかなと。本で描写されるディストピアって、もしかしたら私もその世界を望んでいるかもしれないって思ってしまうのが怖いので。というのが最近伊藤計劃の虐殺器官、ハーモニーを読んだ私の意見です、

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