東京/においのクリスマス/山百合

「男女間の親和は全部恋愛であるとするなら、私たちの場合も、そりゃそうかも知れないけど、しかし私は、そのひとに就いて煩悶した事は一度も無いし、またそのひとも、芝居がかったややこしい事はきらっていた。」

 

クリスマスが近づくと、騒がしくなることは騒がしくなるのだが、自分の領域まで浸食されているとは感じない。それどころか、恋人同士よりもそれを疎ましく思う声の方が、自分の立場に近いだけに、煩わしく感じる。クリスマスに何かをしなければならない義理は無い。そもそも、一般的に思われているクリスマスの過ごし方にはさほど魅力を感じない。クリスマスは口実にはなっても、過ごし方に特筆すべきものは見当たらない。

恋愛とは、なんだ?究極的には、愛する二人が満足すればいいのである。それは、クリスマスをどう過ごすかには関係ない。楽しければ、それでいい。さらに言えば、より二人だけの共有する物語が積み立てられるのなら、その方がいい。だとしたら、よりにもよって皆が同じような過ごし方しか考えられないようなクリスマスはイベント事としてつまらない部類に入る。

幸いにも、今年の冬は良作映画に恵まれている。これを見て回るだけでもだいぶ気は晴れるだろう。模型もいい。組み立てたはいいが塗装を済ませていないキットが山ほどある。イルミネーションを見るのも嫌いではない。家族連れで埋め尽くされたヨドバシカメラでの買い物も、風流だと見てしまえばよい。

 

「私にはなぜだか、この子の喜びのほうが母の喜びよりも純粋で深いもののように思われた。」

 

とは言ってみたものの、いつもより口臭を気にしてしまう自分もいる。表向きは平静を装いながら、ギリギリ気にならないレベルを探ると、口臭程度が限度なのだ。それに気にするだけで特に工夫を凝らそうと行動に移すまでには至らない。誰に向けて言い訳をしているのか。勿論自分以外に誰がいる。純粋にクリスマスの空気を楽しむのも、何かを期待するのも、どちらも自然な感情だ。だからこそ、折り合いを付けなくてはならない。そちらの感情は留めなくてはならない。それは中途半端な態度を繰り返した経験則である。

 

「私は今宵の邂逅を出来るだけロオマンチックに煽るように努めた。」

 

太宰治『メリイクリスマス』より

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「東京/においのクリスマス/山百合」への3件のフィードバック

  1. 理知的でも飾らない感じが出ていて読みやすいしスッと入ってくる感じがします。一方で本文に対して引用があまり効果的に使われないように思いました。引用は微妙にかすっているぐらいにしか感じないため、話の起点かあるいは主張そのものにしてしまうといいと思います。
    個人的にはもう少しパンチを利かしたほうが好みです。

  2. センチメンタルだったり、抒情的にならない文章を読むことになるとは思いませんでした。クリスマスの楽しみ方とはどこで刷り込まれたものなのか、そういえば不思議です。
    クリスマス限定の過ごし方を否定しつつも、クリスマスらしさに引っ張られる心情。これ自体、よくあるものではないにしても、ものすごく珍しいものではないと思います。けれど面白く読めました。メリイクリスマスとの類似を探しながら、など読み方を変えることができるのも楽しそうです。

  3. 引用 が弱いように思いました。
    クリスマスの時期はリア充を愚痴る非リアがここぞとばかりに目立ち始めるのですが、それすらも俯瞰して見ている立場で物事を考えていますね。でも、恋愛とは、とか考えている時点でやっぱり折り合いをつけ切れていないんでしょうか。結局どこか中途半端な部分を自分でも自覚できているのかと思うとなんだかもの寂しい気持ちになりました。ガルパン楽しんでください。

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