生きる/目/YDK

どうして僕は生きているのだろう。自分を映す周りの人間の目を思うと、そう考えずにはいられなかった。

家族で過ごしているときは、自分にある息子という役割から、なんとなく生きようと考えることができていた。高校までも、クラスや部活動という括りで自分の役割みたいなものを自認できていたからか、まぁ生きていようと思っていた。

しかし、大学生になって変わってしまった。確かにサークルとか学部とかいろんなグループはあるのに、自分がつかめないことが多かった。他人から見ると自分はどういう立ち位置なのだろう……、そんなことを考えて鬱々とする夜が続く。他人の目。僕の世界は他人で構成されていた。他人から価値付けられない自分には何の意味もない。当然のことだ、他人がいなければ自分の形を知ることなんてできないのだから。だからこそ、能天気に自分がしたいことだけをしているやつを見るとむしゃくしゃしてくる。なんであいつらは他人にどう思われようとも好き勝手振る舞えるのか。僕は他人の目を気にして媚びへつらっているというのに。まぁ、これは自分が選んだ生き方なのだから仕方ないか。……なんてうまくいくはずもなく、常にやりきれない気持ちを抱えながら日々を生きていた。

他人の目を最優先して他人からの自分への価値付けに全てを注ぐ。友人が落ち込んでいるようなら、何があっても暇を作って電話をかけるし、バイトのヘルプに呼ばれたら深夜でも風呂上りでもなりふり構わず向かう。全て当たり前だったし、実際このような振る舞いのおかげで僕の周りには常に人が絶えなかったし、必要とされていた。だから幸せ……な、はずなのに。

僕は、毎日鬱々とした気持ちで日々を送っている。

どうしてこうなるのだろうか。確かに、人に感謝された直後は達成感と充実した気持ちでいっぱいになるのだ。でも、夜寝る前になるとそうは行かなくなる。不安で眠れなくなる。そして、冒頭の考えに至り、ぐるぐると思考を巡らせてしまうというわけだ。今日も、それは例外ではなかった。時計を確認するともう4時、確かに外が少し白んでいるような気がしないでもない。こうなったら、もう寝るのはやめよう。のろのろとベッドから立ち上がり洗面所に向かう。顔を洗って目を覚まして読書でもすれば1限の時間になる。眠れないのは痛いが、遅刻することに比べればどうということはない。

ばしゃばしゃ。きゅっ。ごしごし。

顔を上げた。自分の顔が目の前にある。鏡なのだから当然だ。鏡の中の自分と見つめ合う、数秒。

世界が、開けた気がした。

そこには自分の目があった。自分で自分を見つめる目。他人の目を気にして他人の目に良く映ろうとするあまり、自分の目に良く映ることを忘れていた。どうして気づかなかったのだろう、どうして僕は僕のために生きようとしなかったのだろう。僕は僕を見つめている、僕には僕という価値があるのに。それを自分で認めてあげることで、自分という立ち位置が確固たるものになるのに。

すべてがどうでも良くなった。もちろん、良い意味で。
他人のために生きることは自分のために生きることと同価値ではない。それは自分のために生きられない言い訳に過ぎない。自分のために生きる、自分の目で自分を見つめ、したいようにする……この19年間他人のために生きてきた僕にとってはとても難しいかもしれない、けど毎日の鬱々とした気分はきっとこれで晴れる。他人に媚びへつらうとかではなく、自分がしたいからする、そう純粋に思えるようになれば、きっと……。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「生きる/目/YDK」への5件のフィードバック

  1. あれだけネガティヴに色々考えていたのが一瞬のインスピレーションでこうも変われるものか、と一瞬思ったのですが、ぐちぐち考える人ほど理論的に納得すればそれでいいものかもしれないなと思いました。しかし少々考えているのを延々と聞いているとなんだか「そんだけ考える脳があってなんでぐちぐち悩み続けてんだ!」と言いたくなるようなくどさを感じました。これは文章云々ではなく内容と私の性格の相性が悪いだけかもしれませんが。
    どんな文章を目指してこの話を書いたのかいまいちわからないので助言のしようがないのですが、もう少し心の声を簡潔にしてみればいいかもしれません。これだけ明確に問題点を理解している人間に解決する気があるのなら、おそらくこんなに悩まないでしょうし、もう少し曖昧な点を設けてあげたらいいかと思います。その方がリアルにはない物語的なリアリティが出るのではないでしょうか。

  2. 突然の解決にうまくついていくことができなかったというのと、高校までと大学とそんなに決定的に違うかとか、自分より他人を優先できる優しさを持つ自分のことは愛せないのかとか、ぐるぐると考えさせられてしまった。
    でも、悩みごとなんて大概そんなもんで、周りから見ればなんでそんなことで?というようなことで、解決策も見えているのになぜかそこは避けて、自分が納得すればどんなわけのわからない方法でも終わり、みたいな感じ。それを表現したかったのか、自分のために生きろ!というメッセージなのか、よく分からなかった。

  3. とても共感しました。自分の普段思っていることを代弁してもらったような気持ちです。他人の目というのはどうしても拭えないものなんですよね。ただ自分の目を見ただけで全てが解決してしまうのは少し出来過ぎかなとは思います。あれだけ悩んでいたのだからあともうワンクッションおいて解決まで持って行くほうが違和感はなかったと思います。

  4. 私見ですが、高校時代は役割を自認していたから、生きようというのは、じゃあもし役割がなくなったら死のうということなのか、単純に毎日を送ろうという意味での生きようなのかがはっきりしないように感じました。
    他人の目を気にしながら生きるのも、他人のためというよりも、よく見られたいという自分のためのような気がします。

  5. 他人の目を意識しすぎてしまう人は、他人という曇りガラスに反射された形でしか自分を見ることができないのでしょう。
    そしてそれに違和感めいたものを感じるということは、実像としての自己と、虚像としての自己との差異を感じているからなのでしょうね。
    ただこんなのはごく当たり前の話で、気づいたら何てことはない問題なんですよね、結局のところ‥。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。