眼鏡事情/目/山百合

私自身が自分より酷い人はそうそういないのではないかというくらいに重度の近眼と少々の乱視で眼鏡を常用している眼鏡歴12年のだが、老舗眼鏡店である東京メガネのCMソングのフレーズで有名な言葉がある。「眼鏡は顔の一部です」というやつだ。

法的にどうかは既に顔の一部という判例が出ているとか聞いたことがあるので置いておく。だが法治国家であるということは、法に無批判に従うことではなく、法の在り方を常に検証していくことで健全に働くのだ。ということでもう少し掘り下げてみよう

まず眼鏡が顔の一部であるかどうかが議論の種になりえるのは、眼鏡が身体とは別のものであるという前提が共有されているからではないだろうか。人体とは別のものだから、と考えるのが一般的な感覚だろう。だが、人体とそうでないものの区別はどうつけたらよいのだろうか。現在ほとんどの人類は衣服を身に着けて生活している。衣服も人体で無さそうだが、全裸で生活している人間は考えられないし、冬場などは生きていくことさえままならない。それだけで生きるには定義に無理がある。さらに、食物のことも考えてみよう。食物はいつから人体の一部になるだろうか。食べた後のことを考えたらさらに乗っている状態で既に人体の一部と言えるし、吐き出すことを考えたら胃の中に入っていたとしても人体の一部とは言えない。さらに、その容量の大部分は排出してしまう。人体であることの境界は厳密な定義ができない。

そこで、社会生活を営む主体としての身体、社会的身体と呼ばれる概念に照らし合わせると眼鏡は顔の一部という言葉に説得力が出る。人間は社会的動物であるとはアリストテレスの言葉だそうだが、社会参加している状態を人間の身体として定義づけてもいい。ゆえに眼鏡が顔の一部であると言えよう。

ところで、私の場合眼鏡を選ぶときには極力目立たないものにしている。眼鏡のフレームは細めで、色は肌と同化するような地味な色合い。そう、だから特に黒縁眼鏡が好きではない。眼鏡をなぜあんなに主張することができるのだろうか。眼鏡を身体の一部として受け入れることができていないのでは、と非難したくもなる。というかむしろ自分が目立ちにくい眼鏡を選ぶのは眼鏡を自分の顔と一体化させようとしているとも言えるし、なんだかんだ自分の顔が好きなのかもしれない。

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「眼鏡事情/目/山百合」への1件のフィードバック

  1. もう少し人に読ませることを意識して書いてほしいです。最初の文節に至っては仰々しい漢字が多いにも関わらず読点がどこまで行っても現れないので、非常に読みたくなくなります。まぁ僕の活字慣れの問題でもあります。

    内容は、眼鏡は体の一部→自分が好きなのかも。と、多分伝えたいことに対して用いた文体が堅苦しくて不釣り合いな印象を得ました。

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