追憶/眼/温帯魚

「どうしようもない時は、熱いコーヒーを入れてクッキーを食べるの。そうしたらどんな嫌なことも、ちょっとだけいいところも見られるようになるわ。」
だから僕の部屋には、コーヒーメーカーと数箱のクッキーが台所に置いてある。コーヒーのカップは二つあるけど、片方はもう2年も出していない。いっそ割れてしまえばいいのにと、他の食器を洗いながらぼんやりと見つめる。

「外に行きましょう!こんなに綺麗に雨が降っているんだもの」
今思い出してみても、僕はあまり乗り気じゃない。雨の日は外に出るものじゃない。しっとりとした空気に君の騒がしさは似合わなかったし、雨はぬるくても濡れる服は不快だった。それでも、君が鼻歌しながらステップを踏んだこと。一緒にジーンケリーを見た後、一人で隠れて練習したとはにかんだこと。アジサイを見たこと。花屋で小さな鉢植えを買ったこと。帰ったあと風呂で愛し合ったこと。部屋の中で雨音を聞くと、ふと思い出す。

「神社とかお寺とかで手を合わせてお願いするじゃない。私あの時、いつもありがとうございます、お疲れ様です。っ思うようにしているの。そうしたら神様も、こいつはいいやつだ、っておまけしてくれそうじゃない?」
そんな計算も神様はお見通しだと思うよって言ったら、君はどんな顔をしたんだっけ。優しくてわがままで。そうやって人のことを考えるから、僕は君のそばが心地よかったんだろうね。僕は君を見習えているだろうか、少し考える。

「私ね、眼ってあんまり好きじゃないの。ほら、思い通りにならないっていうか。気づいたら全然意識してないはずのところを見ていたり。なんだとって怒っているはずが、涙があふれてたりするじゃない。もっとポジティブに、他に楽しいことがあるはずなのに、隠したい自分を忘れさせてくれないのが、やだ」
僕は君の眼は綺麗だと思うよ。ああ、でも。熱いコーヒーもクッキーも、君との楽しい思い出も、せっかく用意したのに。涙が止まらないのは、確かに困るね。でも、僕だけが年を取って、これも悪くないと思えるようになったよ。悲しいけれど、これは不幸なんかじゃないんだ、って。

また、好きな人ができたんだ。彼女が幸せになったら、僕も嬉しくなるような。君が祝福してくれて、それから熱いコーヒーとクッキーを用意してくれるといいな。わがままだけど、僕はそう思うんだ。

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「追憶/眼/温帯魚」への4件のフィードバック

  1. 亡くなった彼女に対する思い出が次々と思い出されてくるこの感じ悪くないです。普通に考えれば恋人に先立たれるのは不幸なことですが、自分を愛しているままの姿で終わるのだから必ずしも悪いことではないのではないだろうか。そんなことを考えさせられました。ただこれほどまでに元カノのことを考えているはずなのに新しい彼女が出来ているのはちょっと不思議にも思えます。

  2. 彼女は死んでしまったんだろうと読み進めながらわかって、切なくなりました。
    彼女の眼が綺麗なことが思い浮かぶような描写があったらいいなと思いました。

  3. 彼女の言葉を中心に話が進んでいくのは面白いと思いました。
    また好きになった人に昔の恋人を重ねてしまうというところに「僕」の強い執着を感じました。私には理解できないところだけど、そういうものなのかなとぼんやり思いました。

  4. やさしい話でした。台詞があって文章が続く形式が連続するのは、これはこれでいいと思うが、テンポが一定だ。台詞を入れるタイミングをそれぞれで変えていくと盛り上がりとかができそうで、全体を読んだ時にメリハリがつくのかもしれない。
    あと、コメントを見てて昔の人に対する引きずり具合にはやはり男女差があるのかな、と。

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