いやよ、いやよは/嫌い/五目いなり

壁を蹴る。靴底が土埃で白くなった体育館の壁に反発する感覚が、心地悪い。
蹴りあげた右足の向こうから、ひっ、と息を飲む声がした。視線を向けると、そこには怯えた麻希がいる。見開かれた大きな瞳に涙を浮かべ、必死に息を殺している。
ああ、むかつく。
弱くて、小さくて、子供か動物の様に怯えることしかできない麻希は、見ているだけで腹が立つ。抵抗しようなんていう意思と呼べるようなものは、きっと母親の腹の底か何処かに置いてきたに違いない。
「むかつくんだよ、あんた。そうやって弱い振りしてれば、守ってもらえると思ってる訳?」
「さ、佐々木さん……」
「気安く呼ばないで」
もう一度、足を振る。今度は顔の横を掠る様に、もっと距離を詰める様に狙いをつけた。どん、という音が空っぽの体育館に響いた時、麻希は硬く目を閉じていた。麻希の白い頬に、ピンク色の線が数本走った。もしかしたら後で蚯蚓腫れになってしまうかもしれない。
私は振りあげた足を、ゆっくりと麻希の肩に足を置いた。ぐり、と力を入れて足を押し付けると、麻希の身体は容易に倒れた。その軽さにも腹が立つ。
麻希は黙ったまま、地面に倒れて息を止めていた。まるで水中に沈んでいくみたいに、小さく震えながら、息を止めている。ぎゅっと瞑った瞳から涙が流れても、微動だにしない。
「抵抗してみなさいよ。怖いんでしょ。嫌だっていえばいいじゃない」
麻希は何も言わない。肩に押し付けたままだった足を放して、そのまま麻希の頭を踏む。閉じたままの瞳は相変わらず開かない。足に力を入れてみても、少し力を入れて蹴ってみても、何をしても麻希は動かなくて、殺された呼吸と震えだけが麻希が生きていることを証明している。
「あんた、何にも言えないの?痛いのに、怖いのに、辛いのに、あんた本当に何にも言えないの?」
「……」
目を閉じたまま私の言葉に耳をぐ麻希の姿は、嵐の中の雑草のようにも見えた。何も感じない様に自分を失くして、ただ荒氏が過ぎるのを待つだけの、雑草だ。
麻希は何も語らない。確かに感じている痛みや恐怖を言ってしまえば楽なのに、麻希は何も語らない。私は面白くなくなって、麻希の頭から足を放した。
「あんた、ほんとにうざいよ。つまらない。かわいくない」
去り際にはなった言葉も、麻希にはまるで届かない。嵐の過ぎた雑草は、まだ海の底に沈んだままだんまりを決め込んでいる。私は麻希をそのままにして、体育館を去った。

私は麻希が嫌いだ。だから蹴る。体育館に呼び出して、怪我をさせるかさせないかの力を与えて、怖がらせる。それでも一切抵抗しようとしない麻希が、どうしようも無い程嫌いなのだ。

翌朝学校へ行くと、麻希の机の回りに小さな人だかりがあった。目立たない女子が集まって、頬に小さなガーゼを張った麻希を取り囲んでいる。私は誰からも気付かれなかったのをいいことに、教室のドアの外から麻希を眺めた。
周りの女子の大丈夫?という下らない疑問に、麻希は笑って大丈夫だよ、と返事をする。どうしたの、と聞かれると、麻希は困った様に、あの腹の立つ小奇麗な作り笑いを浮かべた。
私に蹴られたと言えばいい。助けて欲しいって言えばいい。
私は教室のドアに背を向けて、麻希の言葉を待った。麻希の顔には、まだ困った作り笑いが張り付いている。三度目のどうしたの、という甲高い声が聞こえると、押しに負けたのか、麻希は口を開いた。
「私、佐々木さんって嫌い」
小さな声が、ぽつりと漏れる。麻希の冷めた、暗い声が、耳を突いて心を裂く。どういうこと、と問いかける同級生に、麻希は何も言わなかった。
私、佐々木さんって嫌い
ひたすらに冷たい拒絶が胸を抉り、私は思わず教室のドアを開けた。
「ねえ」
よく通る私の声は、怒りに震えているように聞こえたかもしれなかった。麻希はびくりと肩を震わせて、私を見て、目を見開いた。
「……ちょっと来なさいよ」
怯えながら立ち上がる麻希を止める女子は、一人もいない。麻希はまた雑草みたいな顔をしている。けれども、その根には拒絶があったことを知って、私は酷く、傷ついた様な気分になった。
「本当に、あんたってむかつく」
私の言葉は麻希をすり抜け、地面に落ちる。他に掛けるべき言葉を、私は今更思いつくことなんて、出来ないのだ。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「いやよ、いやよは/嫌い/五目いなり」への3件のフィードバック

  1. 人ってなんで嫌いだと感じている相手に近づこうとすることがあるのでしょうか?本当に嫌いなのか逆らうことができない主従関係なのか?
    情景描写はいいとは思うのですが、最初の部分で結構深い表現が使われているので全体的にもっとこだわったほうがいいと思います。

  2. センター試験の小説を読んでいるみたいです。表現が細やかで心情描写もわかりやすい。こういう話は女の子特有なものだと思います。「嫌い」って気持ち悪いくらいの関心の塊ですよね。もしかしたらそれを認めたくなくて、拒絶するように「嫌い」という言葉を使っているのかもしれません。

  3. 反動形成もしくは逆転ですね。わかります。しかし、こういう内容は結構やり尽くされている感じもするので、初めて読む感じはしなかったです。何か、一つ変わったギミックというか、設定が含まれていたらもう少し独創性が現れたのかなと思います。文章としてはこなれていて特に言うことはないです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。