身を尽くしても/嫌い/ノルニル

結局ぼくは、嫌いだと認めたくなかったんだ。


この世界にほんのすこし、「合わない」人がいた。趣味が合わないとか話が合わないとか、そういうんじゃない。きっと今まで生きてきた道が違うのかも。
自分のなかの「あたりまえ」が他人にとっては違う、そんなことは考えなくても知ってる。でもほとんどの人が一緒に持てるものってあるはずで、ぼくは今までそれを頼りにやってきて、それなりに周りの人にも恵まれていたつもりだ。

 

だからぼくは、「きらい」じゃなくて「苦手な人」と思うことにした。
きらいって想いで括って人をそんなふうに決めつけて切り捨てる。そんなことが、どうしてもできなかった。
その理由はやさしさとはかけ離れたもので、自分なりのやり方が通らないなんてことを認めたくなかっただけ。自分を否定されたような気持ちに耐え切れなかっただけで。
そうして全力でつきあって頼みごともきっちりこなして、迷惑をかけられても心から好きだと疑わないようにした。結果、得られたものはお礼のひとことも、謝罪のひと欠片もなかった。

 

最初に、見返りを求めちゃいけないって誓ったはずだった。
人には誠実に。これまでそれをずっと守ってやってきて、でも世の中には相容れない人もいて、もちろんそれは理解できる。
でも、どうしても縋ってしまう。これだけ頑張って、君たちに数えきれないほど与えて尽くして、だから少し、ほんのちょっとぐらい返してくれてもいいんじゃないかってそう願ってしまう。
期待しなければ失望することもないっていうけれど、今度こそ次こそなんども何度でも、がむしゃらに進んで針金の絡みついたからだに血がにじんでも、その甘い香りに酔いながら救われる日を待ち望んでいる。

 

「人間には、自らを傷つける人に惹かれる性質がある」という言葉を聞いたことがある。まさに今がそれなんだろう。けどそんなこともう関係ない。
例えこの身を滅ぼそうとも、まだ諦められないんだって、そう信じていたい。

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「身を尽くしても/嫌い/ノルニル」への4件のフィードバック

  1. 最初漠然と苦手な人という印象が、読み進めていくうちにイメージが特定されていく流れに感動をおぼえました。
    とても表現が自然で上手だとかんじました。
    好きと嫌いって対極にあると思われがちですが、紙一重なのかな、と。

  2. 常に誠実であろうという姿勢はすごく尊敬できます。大抵の人は諦めてしまうことなので…。返してほしいものは何なのか、気になります。
    最近私たちが意地でも嫌いという表現を避けるのはどうなのだろうと思わなくもないです。

  3. 諦めたくないという思いにすごく共感しました。自分がどんなに心を尽くしても相手がそれに報いてくれないことを、「自分が相手を好きだからやっている」と思わないとやりきれないことって度々あるなあ、と改めて思いました。

  4. 状況はよく分かりませんが、言わないと分からないこともあるんじゃないかなと思います。
    一つの考えに固まってる感じがあるので、別の視点も入れるとまた発展があるんじゃないかと思いました。

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