メスイキ/百合/ピーポ

AVにおける「百合」というものがイマイチうまくつかめない。

私は恋愛でも性愛でも、主体と客体の位置がイコールで結ばれることはないと考えている。
通常、恋愛と性愛、どちらにおいても男性側が優位に立つことが多いし、必然的に男性側が女性をリードする形になるだろう。
一部、女性に頭が上がらない男性もいると思うが、この場合もきちんと女性が主導権を握っているので、イコールではない。
ゲイでも同じだ。彼らは掘る・掘られるという構図が必ず出来上がっており、どちらかがその主導権を握る。

しかし、私の知る限り、百合だけは例外である。
もちろん、AVでしか知らないのだが、画面の中の彼女たちはお互いを等しく求め合い、等しく愛でているように見える。
女性特有の繊細なタッチでお互いの肌に触れ合い唇をついばむ様などは、まさにファンタジーである。
そこにはオスの性欲のようなドロドロしたようなものはなく、ただただ愛だけが強調される。
百合がキレイと言われる所以はビジュアル面だけではなく、このような精神的対等性や純真さが垣間見えるからなのかもしれない。

ただ、私には抜きドコロがわからないのだ。
通常のAVなら男優に自己を投影して抜くというのが一般的であろう。
もちろん、快楽によがる女優を見て興奮するのも、主体である男優に自己を同一化していると考えられる。
しかし男が百合を見る場合、客体はもちろんのこと、主体にもなることができない。
どうやって興奮すればよいというのだ。
確かにキレイな女性が性欲に溺れる姿は見ていて楽しいが、ただオヤジ的なスケベエ心がそう思わせるのであって、それは私にとって純粋な性欲とは似ても似つかないものなのだ。
ただひとつ残された道は、自分の歪んだ禍々しい性欲を「清廉潔白な百合」に投影し、自分の性欲の階層を格上げすることなのかもしれない。
自分の性欲は純粋であるからして、このような純粋な百合に興奮できるのであるというナルシシズムによる快楽だ。
しかし前述したように、百合の楽しむ自己心理が「オヤジ的なスケベエ心」という自覚を持ってしまっているので、これすら成立しない。
もはや百合を楽しんでいる自分を救う手立てはない。

そこで、私は問を立てた。
自己を客体である女性に投影することは可能であるか、と。
男性にもいわゆる「メスイキ」、つまり前立腺を用いたドライオーガズムを可能にしているものがいる。
性的興奮状態における彼らの心理及び快楽の程度は、女性のそれに非常に似ていると聞く。
彼らであれば、きっと百合を百合として楽しめるのではないか。

いま、新たな可能性が発見された。

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「メスイキ/百合/ピーポ」への6件のフィードバック

  1. 前提となっている、恋愛、性愛における、主体、客体の問題は余りに単純化されている気がして違和感を覚えた。そもそも、主導権の問題だけで、コミュニケーションを読み解けるのか。確かに、多いと述べているだけだと言われればそれまでなのだが、その点の乱暴さはイマイチ納得できなかったので、なんとも微妙な読後感であった。しかし、百合を嗜好する男のメンタリティの問題は興味深いので、話したい。個人的には「終わりなき日常」と関係しているのかなという気もする。

  2. タイトルにあるのにメスイキについてたいして掘り下げられないのが物足りない。

  3. 百合でもタチとネコという名前で主体と客体は存在するらしいです(詳しくは知らない)。そしてAVで抜くことを純粋な性欲というのはかなり疑問だと思います。射精の快楽と性欲を同一のものと見るのではなく、それらの複合的な結果として行為があるのではないでしょうか。
    個人的にはむしろAVの作成者あるいは出演者の感情が気になります。AVでネコとタチがないとするならば、AVでの行為はどのような意図で造られたのでしょうか。

  4. AVに通づるのかよくわかりませんが、百合を好きな男の人のツイートをまとめたサイトがありました。それによれば、男女ものの物語で主人公に思いを寄せる女の子の存在自体が信じられない(何か裏がないとおかしい)、主体が女の子に好意を寄せられること自体がフィクションだと。ここでは「読者が感情移入する装置としての主人公という概念にウっとなる」というツイートもあり、これは主体の男性に同一化することの拒否だと私は解釈しました。なので、百合を楽しむにはその辺が必要になってくるのかもしれないですね。

  5. なんとなくしっくりこなくて何度か読んだんですが、結局あまりしっくりこないで終わってしまった感じがします。性行為において男性が主体で女性が客体というのも、まあなんとなく意味はわかるし否定すべき点ではないのだろうとは思うのですが、それって本当に身体だけがあっての問題なのかな、と思います。ほら、SMとかありますし、ああいうのはどうなのでしょう。考えに含められるべき点が例外として処理されたが故に的を得ない単純化が起こってしまったように読まれます。
    私は百合と聞くとすぐに「BLの反対で同じように美しいもの!」という発想に至るんですが、それは所詮紙上の話であって、リアルではないのだろうと思います。ゲイビデオかなんかのネタがネットスラングとして大流行しているように、現実の肉体を纏って視線の中にさらされるああいうものはネタでしかないのかなと。現実にもホモとか百合みたいな綺麗な愛があればいいのに。

  6. 百合というテーマで小説ではなくこのような文章を書くというセンスにいい意味で驚きました。
    確かに男同士は肉体的な関係が主で、女同士は精神的な関係が主のために、興奮を得にくい気はします。男ではないのでドライオーガニズムはよくわかりません()が、一つだけ言わせてもらうと、現実の百合は美しいけど美しくないこともあります(笑)
    文章の感としては淡々とこのテーマが語られていることにふふってなりました!

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