ただの空論

「痛みが無くなったらどんなに良いだろう」

 

昔、誰かがこんなことを言っていた。

確かにそうかもしれない。「痛い」って辛い。だから無くなったら喜ぶ人は多からずいるのではないだろうか。頭痛持ちの人なんかは喜びそうだ。でも死亡率は圧倒的に高くなるだろう。痛みは危険を教えてくれるものだから、痛みが無くなったら病気の発見が遅れる、または、発見されず死に至るというケースが出てくる。自殺率も高くなりそうだ。死ぬ時に痛みを感じないから。痛みのない世界で死ぬというのは、言わば安楽死だ。万人が平等に安らかに死ぬことができる。こんな世界だったら安楽死や尊厳死の問題なんて起こらなかったかもしれない。もしかしたらそんな言葉さえ存在しなかったかもしれない。

痛みが無くなったら自殺率が高くなると先ほど述べたが、痛みが無いと生きている理由の一つを失う事になる。私が思うに、人間が生きている理由の一つに「死の恐怖」というものがある。恐怖というのは、痛みや苦しみといったとこだろう。その恐怖がなくなれば、自ら命を絶つ人がいても不思議じゃない。では、痛みの無い世界で私たちは何を頼りに生きていけば良いのか。それはきっと他人という事になるのだろう。親とか友達とか恋人とか。死の恐怖が無い分、生きている意味を他人に託すことになる。痛みが存在する世界よりもっともっと他人を頼って生きていくようになるのだ。他人の責任が重くなると同時に自分の責任も重くなる。それはまるで勢力均衡のようなもので、このバランスが少しでも壊れたら危険な状態に陥ってしまうかもしれない。

「痛み」を「心の痛み」というところまで広げて考えてみることにする。身体の痛みだけでなく心の痛みまでもが無くなるとしたら何が起こるだろう。失恋しても大切な人が死んでも心が痛まない。という事は、悲しみの感情が一切なくなってしまうということだ。人間の感情が「喜怒楽」だけになる。「哀」が無い人間が涙を流す機会といえば、感動した時、喜んだ時、角膜保護くらいだろうか。もらい泣きはない。もらい泣きは悲しみを共感した時に流すものだと私は思うからである。悲しみがなくなってしまうというのもいいかもしれない。泣いて相手を困らせることはないし、何と言っても自分が楽だ。

 

ここまで考えていたら「痛み」はない方が良いのかもしれないと思えてきた。でも他人に生きる意味を押しつけるのも自分にそれを押し付けられるのも辛い。悲しみを共有できないのも何だか満たされないような気もする……。結局どっちが良いのか分からない。

まあ、ただの空論ではあるのだが。

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「ただの空論」への5件のフィードバック

  1. 自分は割と痛みを感じることが多い人なので痛みが無ければいいということをよく考えるのですが、痛みのない世界って考えてみると恐ろしいですね。
    人に読ませる文章のような形になっていながら結局筆者のの脳内で完結している形になっているのでどちらかに統一できればよかったのではないかと思います。

  2. 痛みがない世界は嫌だなあ…。わたしは偏頭痛持ちでも、腰痛持ちでもないのでなんとも言えないですが。
    読んでて飽きはこなかったですが、少し涙というテーマとずれてしまっていたような気がします。

  3. 痛みがない世界は嫌だなあ…。
    わたしは偏頭痛持ちでも腰痛持ちでもないので、なんとも言えないですが。
    読んでて飽きはこなかったですが、涙というテーマに少しずれてしまったような気がします。

  4. 痛みがないというのは外界からの刺激に反応できなくなるということで、まわりへの反応も鈍くなり生きていてもそのうち心の痛みも感じなくなってきてしまうのではないでしょうか。どっちかではなくて、葉互いに関係しあっているようなイメージです。後天的か先天的でも変わってきてしまうだろうし、想像の余地は出葉ませんね。

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