泣く女

飾りじゃないのよ、涙は HA HAN

当たり前である。
お飾りで、アクセサリー感覚で涙を流せる女が本当にこの世に存在するのならば、一度会って泣いてみてほしい。

「泣いて許されると思っている所が嫌なのよ」
とは、中学のとき入っていた吹奏楽部の顧問の言である。
怒る女ならまだよかったかもしれない。叱れる女であったなら、どんなに素晴らしかったことだろう。しかし彼女は、キレる女だった。
予想できない動きで波打つ自分の感情の激しさに溺れかけ、思春期特有の感傷を常に引きずっていた私ですら辟易するほど、ヒステリックにキレる人であった。
彼女と叱る・叱られる以外の立場でまともに会話したことがない。ので、彼女の主張や考えについては、詰る言葉の端から漏れたものから想像するしかないのだが、彼女が女の涙を過剰に嫌っていたことだけは確かだと思う。
教師という一見正しそうな大人に強く攻められると、拗らせた自意識による感傷を煩う日本の中学生の殆どは受けた言葉の重さの倍傷つき、涙を流すのではないだろうか。
馬鹿みたいに素直で、(教師にとっては大変都合の)いい子だった私は、正しい大人に自分を全て否定するような言葉を投げつけられる度、息ができなくなり、安定しているはずの、優等生という中学での自分の立ち位置を見失った。
「だから、泣くなって言ってるじゃん」
「すみません」
「すぐ泣く女が世界で一番嫌い」
「ごめんなさい」
「泣けば許されるとでも思っているの?」

田舎の市立中学の音楽室に、暖房設備など無い。
乾燥した冷たい部屋で、大きなグランドピアノにもたれかかって、顧問の蛇のような鋭い視線をつむじに受けて、俯く私。
ひたすら謝っていた記憶しか無い。
どうして泣いてはいけないのかずっと考え続けていた。
公と私を分けよということか。
それとも、容易く武器になってしまう女の涙に甘えるなということなのか。
もしかしたら、もっと単純に、この人が泣いている女が好きでないだけなのかもしれない。

引退の日まで、何度も何度も先生は私にキレた。
私はその度に涙を流した。

3年の夏、顧問が産休に入るので、卒業式までは会えないと合奏の終わりに皆の前で告げた。
3年間の思い出を、震える声で色々と彼女は振り返っていたけれど、その内容や最後の激励の言葉など、私は全く覚えていない。
同期は、皆泣いていた。
西日を受けてギラギラ輝く大きな楽器を持ったまま、どの子もぐちゃぐちゃの顔で泣いていた。
それを見て顧問も泣いていた。

女が容易く泣いてはいけないのは、きっと泣き顔が一番笑える顔だからだと私は気づいた。
ブスだな、と私はスネアのバチを手持ち無沙汰に手の平の上で転がした。

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「泣く女」への4件のフィードバック

  1. 真面目な文章である。最初の一文であるアイドル曲の一節の楽しさを、次の一文で切ることで、文章の内容を物語っている点は面白い。だが、結論としての冷笑主義はそれ以上の思考の無意味さを読み手にも与えてしまうので、うまく使わなければ、読み手への敬意を欠いた結論に思えてしまう。さらに言うなれば、今回の文の流れもそれを助長していたということもある。それまで、泣くという行為の意味を考え続ける内容であった為、最後で投げ出された感覚を強く覚えるのだ。また、内容を詰めることも可能であろう。今後に期待する。

  2. 面白い導入だった分、何だか惜しいと思ってしまいました。そのままふざけるというか、面白エッセイが始まるのか、もしくは逆に真面目に語るのか。真面目に語ってはいましたが、感情に任せて書いたというか、中学の時の顧問に対する不満が手にとって見えて、これを受け取る読者は果たしてどういう反応を示せば良いのだろう、と考えてしまいました。前の方もおっしゃっていますが、最後の一文がそれをさらに際立たせているのだと思います。エッセイとは、別に笑わせたもの勝ちでも共感させたもの勝ちでもありません。自身をいかに文章で表し、(笑うという意味だけでなく)面白いものを書いたもの勝ちなのではないでしょうか。それを踏まえると、ただ怒りのままに読者を置いてきぼりにしてしまうこの文章は評価し難いかもしれません。

  3. 最初の、飾りじゃないよよ涙はハハ〜ン♪、いらなくないですか?こういう引用難しいですね。これのせいで、もう、この筆者が昭和の人としか思えなくなります。別に、そのあとの文章で何か今現代にだけに特有の事象について述べているわけではないので、特に違和感はないのですが、引用って難しいなと思いました。たぶん、歴史上の全人類の財産と言えそうな言葉とかなら平気なんでしょうが、こういう、「新しいわけでもないけど、特別さほど古いわけでもない、時代を代表し、誰しもがそれを聞いてその言葉の年代までわかってしまう」かつ「その時代の流行の歌」みたいなものを引用してしまうと、なんか急に筆者の年齢がその時代になっちゃうんですかね。
    なんか綺麗事ですよね。普段は厳しくて涙を許さない先生が、最後のお別れのとき、生徒が泣いてるのを見て自分も泣く、なんてすごく綺麗事でしかないし、それを冷笑してる筆者の存在すら綺麗事というか、ありきたりというか。そこがいまいち、この文章の、読みやすいのに魅力を感じない理由だと思います。

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