ポピュラー音楽:現シーン:チルウェーブ/春課題1/ジャムで窒息

はじめまして、来期より御世話になります、ペンネームを「ジャムで窒息」にした者です。「おもらしじょば子」とどちらにしようか、迷いました。

11日より課題が始まっていましたが、日々に忙殺されうっかり2週間分の投稿を放置してしまいました。失礼しました。そのかわり、第一回は2000字を目処に投稿させていただきます。宜しくお願いします。

さて、フリーテーマということですが、私はタイトルにあります通り現在のポピュラー音楽の流行ジャンルについて、その特徴や発達の経緯等を、隣接する/影響する他ジャンルを挙げつつ数回にわたってお話ししたく思います。多分に個人的な推測が含まれていますので、色々と御指摘を受けるやもしれませんが、取り敢えず私が大まかにインプットしてきた情報そしてそれらに対する感覚を基に述べてまいります。(そもそも関連文献がまだまだ少ない模様です。)

本題に移りましょう。まずお話ししたいジャンルは「チルウェーブ」です。別名「グローファイ」とも呼ばれ、境界が曖昧な「ウィッチハウス」「ダウンテンポ」とも同一視されがちなこのジャンルの特徴を概して言えば、”安っぽく単調なシンセ音を用い、落ち着いて涼しげ(チル:chill)に、マリファナの如く甘く気だるいクラブミュージック”と表せるでしょう。シンセサイザーに興味のない方のために補足しますと、シンセにも高級機種からインターネットで無料配布されている実験版まで様々ありまして、どれだけ複雑な音色をつくれるか、残響や”うねり”といった効果を加えられるか、出力される音質が良いかといった点で異なります。高級な機種をプロが操れば、まるで奏者の息遣いが伝わるほど本物のオーケストラに近い演奏が可能となりますが、チルウェーブの制作においては逆に「ポー」とか「ブー」とか、いかにも小さな機械で作ったような音を使います。いえ、重んじます。”落ち着いて涼しげ”と形容される所以は、強調された低音や滝の水流のような高音(”上モノ”)、柔らかなボーカル、くぐもったピアノ、チャイムの煌びやかな鳴り…等が特徴的な楽曲であるからです。またマリファナ的というのは、多用される極端に変調・加工されたボーカルや、”浮遊感のある”音響からきています。サイケデリックがお好きな方は、ビートルズやジミ・ヘンドリクスのディレイ・ギターが、LSDを服用した”トリップ”状態(幻覚・聴覚変化…)を表現していたことを思い起こすと伝わりやすいでしょう。なお、こうした特徴は後日紹介する「ドリーミーポップ」「シンセポップ」にも関連してきます。

流行は恐らく2010年前後からで、発表される場はインターネット上であることが多いです。文字だけでは伝わりにくいので、いくつか具体例を挙げてみましょう。

 

クラブ用の音楽にも関わらず、こうした気だるい音楽が隆盛を極めている(いた)のは非常に現代的だとも言えます。先進各国が不況に喘ぎ(特に世界の警察官であったアメリカの迷いぶり)、将来に大きく期待できなくなってしまった現在(まさにサブカルチャー概論で参照された『不可能性の時代』)、四半世紀前に流行ったディスコや初期エレクトロ・ハウスのようにバブリーな雰囲気は浮き立ってしまいます。また、ヒッピー・ムーブメントやパンク・ムーブメントといった音楽が大きな役割を果たした反動的文化(カウンター・カルチャー)は既に下火となり、成功したのか否かはともかく大抵は過去のものとして割り切られるようになってしまいました。そうした過去の明るい/熱意のこもった雰囲気に憧れたり、そうした潮流ないし文化を現代流に再解釈してみたりといった動向は、「ポストパンク」「ニューウェーブ」という方向、もしくはもっと最近だと「ヴェイパーウェーブ」「シンセポップ」等の別ジャンルに集約していきましたが、一方で実際の暮らしで感じる”醒めた/冷めた雰囲気”に適合したノリの音楽を求めた結果が「チルウェーブ」なのでしょう。また、小さな規模から生まれた現実逃避的な”聴くマリファナ”、として受け入れられている側面もあるように思われます。不気味と穏やかの中間、開放感と閉塞感の境界、どこか厭世的だったり、アンニュイだったりする、しかしジャンル名のとおり、それに乗って/乗せられて踊れるビートの”涼しげな波”が底流に流れる音楽が、「チルウェーブ」だと言えます。

このジャンルに関してもう一つ言いたいのは、「チルウェーブ」にはベッドルーム・ミュージックの性質がよく現れているということです。ベッドルーム・ミュージック、すなわち寝室でこそこそとパソコンや小さなシンセや MPC(複数のボタンに短い音を録音し、それらを組み立ててリズムを作れる装置です)を弄って作るような音楽だからこそ生まれる、シンプルな構成、眠気をさそうエコーのかかった音色も、このジャンルの隆盛に一役買いました。 そしてそうした作られ方と、主にインターネットを通じた発表のために、クラブ向けでありながらも「部屋で一人」という聴き方で十分楽しめる新たなタイプの音楽として発達した経緯があります。

アメリカ在住のXXYYXXというアーティストは、16歳の頃に寝室で物思いに耽りつつ、安価なシンセサイザーを用いて作った楽曲でデビューしたと言われています。彼は国内外の音楽フェスに出演し、2013年には来日しました。個人の心の内が彼の寝室で音楽になって現れ、少し感傷的になっている世界へとネットを通じて拡散し、彼の知らない大勢の人々の共感を得たのです。

いかがでしょう。初回投稿は現代の情報環境と不安感から生まれた新たな(といっても既に次のブームへ近づいているような空気がありますが)クラブミュージックの形態、「チルウェーブ」を御紹介しました。個人的に好きなジャンルでもありますので、御興味を持っていただければ幸いに思います。

MA・SU・O/春課題Ⅱ/JBoy

 

今回は意外とみんな知らないマスオさんについて書きたいと思います。実際この人物についてサザエさんの旦那さんくらいの認識しかないのではないでしょうか。正直今まで僕もそうでした。

ですがとあるところでこの男の情報が入ってきたために、もう気になって仕方がなかったので、今回の春課題Ⅱとしたいと思います。もはや無駄中の無駄インプットです。こいつやべぇなって思ってくれたら良しとします。

 

まずはマスオさんの基本データから。一応原作では1917年(大正6年)生まれの32歳(アニメでは28歳らしい)。出身地は大阪市住吉区。自分は大阪に土地勘がないのでいまいちピンと来ません。あと意外と若いんですね、マスオさん…。

そして今回の目玉びっくりの一つ、意外と高学歴!! 2年間の浪人の末早稲田大学商学部に入学し、卒業後には海山商事営業課に就職して現在の係長の地位に就くこととなりました。意外と知ってる人がいるかも…。

インターネットの情報ではサザエさん周辺の人物それぞれの学歴が出回っていますが、どれも情報ソースが不確定のためきちんとした紹介はしかねます。それはそれで本当だったら相当面白いんですけどね。例えば波平が京大卒とか、ノリスケさんが東大法学部出身とか(笑)。まぁいずれにせよ、マスオさんの情報はフジテレビの公式サイトの情報ですので確実であると思われます。

続いて2つ目のびっくりが磯野家に移り住んだ経緯です。見合いでスピードサザエさんと結婚したマスオさんは、当初息子のタラオと3人で磯野家の近所の借家暮らしでしたが、マスオさんが家の木製の囲いをのこぎりで勝手に切り落として薪にしようとしたところ、大家さんと大喧嘩して追い出されたため、現在のように磯野家と2世帯住宅で暮らすようになったとか。もう完全に頭沸いてますよね(笑)

 

そして最後にして最大の衝撃、特技です。1つめはお饅頭の中身を当てられること。

まぁこれはどうでもいいとして、問題は2つ目です。必殺「バック宙ホットケーキ!」。

ネットではSNS等を通じて出回ったようですが、知らなかった…。初お披露目は2010年9月19日の放送「パパはヒーロー」という回だそうです。

もうただただ無駄。これに尽きます。衝撃映像ですよほんとに。

 

 

いかがだったでしょうか。もう皆さんお分かりの通り彼、やべぇやつなんです(笑)。ですが、こうしてアニメのキャラ一人にフォーカスしてみるのもまた面白いものですね。

クソみたいな悩み(解決)/春課題①/なべしま

突然ですが、私には好きで好きでたまらない友人がいます。問題はその好意がどの範疇にあるのかなのですが、まずそれは置いておきましょう。
私は最近友人と話をする機会がありました。仮に友人Aとしましょうか。
このAは最近恋人ができたそうで、よくよく聞いてみるとその恋人というのはもともと友人だったというのです。
さて、私の中で一つの問題が浮上しました。友人に対する感情は果たして友情なのでしょうか、恋なのでしょうか。

いくつかのサイトをめぐってみたところ、友情なのか、恋愛なのかの区別には独占欲があるかどうかを決め手にしているところが多いようです。
中には恋なのか友情なのかチェックするポイント、という項目を上げているサイトがありました。具体的なものを挙げているものだとこんな感じです。
1・2人きりになりたい
2・ランチでも会えたら嬉しい
3・他の異性と話していたら嫉妬してしまう
4・困ったことがあったら相談したくなる
5・触れたいと思う
6・キスしたいなと思う
7・一生一緒にいたいと思う

https://www.pairs.lv/philosophy_of_love/2632/
「好き」ってどんな感情? 恋愛感情と友情を見極めるポイント
pairs(ペアーズ) – Facebookを利用した恋愛・婚活マッチングサービス

これどうなんです。基本友人みんなに当てはまるんですけど。ほかにも夢に出てくるだとか遊びに行くときに思わずにやけてしまうとか挙げられていたのですが、仲のいい友人は夢に出ますし遊びに行く前日など動悸がとまりません。
一番腹が立ったのは、恋は本能、友情は理性という言葉ですね。ええ?
子孫を残したいという欲求?ええ?
「くだらぬ者とは、(中略)肉体を愛の対象として愛をよせる者のことである。」というパウサニアースの言葉をつきつけたい(プラトン 森進一訳『饗宴』より)。
恋に夢を見すぎだとか、そういう自覚はあります。
結局は私はその友人に対する感情を、恋愛と認めたくないのです。そもそも私の恋には、それが恋だという保証はないし自信もありません。
未だに恋愛に運命や理想を見ている身としては、たかが私の感情だけ、それもなに一つ真実味のない感情だけで恋と認めるわけにはいかないのです。この感情が永遠なわけはないし、一度心が離れれば、再び執着もできないでしょう。といっても嫌いになることはありません。優先順位などありません。誠実さなどどこにもない、茫洋とした感情があるだけです。そんなクズがそもそも恋をしていいわけない。人の好意に応えていいわけないし、自分に恋ができると信じるのも最低です。恋ができる人ならいいんです。私はだめです、信じられないから。

とここまで考えたところで、単純にメンヘラクソ女がこじらせただけだと気付きました。
思うにかつての恋なんか下らない、私は恋なんかしないという考え方が拗れたのではないでしょうか。その上友達が少なく、友人の行動を好意ととらえ、これは恋なのではないかと思い込んでいる。そういうことで、この馬鹿らしい悩みは解決します。
長々と益体もないことを。ありがとうございました!
行き遅れたなあと困ることがあれば妥協します。

肩までゆっくり浸かりましょう

バイト代が入ったんですが、ここ半年ほどで大概のものを揃えてしまったのでいかんせんこれといった使い道がない。先生のようにオーディオに凝るには逆に少し足りないし、と思ったところにAmazonからのおすすめメールです。見てみるとデジタル一眼レフ用の交換レンズがズラリ。

これが最近流行りのビッグデータですね。顧客の商品の購入・閲覧状況を集積し、顧客自身よりも好みを把握しているわけです。
まんまと販売戦略にしてやられて悔しい気持ちもありますが、勧められた商品は趣味に合っていますし、何よりいいものであることに変わりはありません。値段も2万強と比較的手ごろです。
給料日も来たので、勧められたレンズをポチりました。

 

夜8時ごろにお急ぎ便指定でデビット決済したら次の日のお昼12時に即届きました。日本の物流ってすごいですね。
今回購入したのは『Nikon DXフォーマット AF-S NIKKOR 35mm f 1.8G』単焦点レンズ。
単焦点というのは、簡単に言えばズームが効かないレンズです。その特性を活かした明るさ、また美しいボケ味が魅力です。

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というわけで、さっそく開封してみました。花形の絞りが素敵。

AFとか1.8Gとかなんのこっちゃ、という方も多いかと思うので以下説明です。

まず、AFとは「オートフォーカス」の略。
自動でフォーカス(一般的にはピントと呼ばれていますね)を合わせてくれ、加えてAF-Sモデルではレンズ本体に超音波モータを搭載しているため高速かつ静粛なフォーカスが可能となります。
単焦点レンズではピントを合わせることが一番の課題になるので、このあたりはかなり重要になってきます。

続いて35mmという数値に関して。これはレンズの焦点距離です。理科の時間に習いましたよね。
ズームレンズだと18-55mmのように数値に範囲があるのですが、単焦点レンズはその名の通り一つの焦点しか持ちません。
ぼくの使っているD5500だと焦点距離35mmは目で見たままの距離感に近く、ファインダーを使って自然に撮影することができます。

f 1.8Gはこのレンズの特色ともいえる部分で、レンズの絞りを解放したときの明るさを指します。この明るさはf値と呼ばれ、レンズにどれだけの量の光を物理的に取り込むかを指します。
これは人間の目の働きにも似ていて、f値が小さければ(人間だと、目を見開けば)光を多く取り込むことができ、逆にf値を大きくすれば(目を細めれば)取り込む光の量を制限することができます。

基本的に、写真の明るさはISO(カメラのセンサー感度)・シャッタースピード(どれだけの時間シャッターを開いて光を取り込むか)・f値(どれだけの量の光をレンズに取り込むか)の3つの要素で決まります。
このうちISOは電子的なセンサーの性能に依存するので、よほどの高級カメラでない限り感度を上げるとノイズが出てしまいます。
また、シャッタースピードを遅くすれば(長い時間シャッターを切れば)画面を明るくすることもできますが、手持ち撮影では手ブレが起こってしまうため長時間の露光は三脚が必須となってしまいます。

ここでf値の出番です。f 1.8Gのこのレンズは、単位時間あたりに取り込める光の量が非常に多く、シャッタースピードを短く(手ブレを大幅に軽減)し、ISOの感度に頼らない(ノイズの少ない)撮影が可能となるわけです。
また、f値は被写界深度(フォーカスの合う距離の範囲。厳密にはこれが「ピント」です)にも影響し、f値が小さければ小さいほどフォーカス以外のボケが大きくなります。

先ほど人間の目の例えをしましたが、近視の皆さんは身に覚えがあるのではないでしょうか?取り込む光の量を抑えれば(目を細めたり、小さな穴から覗けば)、焦点の合う範囲が広がる(遠くのものが見やすくなる)わけです。その逆もしかりです。
もっとも、目が悪いからとあまりに目を細めるとガン飛ばしてるみたいになるので気を付けてくださいね。

 

説明が長くなりましたが、この単焦点レンズはf値の小さいレンズであるため、明るい画と美しいボケ味が魅力です。
実際に使ってみましたが、世界が変わりました。最高です。標準レンズにも慣れ、腕の上達に一定の限界を感じていましたがこれでもっと頑張れそうです。
さてさて、百聞は一見に如かずとも言いますし、ここらで試し撮りの成果をお披露目して締めにしたいと思います。

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最後に。ねんどろ沼、グッズ沼のような趣味と同様、カメラにハマった人間はレンズ沼にズブズブと嵌るようです。
かく言うぼくも標準、望遠、単焦点と足を突っ込んでしまった以上はもう抜け出せません。せっかくなので肩まで浸かる所存です。
さあ、次は広角レンズか、魚眼レンズか。今から楽しみです。それでは、また次回。

何の回し者でもないけど/春課題①/ゆがみ

みなさん割と長期休暇で情緒不安定になっているみたいですね。言うまでもなく自分もです。ただ一人でいると寂しいけれど周りにかき乱されて自分の予定崩れるのも嫌なめんどくさいタイプの人間なのでわざわざ誘ったりしなくていいです。まあお互い頑張りましょう。

さて本題。全国の映画館でやっている作品なのでご存知の方やご覧になった方もいるかと思いますが、中島みゆきさんの舞台「夜会vol18 橋の下のアルカディア」の劇場版を観てきました。

「夜会」というのは、1989年から中島みゆきさんが行っている「言葉の実験劇場」をコンセプトに行っている舞台で、中島さんが脚本、作詞、作曲、歌、主演の一人5役の体制である。(と調べた情報を使って説明したが、自分もこの劇場版の情報を知るまで中島さんの舞台の存在は知らなかった)

中身はというと、天下の歌手中島さんの舞台とだけあってほとんどセリフはなく、歌がひっきりなく続くスタイルであった。しかしながらノスタルジックな廃れた地下街の中で起こる、それぞれのルーツを持つ3人を中心に展開されるストーリーは一般的なミュージカルにはないものだと思う。それに加え、現代の社会問題や感覚的なものの表現などもふんだんに使われている。それらのほとんどをセリフに頼らず、より難しい歌での表現に挑戦できることこそアーティスト、中島みゆきの想像力の賜物であると言えるだろう。彼女は70年代から00年代の5つの年代においてオリコン1位の曲を生み出したアーティストで、割と最近にも朝ドラの主題歌を担当するなど長きにわたり幅広い世代から評価を得ている。また、有名アーティストへの楽曲提供も多い。自分もそれほど中島さんの曲を知っているわけではないが、その歌詞の中に広がるインスピレーションの世界にはほかの人にはない独特なものがある。そのインスピレーションが、歌とは比べ物にならないくらい長い舞台というものの中に現れることでより深い世界が作られている。

物語本体以外の部分でも感心させられる部分がいろいろあった。まずは、役者の歌のクオリティである。今回の舞台では中島さん以外に出番の多い役者が2人いた。出番が多いとなると当然その役者が歌うシーン部分も結構多いのだが、その2人とも中島さんに負けないとまではさすがにいかないが、それでもかなり高いレベルで中島さんの歌を歌いこなしていた。

次に、舞台装置。夜会は入場料の収入が数億円にもなる大規模な舞台であるため、要所で大掛かりな装置が使われていた。これにより中島さんの脳内に描かれたストーリーの実現が手助けされている。

また、映像化である。個人的には舞台が映像化されることで観る側の自由が失われているのが惜しい部分もあったが、調べたところによると表情がしっかり見えてよかったという声も大きい。まあこれは好みの違いや映像メディアの特徴というところに行きつくだろう。話すと長くなりそうなので今回は詳しくは語らないが、どこか別のタイミングで色々書くかもしれない。

ここまで長々と書いてきたが、ネタバレ防止のために内容にあまり踏み込んでいなかったり、自分の物語のテキストや中島みゆきに対する理解の不足があったりして、あまり素晴らしさが伝わらなかったかもしれない。そういう人は実際に観てみてはいかがでしょうか?観るものを圧倒する中島みゆきの作り出す世界にきっと何かを感じるはずです。

初めてだから優しくしてね/春課題①/三水

様子を伺っているうちに大分日を過ごしてしまいました。
ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。

初めまして、三水と申します。
~偏の一つ、「氵」とお考えください。ちなみに名前です。
読みは『さんずい』ですが、もし『みつみず』とか、あるいは『みみず』なんて素敵な読みをされた方がいらっしゃいましたら、そうお呼びくださっても嬉しいです。ゆくゆくは『みっちゃん』とか『さんちゃん』とか『ミミズのヤロウ』なんて呼ばれるほどに皆さまに馴染めたらと、勝手な夢想をしております。
来期から、どうぞよろしくお願い致します。

さて、今回は偉大なる先達mdegonthさんにならって自己紹介から入ろうと思い、投稿致しました。
その前にまず、なぜここまで遅れたのか。
言い訳から入るのも心苦しいのですが、そこも私らしいところ、自己紹介にはちょうどいいかと思いますので、お付きあいいただけたらと。

まず、課題の趣旨が掴みづらかった。
インプット?アウトプット?
文字数指定?
友人らの補足を受けつつ、自分なりに解釈。1/17日に一応一つ完成させる。
書いてはみたものの、『合っている』のかわからず、しばし様子を見ることに。
18日の23時からスマホ片手に待機。他の方の投稿を待つこと一時間。

思ったほどの数が見込めず締切について考え直し始める。

ただでさえクオリティもクソなのに新規が変なもん投稿して、『え、何勘違いしてんのコイツww』とか思われたら今後ゼミどころか一研に出入りできなくなってしまう。私にはやはり山奥にして最奥の三研がお似合いなのか。想像するだに悲しい(だが楽しくもある)ので、さらに様子を伺うことにする。

数日後、ようやく念願の新規mdegonthさんが投稿する。
なるほど自己紹介。
確かに、いきなりしれっと投稿するより(したらカッコいいけど)感じよさそうだ。
その路線で行こうと考え始める。

だがしかし、そんなこと望まれているのだろうか。どうせ出会った時の印象に塗り替えられていくのなら、その時その時に顔色を伺いながら軌道修正しつつ、少しでも良い『三水』を表すのが吉なのではないのか。
mdegonthさんは良い。文も雰囲気が掴みやすいし、実際の印象も『好人文青年(芸術系)』である。
(一方的に語って申し訳ない。来期にまたお会いしましょう待井君)
対して文も人柄もクソな私、自己紹介すら憚られるレベル。
いや、たまたまmdegonthさんのことは知っていたからそう思うだけで、他にも新規の方がいらっしゃるはずだ。知らなければ怒られるまい凹むまい。
少し待とう。友人らも皆投稿してないし。

さらに数日後、清田スタジオ生三人ほどと夕飯をいただく機会がある。
投稿をせっつきながら、自身のクズっぷりを聞いて頂くこと五時間。
少しメンタルを(マイナスの方向に)持ち直し、帰宅。

そして今日。
友人らの投稿もあり、ようやく心穏やかな投稿数まで落ち着き、さらに早い方は春課題②などの文字も見え、今度は俄然焦り始める。
ここ数日何をしてたんだおまえは。
クズがもったいぶってもクズなんだはよ出せ。

覚悟を決め、投稿を決意。

しかし、改めて考えると、今更感が否めない。
最初に書いたものを投稿してもよいのだが、温存しておくほどのモノでなし。。。いや、やはりここは自己紹介か。だがしかしこんなクズを。。。

悩んだ結果、ここに落ち着いた。
本末転倒もここまでくるといっそ清々しいが…… ともかく書く!
元々文章を叩き直して欲しくて入った場である。ここで批判を恐れてどうするのか。
そもそもテメーの文章なんて考えるまでもなく面白くねーよ。いいからとっとと出せそして叩かれろ。

改めまして、三水と申します。
社会コースからドロップアウトして来ました。スタジオ分属の際は絶賛風邪っ引きで正常な判断ができていなかった節もありますが、後悔はあまりしていません。
来春から、どうぞよろしくお願い申し上げます。

三水

これって課題的には『自分』を批評した文とかに……なりませんかね、やっぱ。

Soは問屋がディヂュント・ディストリビュート!前編/春課題①/エーオー

どうも、エーオーです。
スタジオがなくて情緒が不安定になってます。
これがインプットになるかどうかは正直微妙ですがね、奥さん。急速冷凍は鮮度を保つ! この情緒不安定さを冷却保存すべく自分なりに論理付けしていきたいと思います。

さて、私はよく「死にたい」と思うんですね。思うっていうか、すぐ口に出すしなんなら道で一人歩きながら「あー、死にたい」とか声に出しちゃう。むしろバイト中ひとりごとで「死にたい」とか言っちゃう。危ない人ですね。
でもよく言うじゃないですか。死にたいって言ってるやつに限って死なない、みたいな。本当はそんなにつらくない、みたいな。まあそうですよね。死ねないっす。リスカもむり。だって痛いのも苦しいのも嫌だし、私が死んだら葬式の費用が掛かる→家族に迷惑が! とか考えちゃうから死ぬわけがないんですね。その通りだ。まずはパソコンのデータを……。
それはいったん置いて、おいてもうちょっと私の死にたいはどういう死にたいか考えてみたんですね。

結論。どうせなら超越的ななにかに殺されたい。
超越的、つまり神さまです。別に既存の宗教じゃなくて、私のなかの絶対の規律。それに背いた生き方をしたら殺されるシステムがほしいんですね。
さて、私の規律は何かというとめちゃめちゃ生産性のある日々を送ることですね。生産性とは、ここでは物語を生産することを指します。よりよい物語をつくるために、毎朝七時半くらいに起きて本を読んで映画をみて、ノートをとって勉強しそして書く。書くには体力も大事です。ジョギングを日課にして、ご飯も規則正しく食べて身体も健康体にするぐらいの管理能力は欲しい。そして、大切なのが人との関わり。人は人と関わることによってかけがえのないものを得ますからね。その時に感じた気持ちが物語になったりします。うん、大事大事。
まあ、ここまで来たら後の展開はお分かりでしょう。起きたら10時だったとする。
はい、終わった。もうその時点で死にたい。生産的じゃない。もうその時点で二時間半のロスが出てて、その時間意味のないことに使ってしまった。そんな無駄でクズでゴミみたいな自分は生きていても価値がないから神さまどうか存在を抹消してほしい。そう思うわけですね。すごく中二!
つまりはそういうことなんです。これは神さまじゃなきゃダメで、交通事故とか誰かに殺されるんじゃ納得がいきません。キレます、むしろ。複雑な乙女心! 私は痛みも苦しみもなく、ただ私の信じる神さまにころされたい。っていうか、規律に背いたら殺されるという脅しがあれば、私は自分でたてた規律を一から十まで守って完璧に正しい人間になれる! そういうことを夢見ているんですね。

「適応」
ただ、冷静に考えて「死にたい」と思うなんてメンタルが弱すぎるじゃないですか。
ネクラ過ぎない? やばくない? じゃあもう死んだ方がよくない? むしろその方が社会のためにならない? どうせそのメンタルの弱さじゃこのさき生き残れなくない? 生物的に弱肉強食じゃない? 弱い個体は生き残れなくない?
さて、ここで片手にあらせられるのは斎藤環による『関係する女 所有する男』。私はこの本を読んで以下の部分に目を輝かせたわけですね。
(※以下の記述は一部私の誤解により真実が歪められています。最後までお読みください)

まず、斎藤は『現代の人間に「生の欲動」と「死の欲動」の矛盾する二つの欲動があるとして』います。そして、「適応」という言葉を用いれば、その二つの欲動を納得がいくものとして説明できるというのです。

「生の欲動」については説明するまでもないだろう。ならば「死の欲動」は? こちらも説明可能だ。心理的葛藤に弱い個体が自殺によって淘汰されることで、集団全体が病理に犯されずに生き延びることができる、といった具合に。
(斎藤 p79)

まじか!! じゃあ「死にたい!」という衝動は、より強い種を維持していくために弱い個体を滅ぼすスイッチの様なもの!? これいけるんじゃない? わたし死ねるんじゃない? 超越的な存在とはつまり強者の種の保存のために君臨している生物の原理の神なんじゃないか!!? やった! 勝ったぞ! 神さまどうぞスイッチを押して私をころしてくれ!!!

ところがどっこいそうは問屋がdidn’t distribute。
ここまで考えたはいいんですけど、続きがあるんですね。
さて、まあよく読むと実は斎藤はこの「適応」によってすべてを説明づけることに疑問を抱いているんですね。「適応」は人間の心理において関係がないとは言えないが、心理すべてが「適応」を目指す単純なものであるとは思えないとはっきり述べています。たとえば、ひきこもりという現象も、外に出ないことでウイルス感染を避けられるという点においては種の維持のための「適応」行動であると。つまり、上の引用は反語的なものだったのです。

あ、そうですか。
はい神は死んだ!! 私を殺してくれる超越的なものの存在が否定された!! 強い種の保存のための自殺へ向かうスイッチなんてどこにも存在していないと言うのか。だめだ……もうだめだ……死にたくなったら自分で頑張って死ぬしかない……。

後編予告:「適応」の名のもとに、自分のようなクズ人間の存在は超越的な神さまによって抹消されるのではないかという希望を夢見たエーオー。しかし、儚くもそれは打ち砕かれた……。次回、更なる試練がエーオーを襲う――グールドの『ワンダフル・ライフ』を片手に持って、こうご期待!!

 

参考

斎藤環「関係する女 所有する男」2009 講談社

飲んでないよ!/春課題②/温帯魚

ぼっちはねぇ、辛いんだぞ!俺だって誰かと遊びたいわ。誘われてもビビッてたぶん断るけど。普段から仲がいい人がいないとね、こうね、世界滅びないかなぁとか三日に一回ぐらい思うわけですよ。ツイッターとかで知り合いが海外言ったみたいなのを見るとね、ああ俺世界に何も関わってないなって。自意識がもうヤバい。マジヤバい。マジヤバーい。お酒飲みたいけど家の周辺は年齢確認がきっちりされてんですよ。茶すすりながら映画見ろってか。こうね、頭のネジ二本ぐらい外して生きていたい。芸術家みたいなお金の稼ぎ方をしたい。したくない?社会の歯車とかなれる気がしねえわ。なりたくないの前になれる気がしねえわ。もう一種のあこがれですよ、憧れ。憧憬。なりたくないけど。

という訳で今回は経験って大事だよねっていう話です。横浜美術館の「村上隆のスーパーフラットコレクション」と、「緊急開催!!村上隆、再びコレクションを語る」に行ってきました。

まずはコレクション展のほうから。焼き物とか現代美術とかが所狭しと並べられていて、ただただ圧倒、みたいな。僕大体なんにしても一回目は感動しかしないので分析とか苦手なんですよね。だからその位の感想しか出てこないです。焼き物は茶碗系が好きですね。手触りとか、色の濃淡とか、そういうのが気になります。ああ触ってみたい、的な。ああいうの持ってたらこう心が沸き立つんだろうな、みたいな。現代系術系は、なんでしょう。美術館でそんな照明アリ!?みたいなのが記憶に残っています。ネオン良いよね。とりあえず色が印象的な奴と、後はデカいのが単純に惹かれました。デカい写真とか、対象がたくさんあるドローイングとか、そういうのにグッときます。以上。

で、村上さん本人の話について。終始お金の話でした。この茶碗はいくらしたとか、当時高かったものが今すごく安くなった、とか。
つまり価値の話でした。芸術品には高い価値が付けられるものですが、それはいわゆる物語によるお金だ、と。一千万で買ったものが百万でも高いと言われても、村上さんが持ち続ければそれは価値のあるものになる、らしいです。もちろん美術館に展示されるのは空間芸術ですから、時間芸術で価値が語られることはおかしいように思えます。しかし私たちが判断するための概念は他者から受け継いだもので、つまりそれは物語だ、みたいな。結局、複雑だ、って言っちまえばそれだけの話なんですが。お金を儲けるためかどうかによっていろいろ変わってきますしね。消費者と生産者と仲介者の、すべての視点に立っている村上さんだから言える話なのかなと思いました。
立場によって価値が変わるということを忘れてはならない。

冒頭の愚痴と経験のハナシどこ行った。まあ次ぐらいに回すと思います。それでは。

怒涛の一週間/春課題②/峠野颯太

先週がエッセイだったし、今回は違うものを書いてやろうと思っていましたが、この一週間、私にとって非常に重要な、これは人生のターニングポイントにちがいない、という経験をし続けましたので、引き継ぎエッセイ系になります。ごめんなさい。ですが、ちょっとだけ方式変えるんでそれで許していただければ幸い。

2月15日
ここが全ての始まり。私の終わりの、いや始まりの始まり。
いつもは笑って気楽にみてる某自己責任アニメが、とうとう私の中のタブーに触れやがった。ファンの中には考察班とか言って、制作側の思惑を超えた物語の捉え方をする輩がいるが、私は決してその立場に行くことはせず、あくまで気楽に頭を空っぽにしてみるというポジションを死守していた。だが、2月15日のこの回は、とうとう私のその足場さえも崩壊させていったのだ。
後から視聴者の感想を一通り見てみたが、多くの人が面白かった笑えたというそれまでの私とほぼ同じことを述べていたのだ。しかし、私は笑えなかった。つまらなかったわけではない、話としては良かった。それでも私は終始真顔で視聴していたのだ。
実は、この時にその理由は分からなかった。なんで面白かったのに笑えなかったのか?なんだろう、まあいいか、なんて軽く考えていた。
だが、私は後に痛感することとなる。

2月17日
友人と飲みに行った。焼肉食べ放題。お肉美味しかった。おわり。

……そんなわけがなかった。
お酒が入れば話も弾むもので、そのうちまあ恋愛というかそんな感じの話になった。「男女二人きりでいたら恋愛感情もないのにいい感じになってチューをした」という話を聞いた私は「アァン!?ふざけんなよ?マジ本当クズ、マジでありえん、いい感じって何だよ、そもそも付き合ってねえんだから拒めよ、それかそういうことしたら付き合えよ!」とちょっと悪酔いし始めて突っかかった。たぶん想像できるだろう。いつもみたいなテンション。
そんで、さらに飲んでいたら、違う友人がいいな、的なことを口にした。その瞬間私の頭の中の歯車が狂い始め、何を思ったか「私だってね〜〜!本当は〜〜!!男とイチャイチャしたいんだよ〜〜!!」とかいうヘドロみたいなクズ発言をした。酒って怖い。
「浮気はされたくないけど〜〜、浮気相手にならなってもいい♡」
「取っ替え引っ替えもなんならあり〜〜!」
そんな感じで私の本音がポンポン私の口から出航していく。ボンボヤージュ!
「いやね、付き合ってねえ男女がチュッチュすんのマジで死ね〜、とかいってるけどさあ、私がその立場になったら多分拒否れないと思うわ」
「それに色々あり得ないとか言ってるけど、全部羨ましいだけなんだよ〜〜私だってね、女なんだよ〜〜ビッチとか嫌い!って言ってるけど、本当はあたしが一番なりたいんだよ〜!!!」

記憶を失うほどに酔ってはいなかったので、鮮明に覚えている。こんなことならいっそ忘れてしまいたかった。そうしたら明日からまた「私は一途に恋愛する〜♡」とかまととぶれたのに。

帰宅してテンションが嫌な方向に上がっていた私は、Twitterを通してエーオーちゃんとちょっとやり取りをしていた。まあ私が述べたのは上記の通り(もっと柔らかい表現)のことだったけど、文字にすることで自分の中で整理が少しできた。

あぁ、私って本当はこう生きたいんだ。

なんとなく分かったような気がした。そして、染色体くんのメンヘラについてのメモを読んで、というかタイトルを見て思った。私は同時にメンヘラでもあるな、と。これは、エーオーちゃんとのやりとりの中で気づいたことでもあるのだけれど。散々スタジオでも、リスカってなんですんの?とか、構ってちゃんな気がする〜〜ってほざいた。思いっきりブーメランだった。リスカは痛いからしないけど、お酒に酔うなどして気が緩んでしまうと、通常はシークレットモードの構ってちゃん精神がこんにちはしてくるのだ。もう気づいている人もいたかもしれないね、でも私はようやくここで、自身がメンヘラに値すると気づいた。病み可愛いとか、みんなが想像するようなメンヘラとは違うけど、染色体くんのを読んで色々ネットサーフィンしてたら、共感できる意見が散々メンヘラだと言われていた。自分でメンヘラと宣言するのもどうかと思うが、これは拗らせた中二病も混ざってるのだろう。でも、如何せん史上最強の酔いだったので、思考がついてこなくて
「あーもう彼氏が欲しい〜〜ッ♡遊びまくりたーいっ」
とか言いながら確か寝た。ここら辺は曖昧である。

2月18日
人生初の二日酔い。マジで五目いなりちゃんのカフェイン依存症みたいに生死を彷徨った。胃が空っぽなのに嘔吐エンドレスは本当に苦しくて仕方がなかった。途中血も吐いて、号泣しながら
「アァ死ぬんだあたし死んじゃうんだアァ」とか叫んだ。血とはいえ、嘔吐による器官の負傷が原因という軽いものだが。
そして、嘔吐と号泣を繰り返しているうちに、ふと自分の本当の欲が湧いてきた。

「処女のまま死ぬのマジで無理」

引いただろうか?大丈夫、最初自分でもドン引きだったから。あれだけ、ビッチ死ねよとか、手すら繋いでないのにそんなの無理〜〜!とか言ってた癖に、いざ自分から出てきた言葉はそれを覆す真逆の理論。え?何どうしたの?ってもう一人の私が私にキレ、天使と悪魔ごっこ(?)が私の中で突如開始された。ここからは会話文で表現します。これ結構リアルな描写。中二病拗らせてるから、温かい目で見守ってね。

天使「え?何なのどうしたの」
悪魔「え?って何可愛こぶってんだよ?お前昨日酔いながら言ったろ、ヤリてえ的なことをよ」
天使「そんなことは言ってない!」
悪魔「同じようなことだよ。なーにが私は一途で〜♡だよ、とんでもねえクソ女だな」
天使「違うもん、ほんとに一途だもん!」
悪魔「あーもうさー素直になれって。恋愛以外でもさ、お前マジでクソ女だよ知ってんのか」
天使「なにが!」
悪魔「SNSでキャピピしてる女や、男女混じって遊んでる奴とか、人生楽しんでます!的な奴らとかを叩いたりしてんじゃん?」
天使「だってあれは自己満…」
悪魔「かもしれんけどな、お前はただ羨ましいだけなの。そうやってキラキラして生きていきたいのに、無駄にプライド高いから、無駄に意地はって羨ましい気持ちを潰してる、あるいは気づいてないフリしてんだよ。それで、その自分の願望に近づこうとするわけでもなく、その願望自体を蔑むことで自分の立ち位置を守ろうとしてるだけなの。努力もできない点で、お前が見下しているキラキラ系だったり軽い女だったりはお前より随分上にいんだよ」
天使「そんなわけない!」
悪魔「いいから黙って聞け!いいか、しかもお前は危機感を抱いた時、誰かにそれを愚痴ったり相談するだろ?それで大抵の人は優しいからアドバイスくれる。なのにお前は、デモデモダッテ、とか言って無理だ無理だと逃げる。自分に合った人が、状況が来てくれないと動けない〜〜ってお前はほざく。ふざけてんのか?アドバイスを求めても、自分に言い訳するなりして保険をかけて結局何もしない。あんなあ、動かない奴に運命が訪れるわけねえし、白馬の王子様とか来るわけねえだろうが!しかもお前は自分がそう卑屈に考えているってことに気づかず、気づいたとしても見ないフリして逃げて、よくネットやらで見かける卑屈を拗らせたよう奴と比べては、自分はあいつらとは違う、違うんだと言い聞かせる。違くないから!お前奴らと一緒だから!自分の立ち位置ちゃんと見ろよ!!」
天使「うるさい!見てるもん!」
悪魔「見てねえよ!お前さ、じゃあなんで19話Bパート笑って見れなかったか分かる?メインのキャラ、自意識がライジングしてるあいつの考えが、お前と重なるだからだよ。そいつが貶される、悪として捉えられている。つまり自分が間違っている、ということを示されたからだよ。いい加減ちゃんと自分見ろって、そんで意地はるのも、見栄はるのも全部やめろ!!口で何か言う前に、自分のことを認めて、自分なりに動け!!」

とまあ長いんだけどほんとにこんな感じで頭の中で闘った。いつの間にか眠って、次に起きた時には吐き気もすっかり治っていた。だが、頭の中には、何か重たい鈍器で殴られたかのような衝撃がずっと走っており、思わず寝る寸前に頭の中でゴチャゴチャとしていた上記の状況をとりあえずスマホのメモに遺した。

2月21日
文字にして何度読み直してもずっとモヤモヤがとれなくて、それでもなんだかこれが私にとって大きな機転となる気がしていて、ちょうどこちらに遊びに来た母親に話した。口にして、ようやく、整理ができた気がする。

ああ、私、ここで変わらなきゃ多分一生卑屈に人生が終わるな。

なんだかわからないけど、20歳になって約半年が過ぎ、大学生活が残り半分となった今が、本当に私の人生の分岐点となる気がしているのだ。

本当はこんなこと自分の中で整理して、自分の中で解決すべき問題なんだろうが、今回は周りの力も借りたいと思ってあえてまとめずに、なるべく私の心の葛藤をそのままここに載せてみた次第。ここで、どうか皆の力を貸して欲しい。私が今までみたいに、卑屈になってたり、自分に言い訳してたりまあ自意識がライジングしていたら、教えて欲しいのだ。とにかく私はこのクソみたいな私から脱却したい。そしてできれば大学生のうちに彼氏を作るかして処女卒業したい。その協力(セフレとかそういうんではなく、出会いのきっかけとかなんかそういう間接的なことです)も暇だったらして欲しかったりする。

まあ、変わってやんよ!とかそういう強い宣言とまではいかないが、自分にそれなりに正直に生きると決めたってこと。

※文字数の規約はハナから守る気ありません。これはインプットしたにカウントしてもらえるでしょうか、してください。

ライブレポート①/春課題①/ネズミ

 

2月14日、バレンタイン。皆さんはどう過ごしたでしょうか。幸せに過ごした人もいれば、チョコが一個ももらえず残念な一日になった人もいるかと思います。

そんな中、僕はというとライブに行っていました。タイトルに①がついているのは、春休み中にもう一度ライブに行く予定があり、そこでもおそらく課題に書くからです。大学に入り、興味本位でライブに行ってからというもののどハマりしてしまい、今では月一のペースでライブやフェスに足を運んでいます。金が貯まらない。

さて春休みライブ第一弾となる今回、参加したのは幕張メッセで行われた「ビクターロック祭り」。これは音楽レーベルであるビクターが主催する毎年恒例のイベントです。今年のラインナップもサンボマスターやサカナクションといった有名アーティストが名を連ね、大変豪華なものでありました。

始まってみれば会場は熱気で充満。私も残っている期末課題のことなど忘れて、大いに楽しみました。ライブの何が楽しいって、そこでしか味わうことのできない雰囲気がいいんですよね。会場が一体となっている感じ。去年の夏休みのフェスで見た銀杏BOYZというバンド界のレジェンド的存在の人がMCでこう言っていました。

「音楽を無料でダウンロードできるこの時代に、こうしてお金出してチケット買って、遠くまで音楽を聞きにくるあなたたちがいるこの空間は素晴らしい」

確かにそうですよね。同じ趣味を持つ多くの人がこうも一か所に集まることってなかなかないと思うんです。そんなライブ好きの人たちがつくる雰囲気は他にはない独特さを持っています。バンドマンにとっては完全にホーム。基本的に何を言っても受け入れられます。多少つまらないことを言っても拍手。今日の出来事を述べただけで拍手。熱いセリフを言おうものなら大歓声です。今回出演していたサンボマスターのMCでも熱い言葉が飛び交ってました。

「おれはおめえらに今日も明日も生きててほしいんだ」「生まれて一番幸せになれ!」

こういう言葉を一歩距離をとって聞いていたら、くっさいセリフだなと思うだけだと思うんです。でもその場にいる人たちはそんなこと微塵も思っていません。みんな真剣な面持ちで、その言葉に感動させられています。実際、僕もその一人でした。不思議なものですね。言葉に魔力が宿るこの感じもライブの魅力の一つだと思います。

ここまでライブの魅力を自分なりに語ったつもりなんですけど、十分に言葉に表せなくてもどかしいです。一つ言えるのは実際にライブに行って、その雰囲気を体感してもらうのが一番早いということです。これからも僕のバイト代はライブへと流れていくのでしょう。

ちなみに第二弾は三月末になると思います