ほんとうの幸は、本当は非リアのためのもの

春休みも始まりましたね。ぼくは昨日サークルの合宿から戻ってきましたが、皆さん春休みをいかがお過ごしでしょうか。
先日、スタジオの後輩である柴田さん(リョウコさん)の出演する舞台を観に西東京市まで行ってきました。結論から言ってしまうと、熱量たっぷりでとても楽しい時間でした!

舞台の題目は宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』、今回はそのミュージカル。柴田さんはネリ(グスコーブドリの妹)役です。
ぼく自身、大学入学以前は全くと言っていいほど演劇に縁がなかったのですが(宝塚や劇団四季ぐらいしか観たことがありませんでした)、ここしばらくは色々なところからお誘いをいただいています。
まだまだ観劇経験も浅いため間違っていることも多いかと思いますが、ざっと感想と原作小説について思ったことを書き連ねていこうと思います。


 

まず、この『グスコーブドリの伝記』は柴田さんが所属する「劇団安for○」の旗揚げ公演でした。ぼくが行ったのは公演初日だったので、本当の意味で最初の上演を観れた形になります。
そのため、スタッフ・キャストともに演劇初参戦!というメンバーもチラホラ見られました。みんなで舞台を作り上げる、という姿勢はどこか懐かしい感覚を与えてくれます。
実際2時間にもわたる上演のあいだ、いい意味での緊張感はすこしも途切れることがなく、役者・スタッフその双方から舞台にかける気合や意気込みが伝わってきました。
この回は初公演のために音響の不調などもありましたが、そこは今後に期待です。

今回はミュージカルということでしたが、皆が歌い踊るシーンでは舞台でキーボード・バイオリン・パーカッションによる生演奏が行われたのは驚きでした。
柴田さんはプロローグからソロパートがありましたし、キャストの多くに歌のシーンが用意されています。
個人的には「おお、ホイホイ」とネリが誘拐されるシーンが一番の気に入りです。
完全に素人考えですが、たとえマイクがあってもあの声量で歌うのはなかなか難しいと思います。発声練習のたまものなのか、素直に感心してしまいました。
他にも、ダンスのシーンには品女のダンス部の女の子たちも加わり、とても華やかな舞台でした。

続いてキャラクターに関して。今回の脚本では、メインキャストに原作には登場しない2人「カザン」と「ベル」が追加されています。
「カザン」は原作でネリを連れ去る「人攫い」と共通した部分を持ちますが、その役割は大きく異なります。後述しますが、2012年に公開されたアニメ映画版での人攫いの役回りに近いかもしれません。
「ベル」は後半の中心となる「イーハトヴ火山局」に勤務する優秀な女性で、ペンネンナーム技師の助手として登場します。ブドリは彼女とロマンスを奏でることになります。
さてこの2人、どちらもキャラクターとしては素晴らしく、今回の公演単体で見ればとても魅力的です。
ただ、『グスコーブドリの伝記』という作品において必要なキャラクターだったかというと、ぼくには多少疑問が残ってしまうのです。以下、ネタバレを含みつつ作品に対する雑多な感想に移ります。

 

物語の結末において、グスコーブドリは文字通りその身を人々のために捧げます。原作小説にもある通り、そのたくさんの人々とはかつてのブドリであり、ネリであり、お父さんであり、お母さんでした。

彼はいわば「割を食う」存在ですが、自己を犠牲にすることによりその魂は救済されます。
幼少期に周りの人たちから愛された。それだけを糧に以後の過酷な人生を生き切り、ようやく自分のやってきたことが認められ、その極地として彼は命を落とすことになります。
原作小説においては、彼が命を賭して宿命と戦うべき条件がそろっています。そして命の対価として、彼は自分自身を救うことができる。
自己犠牲と評されることの多い賢治の作品ですが、そこには自己に対する陶酔と、それによって得られる救いがあります。

ただ、今回の舞台では、彼を守るものが大きすぎました。彼にとって、純粋に愛してくれる存在がいたからです。
原作におけるブドリは多くの人から感謝されたものの、具体的に一人の人間として愛されることは限られていました。『雨ニモ負ケズ』にあるように、誰でもいい存在だったのだと言えます。
極端な話、リア充じゃなかったわけです。だから、彼は命を投げ出すことに躊躇しなかった。

でも、今回の場合はブドリをかけがえのない存在として愛するひとがいました。
演劇は他のメディアに比べ、観客の内面が反映されやすい形態だと思いますが、それだけにいち観客としてブドリが命を投げ出す選択をしたのが納得いかず、愚かに見えてしましました。

もうひとりのグスコーブドリともいえる「カザン」の存在はそれに対する答えにもなり得るキャラクターでしたが、彼をもってしてもブドリの「自己犠牲」を観客に説得しきれなかったように思います。
「カザン」自体は役者さんの演技力もあり非常に魅力あふれた人物で、彼は狂言回しとしての性質も持ちます。

前述した2012年版のアニメ映画でも、原作にも登場する「人攫い」が幻想の世界において同様の役割を担いますが、そちらは上手に活かしきれなかったように感じます。
ぼくがこのアニメ映画を嫌いな理由に、この「人攫い」の扱いや演出がしっくりこなかったのが挙がります。
余談ですが、同じスタッフによる1985年のアニメ映画『銀河鉄道の夜』はまごうことなき傑作なので、もし興味があれば声をかけてください。Blu-layをお貸しします。

さて、それに対して言えば今回の「カザン」はある程度成功だとは感じました。
彼は演劇という形態においてブドリの献身、またそれに至るプロセスを観客に説明するために必要なキャラクターだったのかもしれません。
だからぼくの不満の原因はおそらく、「ベル」の存在でしょう。彼女の存在が観客に、ブドリに対して冷めた目線を与えてしまったように感じるのです。
もっとも、彼女自体は人物として魅力的で、役者さんの演技も素晴らしかった。農民の勘違いから迫害を受けたブドリをいたわるシーン、よかったです。


 

そういうわけで、宮沢賢治の作品における「ほんとうの幸」は非リアのためのものである、と半分冗談で書いてみました。
実際は「ほんとうの幸」は彼の信奉していた法華経であったり、妹への偏執的な愛情、コンプレックスなどから形成されたものであるので、もっと考察が必要です。
これに関しては今BDでまとめて視聴している2011年のアニメ『輪るピングドラム』でも触れられているので、もしかするとこちらの作品も課題に登場するかもしれません。

ずいぶん長くなってしまいました。駄文をつらつらと書いてしまいましたが、とても楽しい時間で、いい経験になりました。
またなにかあれば声をかけてください。ヒマを縫って飛んでいきます。それでは、また次回。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。