たったひとつを見せてくれ2/春課題③/エーオー

 では、前回に述べた『僕は勉強ができない』に戻ります。
 粗筋としてはこうです。17歳男子高校生の時田秀美は、成績は良くないが女性にはよくモテる。学校では問題児として扱われるが、果たして真理はどこにある?
シンプルに説明するのならば、哲学するなら魂だけになって煩わしい肉体を捨てろっていうけど、じゃあその肉体ごと哲学したらこうなるのでは? っていう作品だと思います。教師・友達・家族などの日常の発言や行動をもとに、論理と感情のバランスをうまく取りながら主人公が結論を出していきます。いやこいつフツ―に頭いいだろ、ってなる。
 さて、そんな小話の中には二つほどそれとなく“死”というトピックを組み込んだものがありました。クラスメイトが自殺をしてしまった「時差ぼけ回復」、そして祖母が倒れてしまった「僕は勉強ができる」の二つです。

「それは、大きな悲しみというより、ひとり分の空間が出来ることへの虚しさを呼び覚ます。人間そのものよりも、その人間がつくり上げていた空気の方が、ぼくの身体には馴染み深い。」(P167)

 これは病院で眠る祖父が、もし亡くなったらどうだろうと考えていた秀美の言葉です。
 物語として扱われる死は、故人に対する直接的な密度の濃い悲しみが多いように思います。でも、私が本当に経験しうる死はこういう「空間」に対する悲しみであることのほうが多いのかもしれません。
 前者の自殺をしたクラスメイトについても、秀美はたまにしゃべるくらいの仲でした。だからこそ、号泣するでもなく自殺を否定も肯定もせず、それでも穏やかな春の中で彼を悼んでいます。静かで、でも確かに力のある言葉で紡がれています。量があるのでここでは引用しませんが、ぜひ死にたくなったときはこの本を読んでみてください。
 これを読んでいるとき、今までで読んだ本の中でいちばん自殺に対する向き合い方が好きだなと私は感じていました。過剰な言葉で飾らずに自然としみこんでくるような、私でも少しは持ち運べそうな言葉。
それでも、これは私を慰める言葉であって、他の「死にたい」と思う人には届かないかもしれないのです。

 そこでやっと気づきました。
 ああ、「死にたい」という人すべてに対する、万能の言葉は存在しないんだなあと。

★「月が綺麗ですね」

 はい。夏目漱石がアイラブユーをこう訳したという説がありますね。信憑性に関してはあちこちで議論が行われていると思うのでそちらを参考にでも。ここではあくまでも話の例として使います。
 さて、「月が綺麗ですね」。他にも二葉亭四迷なら「私しんでもいいわ」とかありました。いや、多分イメージ先行で作られたやつだと思うんですけど。確かにかっこいいかもしれない。しかし、なんでも婉曲して言った方がいいというものでもない。自分が告白するときに「月が綺麗ですね」って言ったらいいということでもない。
 だってこれは仮定からすると、夏目漱石と相手との関係性から生まれた告白だから、そこのその瞬間の一回きりしか効力はないのです。つまり、「月が綺麗ですね」=「私はあなたが好き」という式を誰もが使えるわけではない
人と人との関係性はこの世でたった一つのものとなりえると私は思います。嘘か本当か分かりませんが、漱石はつねに月に興味があった・直接言って二人の仲が壊れるのを怖がった・それでも言いたかったからこの遠まわしな表現を選んだという想像ができます。だから普段から月に興味のないやつが言ったって意味がねえんだよ! お前はお前の一番の告白を選べよ! 「すこんぶおいしいね」でも「貢がせてください!」でも、もうもはや「好きです!!」でもいいんだよ! 相手との関係性において自然と生まれてきた言葉を選ぼう! 目指せオンリーワン! 

 話を戻します。つまり、「死にたい」と思っている人に対してかけるべき言葉というのも、それと同じだと思うのです。相手と自分の関係性で変わる。友達だったらその人の性質を知っているし、全くの他人だったら自分の死に対する考えを引っ張り出してこなきゃならない。
いいですか? だからもう要するに、「死にたい」という人に対するメッセージは告白と同じようなもんなんですよ! 問題は、告白には最終的にシンプルに「好き」という言葉を使えるけど、「死ぬな」という言葉は必ずしも万能ではないこと。
 みんな、死にたいと言っている人にはたった一つのあなただけの言葉で挑んであげよう!

 ここまで書いていて思ったのは「これ、要するにふつーのことじゃね?」ってことです。
確かにな! 現実で本当に仲がいい友達がそうなったら、みんな決してテンプレを使おうとはしないやさしい心を持っていると思うのだけど。
しかし、友達に死にたい~とか相談してもねえ……って感じなので、私はフィクションに救いを求めているのです。フィクションをある意味での現実だと思っている。そんな私が許せないのは、物語の中で死にたい人にテンプレ的な言葉で説得をしてしまったら、見ていた人がそれでいいのだと納得してしまうのが怖いからです。その言葉は何も私を救わないのに。万能だと思われて、関係性もクソもないただの要素だけ抽出した全くのでくの坊である「死ぬな」のテンプレを、正しいものとして扱われるのがおそろしいのです。みんなもっと考えてよ! 「いや、だって作り話じゃん」って人は言うかもしれないけど、作り話だからで済ませられる性格じゃないんだよ。そこに本気を込めなきゃ誰も救われないって思うからお話をつくってるんだよ。

参考文献
山田詠美「僕は勉強ができない」新潮文庫 1996年

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