めんへら/春課題②/YDK

めんへらの友達がたくさんいる。その子達は私よりもずっとずっとめんへらだから、私はめんへらではないと思っている。でも自分も少しはめんへらだと思っている。というか、思っていたい。めんへらではない自分に価値がないと思ってしまう。要は普通が嫌で、普通よりも良くはなれないから、マイナスの方向に自分を持っていくことで特別になっているのだと思っている。

めんへらの友達が、この前彼氏という共依存相手に振られかけて死のうとしていた。電話が来て、とると、ずっと過呼吸を繰り返して泣いていた。そのうちその、ひゅーひゅーという音が、嬌声に変わった。約20分間、延々ときゃんきゃんいっている声。何をしているかは早々に察してしまった、たぶん。機械の振動音もしていたから、たぶん。わたしはゾクゾクしていた。確かに女好きだけど、別に彼女の痴態を想像したとかではない。面白すぎて、ニヤニヤしてしまっていた。自分の中のもっと自分が、そんな彼女自身を心配するよりも、彼女がどうしてこうなってしまったのか知りたくなってしまう。めんへらのひとの人生そのものを覗いてみたくなってしまう。

いろいろあって精神科に入っていた友達がいた。2週間前にお見舞いに行った。彼女は、退院間近で、下着姿で歌を歌い、拘束され再入院になった。私はその話を聞いて、引きもしないし、恐れもしないけれど、ただ、興味深いとだけ思った。お見舞いに行ったのも、別に心配ではない。興味と関心がそうさせただけ。彼女の前ではもっともらしいことを言って、納得してくれる彼女を見て、自分を慰めているだけだ。他人に影響されやすい彼女は、わたしの軽い言葉にさえ、とても頷いて同意してくれる。「わたしの言葉なんて信じないで」そういいたくなる。

こんなわたしは、めんへらなのだろうか。そして、めんへらだから、自分のことを知りたくて、めんへらのことを知りたくなってしまうのだろうか。めんへらのひとの心の中にどうにかして入り込むことで、自分にずぶずぶとはまらせて、認めて欲しいのだろうか。自分のほうが、この子達よりマシだとか言って、心的自慰行為に勤しんでいるのか。身体を傷つけるのと、どちらがましなだろうか。

人の弱いところを見るのは、とてもたのしくて、いとしい。

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