学期中は昼夜逆転もいいとこな生活リズムでしたが、春休みに入って早寝早起きの習慣がつきました。
炊きたての白米と味噌汁に納豆、時々卵焼きか焼き鮭。朝メシちゃんと食えるっていいですね。
でも休日の朝にひとり、部屋で黙々と食事をしていても気が滅入ります。テレビでも見るか、と点けてみるとちょうど『ジュウオウジャー』という戦隊ものをやっていました。
やっぱり久しぶりにこういうの見ると懐かしいなあ……と思いかけたところで、ふと我に返りNHKにチャンネルを変えました。いや、正直小さいころからあんましこういうの見たことなかったわ。
思い返せば、戦隊ものやウルトラマンより魔女っ子アニメを見てる子供でした。
おジャ魔女とか。ドッキリどっきりドンDON。仮面ライダーとか一度も見たことないし。
特撮はもっぱらゴジラやガメラといった怪獣もので、そっちは昭和シリーズ含め全作品制覇という偏り方。オタクの片鱗は幼少期にも表れるものなんですね。
特に戦隊やウルトラマンが嫌いだったわけじゃないんです。おじいちゃんからもらった『ウルトラセブン』のVHS、『湖の秘密(エレキングがアイスラッガーでマミられるやつ)』はテープが擦り切れるほど見たし。
『おかあさんといっしょ』は欠かさず観てたので、多分生活リズムとかでしょうね。
そんな自分が珍しく見ていたのが、昆虫型3人のシリーズ『ビーファイターカブト』と『ウルトラマンティガ』でした。
うちウルトラマンとは『ダイナ』で早くもお別れすることになります。
ダイナの頭のツノ、あれダサくね?ダイナ仕様の光るこども用スニーカー持ってたけど。
コラそこ、ジェネレーションギャップとか言わない。色々と年齢的に仕方ないんだよ言わせんな恥ずかしい。
寒い自己紹介は終わったところで、ここらでひとつウルトラマンティガにまつわる思い出話をしたいと思います。
ビーファイターカブトは好きでしたが、あんまし記憶にないので。もしファンの方がいたら、ごめんなさい。
ある日、いつものようにティガを観ようとしていたときのことでした。前々からお母さんにカステラを買ってきてくれるようせがんでいた僕は、ティガといっしょにカステラを食べるのを心待ちにしていたんです。
でも、その日お母さんはカステラを買ってきてくれませんでした。僕は怒って泣いて、約束したのにひどいと言いました。
幼いころから泣くなと育てられたけど、数えられる数回のうちのひとつがこの時でした。
最初ごめんね、と言っていたお母さんも泣きわめく僕に怒ってしまい、軽く叩かれて「ムリなこともある。わかってくれないのなら、ずっとそうしてなさい」みたいなことを言われた覚えがあります。
お母さんは外へ出ていきました。僕はリビングのソファで目の前をぼやぼやにじませながらだまっていました。
二人のお兄ちゃんも遊びに行ってしまい、お父さんは今日も仕事。家には僕ひとりです。お母さんがなかなか帰ってこないので不安になりだしたところで、お母さんは帰ってきました。
ただいま、と言って台所に向かったお母さんは、皿になにかを乗せて持ってきてくれました。
泣いてたし、下を向いていたので目の前が見えなかったし、持ってきてくれたものが何だったのかその時は分かりませんでした。
ごめんね、ゆるして。そう言われて抱きしめられました。叩いてごめん。お母さんからそう言われました。いいよ、ごめんなさい。そう返して涙を拭くと、カステラがテーブルの上にありました。
ひとしきり抱きしめられたあと、カステラを食べました。ティガはもう終わっていました。カステラは美味しかったしお母さんが買ってきてくれたのは嬉しかったけど、あんまり楽しくありませんでした。
そんな遠い日の、母親との記憶です。
以来、自分がワガママを通すと人が傷つくという感覚が染み付きました。ひとを喜ばせるよりもまず傷つけないように、ひっそりと心に決めました。
泣いて駄々をこねることもなくなりましたし、反抗期もなかったように感じます。これらはすべて、おそらく幼少期に感じた罪悪感によるものだと思います。
以後現役の夏にコミケ(C80)に行ったとき、そして某私大と迷った末この大学に決めた時以外親にワガママは言っていません。
いまは特に漠然とした罪悪感もないし、罰を受けていると感じることもないのに。こどもの頃の体験って不思議ですね。
幼少期というただそれだけで、人を作ってしまう。人を変えてしまう。
でも、それが良いか悪いかは簡単には決められません。
少なくとも、僕はこれで良かったと思っています。これからもこうして生きていっていいと思っています。
さて。つい先日まで、当の両親がこちらに来ていました。
森下で深川めしを食べたり、浅草でどじょう鍋を食べたり。
食事の席にはお酒が欠かせません。熱燗を飲みながら、たくさん話をしました。
去年、はじめて両親の結婚記念日にお菓子を贈りました。両親と僕は三回りほど違うので、二人ともそろそろ還暦を迎えます。
あとどれだけ一緒にご飯を食べられるのか。祖父母も昨年をもって皆いなくなりました。
まだまだ親の脛をかじってばかりの僕ですが、いつかは親孝行できたらいいな。そう思っています。