嘘はだめだよ

前回自分で書いた記事を読み返してみて気になったことがあって、本を買ってきました。表題は『誇大自己症候群』。著者は精神科医の岡田尊司氏。
はじめに断っておきますが、症候群といっても精神医学においてこうした病名の精神疾患が存在するわけではありません。

 

この本で論じられているのは自我が承認されない/あるいは過保護・過干渉の状況下におかれたまま、固定化されてしまったケース。
すなわち、人格形成の時期において何らかの問題を抱えたまま、それを解消できずに成長した場合について、実例を挙げながら論じていく、という内容です。

 

 

前回の投稿を書き上げた時点では素直な感情を述べたつもりでしたが、自分で書いた内容にどうしても違和感を覚えてしまったのです。書いていることに間違いはないんだけど、どこか建前で塗り固めたような。
そんな時に目に留まったのが本書です。
色々と抉られそうなタイトルですが、不安を解消することを目指し、気合いを入れてトライしました。

 

それでは、さっそくですが結論から。

本書で語られていることに革新性はあまりありません。悪く言えば型にはまっている。
しかし、精神医学の観点から社会の抱えた病理を考察するという視点はとても参考になりました。
ともすれば難解にも思える精神医学も理解しやすく説明されており、その使われ方も適切です。

専門家に言わせると不満も出てくるのかもしれませんが、精神疾患について聞きかじった程度のズブの素人からすれば頷かされることの多い著作でした。
頷かされることが多い、ということはつまり、です。

 

 

筆者の主張をまとめるならば、誇大自己症候群とは

「既存の精神疾患のモデルでは測れないものの、種々の精神病的・人格障害的要素を持ち合わせつつ社会的・文化的に形成・浸透した精神病理」

で、現代社会のそこらじゅうに蔓延している病理だとしています。

 

具体的には、

①自己否定とそれを補填すべく肥大した万能感や誇大願望
②他者に対する非共感的態度
③現実感の乏しさや自己愛的な空想
④性格の二面性
⑤傷つきやすさや傷つきへの囚われ

が主な特徴です。耳が痛くなってきましたね。

 

 

本文中で、この症候群の形成要因は、正常な自尊心の発達段階においての通り道である「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」が阻害される・過干渉を受けることだと述べられています。

「誇大自己」というのは幼少期の全能感とも言うべきもので、本来ならばこれが適度に満たされつつ、適度に断念させられることによって現実的な「自尊心」や「自信」がかたちづくられていきます。
これが過度に制限されたり、逆に過度に充足されてしまうと自尊心が形成されず、成熟した後も「誇大自己」が残ってしまいます。

いっぽう「理想化された親のイマーゴ」は、親や身近な大人を尊敬すべき理想的な対象とし、手本として取り込むことです。
他者に対する適切な愛情の結び方は、理想像をつくりだし、それに近づけるよう努力したうえで、他者を尊重することにより得られるものです。
ところが、その理想像が脆くも崩れ去ってしまったり、逆に支配的すぎてしまった場合にはこのイマーゴのみが過度に膨らんだものとして残り続ける。これが幼少期の精神の発達に悪影響を与えます。

 

 

さて。自分で言うのもなんですが、僕は幼少期から比較的「いい子」だったように感じます。
ここで言う「いい子」というのは「大人にとって扱いやすい子」「聞き分けのいい子」という意味です。
でも、本書で述べられているように、その裏側には「誇大自己」の制限や「理想化された親のイマーゴ」の崩壊が確かに存在します。
「自分が欲求を満たそうとすることで他者が傷つく」「尊敬していた存在がいっぺんにただの人間に見える」こういった経験には思い当たる節がありました。ご多分に漏れず、僕自身もこの病理を抱えているのかもしれません。
すこし自分を冷静に、客観的に見る視点が与えられた気がします。

 

もっとも、僕だけでなく、世の中で非常に多くの人がこうした傾向を持っています。それだけに現代は「自己の病理の時代」とも呼ばれます。
社会やコミュニティの誰もが、突き詰めてみればパーソナリティ障害・パラノイア・躁鬱病などの要素を少なからず持ち併せています。

たとえば、かつて精神病理として扱われていた躁的防衛(悲しみや挫折に直面した際、落ち込みや不安を回避するために行われる過度に強気なふるまい)は「防衛機制の一種」としてごくごく一般的になり、全世界を包み込みました。
この件に限らず、社会にはそんな例がゴマンとあります。

 

 

こうした現状の理由として一部では、

元来の日本人が伝統的に他者のなかに自己存在を見出していた(自己存在の規定を他者に委ねていた)のに、近代になって自立を求められたことが原因なのか?

との考えも述べられていますが、精神医学や心理学による研究も未だ発展途上のため、そのメカニズムの解明には至っていないのが現状です。
でも、医学がどれだけ進歩しようが本人に治す意思がなければ治るものも治りません。

 

 

これこれこういう生い立ちがあるんですよー、だから許してねっていうんじゃない。
良いところも嫌な部分も何もかも含めて自分自身、その人の本質です。そこからは逃げられない。
自己嫌悪に甘えて、自分を慰めるのは簡単です。でもそれをどうしようもない!と開き直るのは愚の骨頂。
こうして自分のダメなところ、弱点を学ぶことによって、幸運にも気づきが与えられました。
精神病理は当人の努力により修正・改善することが可能です。せっかく与えられたチャンスなのに、見て見ぬフリをするわけにはいきません。

自分に嘘をついても、問題を自分のなかに内包化するだけです。それではなにも解決しない。そこに救いはない。

 

 

 

では、どうすればこの状態から回復することができるのか?
それは自分の殻にこもらず、傷つきに打ち克つ力を育てることだと、筆者はいいます。

尊敬すべき理想像の回復、それに向かって努力することによる自立。そのためには「対話」が不可欠だとも。
ここでいう「対話」とは他者との対話、そして自身との対話です。
他者存在を認め尊重することは、正常な自尊心の回復に非常に効果的です。

 

そして自身の対話とは、「書く」ことだと述べられていました。
自己嫌悪や自己愛的な妄想に生きるのでなく、自分自身を冷静に見つめなおすこと。そうして現実の中に自身を見出していくこと。そこから全てははじまる、と筆者は結んでいます。
なるほどまずは書かなければいけません。

 

 

さて、本書はこうして自己啓発とは別のアプローチから正常かつ健康な精神の回復を提案しています。

本文中では他の解決法として「他者のために生きること」も勧められていますが、これも自己愛的な方向性に転びかねないので参考とするのは控えさせてもらうことにしました。以前「ほんとうの幸は、本当は非リアのためのもの」と書きましたが、まんまそんな内容だったので。それではあまりにつまらない。

 


 

昨日、Amazonで好きな同人音楽家のCDの在庫が復活したので思わずポチりました。試聴したところ好みにドンピシャだったので、次回はそちらのレビューを書ければと思います。それではまた。

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