新世界より/春課題②/θn

 「遠き山に日は落ちて」という曲。これを耳にすると今でもなんとなく、あー帰らなきゃなぁみたいな気分になります。あ、タイトル聞いてどんな曲か浮かばなかった人はYouTubeとかで検索かけてみてください。多分絶対一度は触れたことがあるはずなんで。多分ですけど。で、その気分の理由は結構明確なもので、私が住んでた町では夕方の5時になるとこの「遠き山に日は落ちて」をバックに小学生へ帰宅を促す町内放送がかかっていたからなんですね。肝心の放送の方は音が大きいからか、スピーカーが悪いからか、理由はともかく音割れが激しくて何言ってるのかわかんないもんだから、曲の方ばかり耳に焼き付いていくんです。まあ中学高校と進学するに連れて町外の学校に通い始めたり、部活動で遅くなったりなんかして5時にかかるその放送は聞くことさえなくなっていくんですけども。町をおいて自分が変わっていくっていう、そういうさみしさとかは感じるひまもないままに。たまにテスト週間とかで家に早く帰ったりすると、窓の外から聞こえてくるそれに懐かしい気持ちにさせられたりして。もう5時か、って思うと同時にまだ5時なのになんて反発してた自分がずっと遠いもののように感じられます。まあ現に随分昔のものになりつつあるんですけどね。
 ところがどっこい夕方になって帰らなきゃって思うのは、なにも子供だけじゃないらしいのです。ちょうど夕方のワイドショーで特集をやってたんですね。それによると認知症の人が徘徊する理由の1つにあるそうです、帰宅願望が。ここで私達が理解しておかなければならないのはなにもそのような帰宅願望をもつのはデイサービスを受けていたり介護施設に入っている人だけでは無いということだそうで。つまり自宅で介護を受けているのにもかかわらず「家に帰りたい」と言い出し、終いには家からふらふらとどこかへ、その存在しない家を探して外に出てしまうのです。特に言語に難があったりする場合には、周りはどうして外に出ようとしているのかわからず介護の上でかなり困ってしまうとかなんとか。介護ってこんなに大変なんだよと伝えるための特集だったけれど、なんだか帰宅願望のほうに気をとられてしまったのでした。年をとっていくと一周回って子供の頃の感覚に立ち返るというけれど本当なのかもしれないな、なんて。
 と、ここまでいっておいて何なのですが私もふとした瞬間に「帰りたい」と言ってしまう時があったりします。みなさんもありませんかね?ありますよね?私たちは一体どこに帰ろうとしているんだろうなぁ。幼いころ住んでいた家か、将来自分が築いていくであろう家庭か……。いつまでもいつまでもどっかに帰りたいってそう思うならそんなに虚しいことって無いよなあなんて思ったりもしますね。生きてるうちにこの帰宅願望がかなえられることは無いのかもしれないって、そんな気がしてしまうのです。

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