「変態になりたいんです。世界中に、中指と股間をおったてるような」
言葉に反して彼は真剣で、暗闇に混ざる街灯の光と相まって濡れた子猫の寂しさを感じた。そしてアタシはワクワクしたんだ。でもそれは間違いだった。
お悩み相談室を開こう。朝食のバナナを剥いていたら、ふとそんなことを思いついた。まだ酸味のほうが勝る物体を口の中でドロドロにしながら、考える。何を?言い訳を。
(アタシは物書きだ。まだ作品はないけど。でも、物書きだ。アイデアはいくつか頭の中にある。ただ、足りない。でも足りないだけだ。ネタが必要なだけだ。なら人の悩みを聞くことはうってつけじゃないか。ああそれに悩みのある人だって、案外他人に話したらすっきりするだろう。昔から知らない人と話すことは得意だった。ウィンウィンというやつだ)
これはたまに来る発作みたいなものだ。日常から外れたくなる。自分の価値を、確かめたくなる。
コップに入れた牛乳を口に流し込む。口内の温度に温まり甘さが強くなった粘液は、味と混ざって喉をドクドクと滑り落ちる。
(バイトはどうする?もしクビになってもどうせまたすぐに見つかるだろう。今日は行っても苦しくなるだけだし、たまには息抜きも必要だ。生きていくのならば、オモシロオカシク。でないと意味がない。どうせ私は、運がいい。何とかなるさ。それにもしもの時は実家を頼ればいい。それでも駄目なら、潔く死のう。大丈夫、たぶん。教室で挙手するのと同じだ。)
何だってできると、そう思い込む。嘘じゃない、わからないだけだ。いつの間にか、胸のあたりが重い気がすることに気付いた。残った皮をゴミ箱に投げ捨て、パソコンを開く。
(まあでも、先のことを考えても意味はないだろう。だから、考えない)
大丈夫、いつものことだと切り替え、インターネットを立ち上げる。ただ、口の中の消えない甘さに少しイライラした。
それから、午前中は人生相談とか街角の占いとかを少し調べて、お昼ご飯を食べてから中古店で折り畳みの椅子と机を買って、どこでやろうかと少し歩いて駅前から少し外れた道でアタシは腰を据えた。ワードで印刷した「お悩み相談」という文字を机に貼り、さあ来いと道路を睨み付けてから、数時間。日はとっくに暮れて、人間観察にも雰囲気を味わうのも意地を張るのにも疲れてきたときに、奴はやってきた。で、冒頭に戻る。
変態になりたいんです。憧れるんです。変態に。
これでも僕は真面目に生きてきました。自分からルールを破ることはしなかったし、就職もそこそこの場所に入れました。でも、それだけ。それだけです。それしか取り柄がないんです。最近ふと、なんで生きているんだろうって。生活するうえで不自由はないんです。でも、他に何もない。今までの人生を振り返って、何もないように思えるんです。
変態になりたいんです。ただ生きる目的のためだけに生きるような。こんな僕みたいに迷うことのない。嘘みたいな変態に。もっと単純に。どうすれば、なれるのでしょうか。
「あなたには無理ですよ」アタシは言った。
「そんなことに悩んでいる時点で、あなたは生き方を変えられません。手遅れです。そういうことに必要なものは経験なんです。残念ながら、今からでは遅いでしょう。たとえ真似をしてみたとしても、あなたはすぐにまた悩むでしょう。これでいいのだろうかと。グジグジ悩み、結局嘘のままです。あなたは幸せになれないでしょう。だから、諦めてください」
結局、机と椅子はゴミ置き場に打ち捨ててアタシは帰り道についた。一人で今日は嘘みたいな日だったなと呟いて、それがいつも通りだと気づいた。口の中の何もなさが、気に障った。