結局自己満足になっちゃうんです。/オレの文章/オレオ

人柄は字に出ると人は言うけど、字体というもの自体に人柄が表れていると言われてもしっくりこない。字から見て取れるものなんて精々、字が汚いか、字が綺麗かくらいだろうと僕は心底思うし、だからどうだっていう結論に至るのはどうかと思う。真に人柄が表れるものは字体なんかではなく、その字の羅列によって作られた文章そのものではないのだろうか。言い回し、句読点の使い方、表現の仕方など、それは三原色あるいは三種の神器の如く、組み合わせによって無限の可能性が広がっているし、その文章は世界で一つ、十人十色のものとなる。これ程までに人柄を読み取れるような貴重な材料はそう無いのではないだろうか。

まぁ、その文章をどう分析してどう読み取るかってこと自体も人それぞれなのだけれども、ここでいいたいのはそうではなくて、似たような文章はあっても、全く同じような文章など真似をしようとしない限り生まれないということだ。

そんな文章だからこそ、それは筆者自身をも表す気がする。僕が思うからに、文章には書いた人自身が他人からどう見られたいかという欲望や願望が反映されているんじゃないだろうか。それこそ日記でもない限り、文章というものは大抵他人が読むことを前提に書くものである。手紙やコメント、レポートに至ってもこれは同じ。自己満足で書いたものだから、他人にどう思われようと関係ないという人間もたまにいるが、それはその自己満足を他人に理解してほしい、あるいは粋だと思われたいという願望ゆえに書いているという風に捉えることも可能である。

ちなみに僕の場合、他人を感心させられるような文章が書きたいという願望がある。それは例えば何気ない「あぁ~なるほどね」みたいな反応や、「この言い回しセンスいいな」とかとかそういう類いのものかな。些細なものでも、ちょっとした反応が欲しい。欲を言えば、ついでに自分が書いた文章で相手をクスッと笑わせたい、つまりは面白いと思われるような文章が書きたい。むしろ、こっちの方が願望的にも強いのかも知れない。だから笑ってね。更なる欲を言えば、知的な文章だなと思われたい。「ちゃんちゃらおかしい」「へそで茶が沸く」と思われることだろうが、僕の豆腐ハートが崩される前に、僕は馬鹿であると主張したい。なんたって僕はこんな何気ない文章でも3時間もかけないと書けないような凡人だからね。

つまり、僕が何が言いたいかというと

僕の文章は欲望まみれだってことだよね。

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