言葉遊びの思考回路のつもり/オレの文章/さくら

僕の文章。
スタジオで出てきた話題の中でも、「人が文章を作り上げるまでの過程が見てみたい」という話にもなったので、自分がこのスタジオに上げる文章を作るまでとか、例えばTwitterなどに渾身のネタを投稿するまでとか、そうした思考回路を自分なりに分析してみようと思う。

僕は基本的にプロットを組んだり、そうしてまるで絵を描くようにアタリから文章を書いていくような人間ではなく、たとえ形式が評論や物語であったとして、随筆のように思うままにキーボードを叩いている。自分の中でのイメージは、「自分との対話」である。友達と議論を交わし持論を他人に伝えるように、それを心の中で行いながら手に信号を伝え、文章化している。だから、言い忘れや書き忘れさえなければ、きっと聴き手/読み手は僕がどちらの形式で言語活動を行なったとしても、ほぼ同じ内容の、同じような印象を抱かせるような言葉を受け止めることになろう。

まだ、清田スタジオでそれをする機会はなかっただろうが、僕は言葉遊びが好きだ。横浜国大(YNU)を山の上(YNU)大学と言ってみたり、「おじさんけがなくてよかったね」(毛/怪我)のようなシャレだったり、そういうものである。好き、という以上、結構な脳内の容量がどこかにそうしたシャレがないか探し求めていたりする。さすがに、かつてなぞかけで一世を風靡した某ね○っち氏のような反射神経こそないものの、あれくらい機転が利くのはいいなあと感心したりもする。

自分がそのようなネタを生み出すまでの回路としては、頭の中に変換用の辞書を用意していて、その辞書と合致するような組み合わせを脳内で総当たりにマッチングする、という思考法を用いている。例えば、「よろしく」→「夜露死苦」と変換されるためには、「おどろおどろしい言葉/漢字」の辞書が脳内にあって、「し」→「死」といった具合でその文字列に合致する表現を当てはめていく。

すべてが1文字→1文字の変換ではない。同じ「し」でも、「しる」「しつ」と組み合わされば、「汁」「失」「嫉」といった漢字に置き換え可能である。こうした場合、より漢字の文字数が少ないほうが、収まりが良くクールに見えるので、どれだけ長い文字列に適応可能な辞書を持っているかどうかがセンスに直結してくる。

話を戻していこう。言葉遊びの世界は、せいぜい数十文字。1ツイートで余裕に収まる容量である。自分は、こうして1000字やそれ以上の文章を惰性で書いていくよりも、短く簡潔に、ただし濃く文章を書いていくほうが向いているのかもしれない。

とはいえ、レポート用紙数枚に亘るようなアカデミックな文章も、しっかり書けるようにしていかないとなあ。あえて、清田スタジオでは「楽をしない」文章づくりをしていったほうが、身になるんだろう。

そうして、ろくに推敲もしないまま、チラシの裏を公開していくのだった。

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