かぼちゃ/オレの文章/みくじ

急にかぼちゃが食べたくなった。鶏ひき肉と玉ねぎを透明になるまで炒めて、蒸かしたかぼちゃを出汁と醤油と砂糖で味をつけて、入れた水がとろとろになるまで煮て。米に乗せるしかない。となると味噌汁が飲みたい。わかめを入れよう。つるんとしたわかめには豆腐だ。豆腐は絹ごしがいい。細かく立方体になった絹ごし豆腐は何故にあんなにも愛くるしいのか。
などと考えながらバイトから帰ってきた訳だが財布も冷蔵庫も空っぽだった。文字に起こすとより一層かぼちゃが食べたくなる。しかし今からATMに駆け込んでもスーパーは閉まっている。仕方が無いのでかぼちゃと味噌汁は諦めて大人しく「俺の文章」について考えてみることにする。

私の描く文章は思考回路垂れ流しだだ。それは友人とのSNSでのやりとりはもちろん、レポートなどでも一旦はこうやって文章を作る。後で見返して修正することもあるがその時のテンションで書ききったものの方が自分の中でしっくり来てしまう。自己満足というかアッパー系コミュ障というか。でも、その方が考えてる過程がそのまま伝わるし、私は読者を説得するより共感されたいのでこれでいいと思っている。
特に液晶画面で文字を見る時は、紙に刷られた文字を見るより体制や場所を選ばないのだから、内容も身構えず読める方が良い。液晶画面にしか存在しない文章は鮮度が大事である。というのはたった今生まれた自論なのだが、勢いで書いた文章は勢いよく読んで欲しい。感覚で書いている文章だから直感的に伝わって欲しい。
あと、私の意見が正しいと押し付けることはしたくない。そもそも自分でも自分が正しいとは思わない。でもこの気持ちはちょっとでもわかって欲しい。という思いの元に、軽く受け止めて貰えるように、でも伝わるように、日常的な言葉を使いたいのだ。
これは一見すると嗜好の問題かもしれないが、ともすると信仰の問題でもある。正しいものが存在するか否か。私は極論を言えば正しさなんてないし、都合の良し悪しや気持ちの良し悪しくらいしかないと思っている。だから何事を書くにも正しさを掲げられずに、腑抜けたというか間の抜けた感じになっているのかもしれない。
広く公に発信される権威からの意見なら多くの人を傷つけないよう最新の注意を払うべきだが、これは一学生のブログ記事だ。内容にエッジがかかることもあるし独断と偏見込み込みである。それをアドととるかディスアドバンテージととるかは置いていおいて、そういうものだ。だからそれに適した軽さを出したい。

説得より共感って、意見はないのに分かって欲しいって何だそれ。じゃあ何で文章を書いているのか。反転して何で文章を読むのか考えたら分かったのだが、そんなの寂しいからに決まっている。人間なんだからちょっとしたことで誰かと分かり合いたい。友達とLINEするのも絵画を見るのも歌うのも本を読むのもそうだ。
人の作ったものを見ている内は人と関わっているのだから寂しくない。誰かに読んでもらうものを書く内は誰かのことを考えるのだから寂しくない。友達を作るのは得意ではないしむしろド下手くそな私だが、書き手と読み手は近くて対等な関係でありたい。いや、一方的に書いている時点でそれは破綻するかもしれないがそんな気持ちで読んで欲しい。

ということで私の文章は読み手にがんがん突っ込んでもらえるくらいのやさしい言葉で軽くぐだぐだやっていこうと思います。

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