ペンキを被った透明人間/オレの文章/五目いなり

私の身体は氷で出来ていて、周りの人には私の姿は見えないらしい。湯につかると身体はゆっくりと溶けて行くが、楽しいことをすると胸の中を冷たい風が吹き抜けて身体が凍る。好きな遊びは風呂屋の湯を埋めることで、確かに身体は少し溶けるのだが、溶け切る前に湯船を出て、すっかり冷めた湯に驚く人々の顔を見れば私の身体は元に戻るので、害はない。私は何より、人の驚いた顔や、笑った顔が好きなのだ。

誰にも見えない私は自由で、そして誰より幸福であるに違いない。私の友人たちは私と同じく人の目に触れない存在で、友人の一人である風は癇癪で起こした大嵐で木や家を薙ぎ倒そうと誰にも責め立てられることはなく、またその友人の大地は寒さに凍え揺れても人間達に見放されはしない。そしてまた私も、地面を凍らせ人を転ばせたところで誰にも怒られはしないし、冬になったら雪を降らせて子供たちを遊ばせたって、誰にも感謝されはしなかった。それが私が自由で、幸福な理由だった。

 

ある時私は街に出て、うっかり人前でくしゃみをした。くしゅん、と言う私のくしゃみは口から洩れるとともに冷気に変わり、丁度私の後ろを歩いていたペンキ塗りの男の足元に落ちてしまった。私のくしゃみは放っておくと周りのものを凍らせるので急いで拾おうとしたのだが、私のくしゃみはたちどころに地面を凍らせ、突然凍りついた地面の上に、ペンキ塗りの男の足が重なった。その結果どうなったかと言えば、私はペンキ塗りの男が持っていたペンキ缶の中身を、思いがけず、全身に浴びせられるように被ってしまったのである。

 

ひょんなことからペンキを被ってしまった私は突然身体に色を持ち、そして周りの人々から見られる様になった。私は自分の身体が透明であることに不満を持っていた訳ではなかったが、色とりどりのペンキはとても綺麗に見えたし、これはもしや人々の笑った顔を間近で見る良い機会かと思って、積極的に人々に近づいた。

初めはペンキまみれの私の姿に人々は驚いた様だったが、私の身体は氷で出来ていて、冬になれば雪や冷気を持ってくるのだと説明すれば、皆私のことを理解してくれたようだった。冬将軍や北風小僧と言った名前も貰い、私はペンキを被った冬の精として、国の人々に歓迎されたのである。

 

そして私がペンキを被ってから、初めての冬が来た。私は冬があまり好きではない。毎年この時期になると鼻風を引き、くしゃみがまるで止まらなくなるからだ。

私はせめて街が氷漬けにならないようにと街の隙間に隠れていたが、くしゃみは止まらず、ついに街の道や畑は凍てついた。人々は凍った地面の上で転んで怪我をし、冬の作物は皆あまりの寒さで駄目になった。

冬が寒いのは毎年のことであり、私はそれについて一切の疑問を持たなかったし、きっと街の人々もそうだったのだろうと思う。けれどもあるとき、私が町の隅でくしゃみをしていると、そこにやってきた一人の男が私のことを睨みながら言った。

「お前のせいで、街が駄目になった」

私は耳を疑った。冬に道が凍るのは当然で、作物が駄目になるのも当然だ。今まで誰もそのことについて怒ったり責めたりしなかったのに、何故いきなり。

男の怒りを含んだ声は更に多くの人を呼び、いつの間にかに私が隠れていた町の隅には、街中の人が集まっていた。お前のせいだ、お前のせいだ、と責め立てられて、私は戸惑うことしかできない。ついには石を投げられて、ペンキの下の氷の身体にひびが入る。私はこらえ切れなくなって、その場から逃げ出した。

 

思うに私は、見えないことで許されていたのだろう。目に見えない、あるいは言葉が届かないものを人間は許すことが出来るのに、何故目に映り、声が届くものを許すことが出来ないのだろうか。私はペンキに塗れた己の身体を、初めて汚い思った。

私はどうにかしてペンキを落とそうと考えたが、ペンキは水で洗ったところで落ちないし、専用の道具もすぐには手に入りそうにない。けれども私はどうしても、もう一度目に見えない、言葉の届かないと思われている存在に戻りたかった。そうであれば、きっとまた人の笑顔を美しいと思える様になるのだから。

 

考えた末、私は以前いたずらによく使った風呂屋へとやってきていた。ペンキを被った後はこんな見えないいたずらよりも面白いことがたくさんあってしばらくの間はきていなかったが、雰囲気は何も変わっていない。

私は番台で昼寝をしている店番を起こさない様に風呂場に向かい、己の身体を湯船に浸した。ペンキとペンキの隙間から、私の身体が溶けだしていく。ゆっくりと身体が溶けて行く感覚は次第に薄れて行き、きっとこのまま私は溶け切り、そしてもう二度と氷の身体も、ペンキまみれの身体も持つことはないのだろうと理解した。

けれどそれでいいのかもしれない。少なくともペンキを被ったままで居続けるよりは、ずっと楽だ。私はペンキを脱ぎ捨て水となりゆく自分の身体を、誇らしく思いながら―――

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