半堕落的文章/オレの文章/温帯魚

 まず始めに。言葉というものが他人から教わるものである以上、手前の文章は誰かの模倣である。ついでに言うなら思想とか嗜好とかも、てのがテーマを聞いて思ったことでした。真面目。でも模倣である以上手前が手前であるということに文章の価値を求めてはいけない。
 もちろんだから個人の文章なんてものはない、というのは少々考えなしだとは思いますが。食材を構成する元素なんて大体似通っているけど、でもピザが好きな人もいればケバブが好きな人もいるでしょう。否定する奴は炭でも食っとけ。若干分かりにくい。
 人が経験してきたことはそれぞれなのだから、嗜好、つまり幸福もそれに伴う目的も人それぞれ。とはいえど手前の経験がへなちょこであることは自明であり、文章を書くたびに辛くなることでもあります。ならば手前の文章がするべきことは模倣への挑戦であり経験の獲得である、が一つ目のオチ。

 二つ目。言葉の目的はコミュニケーションである、転じて言葉はコミュニケーションの道具であるということ。もちろん日記やメモを書くことで記憶を定着させるとかもあるのでしょうが。まあ大体の言葉は誰かとコミュニケーションをとるために使われていると言って問題ないでしょう。むしろ日記やメモも変化する自分に対するコミュニケーションであるとも言えるかもしれません。
 言葉は道具であり、つまりどう振るわれるかに我々の腕がかかっているのです。先ほども書きましたが、目的も幸福も人それぞれ。その言葉が他人に(あるいは自分に)いかに浸透し反射するのか、そこまで考えられることができれば理想、まあできる気がさらさらしませんが。しかし自慰にしろ伝達にしろそれで幸福になるのならばそれでいいんじゃないでしょうか。駄目?
 そもそも事象なんてものは言葉でどうとでも言えることであります。真実はいつも一つでも解釈は人それぞれ。好きなように言えばいいし好きなように生きればいい、が二つ目のオチ。わぁ哲学。

 さてはて、今まで手前がスタジオに投稿してきたものを改めて読むと、間違わないことに固執しているように思えました。だから単純で深みがないのでしょう。今度エログロとか書いてみたいですね。この文が浅い。でも手前別にマゾじゃないしいいやあ。
 試しに一人称を変なの(個人的にはかっこいいと思っている)にしてみました。一度口で言ってみたいですね、手前。
 それでは手前の話はここらでお開きにさせていただきます。ちゃんちゃん。

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