誰!?/オレの文章/リョウコ

私は、常に二つの自分に両手を引っ張られている。
 一人は、自分に酔い過ぎて、等身大の現実が何も見えていない、「陽」の自分。もう一人は、自分に自信が無く、加害妄想が激しい「隠」の自分。
 人と対話する際、ほとんどどちらかのモードの私だ。
 自分を少しでも大きい、よい物に見せようと言葉を繰る「陽」と、相手が不快に思わないように、場の雰囲気を乱さないようにと必死で言葉を探す「隠」の私。
 もちろんそれは内面の話であって、このシャバで20年近く生きる私は外面というものを身に着けており、外への対応は分かりやすく顔に出ることは無い。筈である。
 しかし、文章を書くのはこの二人とは全く違うワタシだ。
 「陽と隠」が出てくるのは自分ではない誰かが傍にいるときであり、この二人は私のセルフイメージを崩さないよう一生懸命だ。
 故に、現実の、ここにある私の身体を離れて、全く別の次元で冷静に物事を考えることができない。
 テーマに沿った文章のネタを探し、自分の中での主題を固め、構成を練り、適当な言葉を用いて文を書き出す。
 このノーマルな工程が、陽と隠の私にはその取っ掛かりすら全く想像できない位に難しく思われる。
 では、文章を書くワタシとは一体何なのか。
 実は、私にもそれが良く分からない。
 一つ一つの単語が組み合わさり、画面に書き出されているときの記憶がほとんど無いのだ。
 ネタを考え、調べ、主題を決めプロットを書き出す辺りまでは、書き終わった後もちゃんと覚えている。
 思いついたプロットを眺め、ああでもないこうでもないと書き足したり線を引っ張ったり、云々唸りながら新しい紙に別のものを書き出してみたり……。
 0から0.1を生み出す最もしんどい作業は生み出す前も後も、しっかり覚えている。
 しかし、文章の場合は違うのだ。
 難産の末生まれたプロットを脇に置き、パソコンの前に座りワードを起動させる。
 打つ前にプロットをじっと見つめ、まずはスペースキーを叩く。
 そして気づいたら一行目が生まれ、二行目が生まれ、一段落分の文章が書きあがっている。
 何かを考えながらキーボードを弾いた訳ではない。あ、と思った時にはそこに1500字の文字の塊が出来上がっている。
 スタジオ生でない友人から、文章を書くとき何を考えているのか、とよく聞かれる。
 参考になることは何も言えないよ、と答える。
私は、何も考えていない、というか、覚えていないのだから。答えようがないのだ。
 文章を書くワタシが、私の何処の部分なのか、一体誰なのか。
 文章を書き続けていけば、分かるのだろうか。

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