言葉のボクシングでいいんじゃない/俺のスタジオ/さくら

清田スタジオ。前回のWSでは、それぞれが抱えていたスタジオへの不満というか、自分の理想像というか、思うところがいい感じにぶつかったように見えた。結論からいくと、僕は前回のように議論の生まれるWSが楽しいと感じている。

このあたりは実際にWSで述べた部分もあるので、ある程度割愛したほうがいいかもしれないが、とりあえず、自分の論を1から述べていこうと思う。

まず第1に、このスタジオは「編集批評スタジオ」と名乗っている。名乗っている以上、編集と批評をすべきじゃないか?

僕はこれまで、少し部外者感を持っていて、スタジオ運営の根本への言及は避けてきたところであるが、自分が書いていきたい文章は、もっと説明的で、論理的な文章だ。スタジオの課題として1つの議題を提起して、思うところを書き綴る。そして、同じ意見違う意見が集まってお互いの論の瑕疵を指摘して殴り合う。このスタジオで、よく叩き合って滅ぼせみたいな(そこまで言ってないか)話を耳にするが、そういったことをスタジオでやっていくのであれば、こうして意見のぶつかり合いになるような議題設定から考えるべきじゃなかろうか。

別に物語形式を否定はしない。歴史を辿れば、物語の持つメッセージ性が評価された作品だっていくらでも見つかるからだ。ある種自己啓発的な側面を持つ「星の王子さま」とか、当時の労働環境を如実に描いた「蟹工船」など。議題に対して、物語形式にすることで例えばより一人称的な視点からメッセージを投げかけたり、また主人公にメッセージを託すことで背景にある作者=論者の存在を隠したりなど、論説文ではできない方向からアプローチもできるのではないか。いわば、「プロパガンダ文学」といったところか。

コメント制度もそうだ。1本ブーメランを投げつつ言わせてもらうが、たいていの文章は正直コメントに困る。これは、おもしろいつまらないの話ではない。言ってしまえば、「ウチはウチ、ヨソはヨソ」という言葉で片付いてしまうからだ。しいて文句を言うにしても、それは個人の文章の好き嫌いに過ぎないだろうし(たまたま私には合わない文章だったとまでしか言いようがない)、後はと言えば内容に直接関係ない誤字脱字の指摘だとか、死ぬほど漠然とした「淡々だ、平坦だ」というコメントの応酬(つまんない文章で悪いね、でもそれじゃ改善点出ないのよ)で、みんなからのフィードバックがある、という事実だけがあって、文章力の向上に一役買ったとまではそこまで思えない。

最後に。これは半分被害妄想かもしれないが…個々の意見への批判と作者自体への人格批判をどうか混同しないでいただきたい。「日本人は、反論されることに弱い」とどこかで聞いたことがあって、それはつまり、ある意見に対して反対の意見をぶつけることは、論そのものではなく相対する論者自体に対して喧嘩を売る行為とみなされる風潮がある、ということだと思う。例えば、悩んでいる友達に、こうするといいよとか勧めることはタブー視されて、ただただ相槌を打つのが正しいと考えられているようなことである。

日本人気質は嫌いではない。だが、議論するなら、好きな人の意見に反対したり、嫌いな人の言うことに賛同する場面だって出てくるのは当たり前である。「喧嘩するほど仲がいい」とか「雨降って地固まる」とか、そんな諺だって日本にはあるのだ。議論の間はああだこうだ言い合って言い争って、そして言いたいことはすべて言い切って、最後にはお互いのモヤモヤが晴れて握手して終わるくらいでいいと思う。

なんかスポ根みたいだ。あんまそういうの好きじゃないんだけどなあ。

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