乾く、減らす/俺のスタジオ/猫背脱却物語

スタジオは乾いていた。潤いを求めれば求めるほど、乾いているということを突きつけられた。わずかな唾を飲み込もうとして、水気のない喉がはりつくあの柔い痛みを思い出した。

まだ二回しかここにいない私が現場を見て思うのはこんな感じのこと。今の状態が良くないとして、何をどうすればいいのかを追い求めるべく議論していく時間で、より殺伐としていく感じ。考えすぎかもしれ無いけど。
そもそもコメントの有無とか、言い訳タイムの意義とか、顔合わせるのが好きだとかどうとか、経験値の観点から口を挟みづらい状況で、どうしたらいいかわからない。(あ、皆さんと仲良くなりたいです。新参者ですが、よろしく。)議論の時間の中から、新しいアイディアは無限に出てくる。その湧いて出てくるアイディアは加える試みと引く試みに二分される。今あるものをカスタマイズして改良するのが前者、今あるものをシンプル化させて改良するのが後者というイメージ。なんとなくだけど、後者の方がかっこよく見える。新たにマイナーチェンジを加えていくよりも、合理化していく方が革新的でスマートに感じるのだ。改良の仕方は多種思いつけど、どれも「やめるよりも改良していい方向に導こう!」という一括りの意見にもされうる。そして二つの試みがぶつかる。皆スタジオをいいものにしたくて、万人が納得いくだろうと思う試みを出しても、相容れないものは相容れない。議論は白熱する。意見がぶつかり合う。結論はなかなか出ない。時間が来る。これが新しいスタジオを産むための苦しみなのだろう。ただ、そこに「乾いた」という印象を抱かざるを得なかったのも事実である。

二郎系が好きだ。
いや男の趣味があってですね…というワケではなく、そういうラーメンのスタイルがあるのだ。細かい説明は省くが、特徴として「野菜・ニンニク・脂・味の濃さの量といったトッピングを好きなように調節できる」というのが大きい。
ラーメンを注文するときに「野菜マシマシニンニクマシで」みたいにオーダーを通す。増量したいものは段階別に増量できる。

ただこの前入った二郎系のお店は違った。全て「少なめ」の選択肢しかなかった。調べるとこによれば、最初からトッピングが他店の大盛りくらいあるそうだ。だから減らすか否かで量の増減を決める。こういうパターンもあるのか。

これでいいんじゃないだろうか、スタジオも。環境は今まで同様に整えておき、その環境に対して必要がないと思ったらその人個人が「減らす」。今のコメント、言い訳、そもそもの出席に対し、必要ないと思ったらその旨を提示して、それらをしない。これなら現状の状態を必要と思う人は変える必要はないし、必要ないと思う人は変えればいい。このスタジオは「文章を書く」という同じ方向を向いている人々の集まりだが、そのベクトルの大きさは割と様々であるように感じる。それなら個々人が取捨選択できるようにしたらどうだろうか。必要な人だけ、「減らす」。一番皆が納得できるような仕組みだ、と、(校正中に不安を覚えながらも)強く思うんだけれど。

あ、あと、このシステムならスタジオ全体の仕組みを揺るがすのではなくぜひもっと華麗な個人プレーでその思いを結実できると思う。個人単位で「減らす」ことが可能になれば、その発展系として個人プレーも許されるのではないか(その判断が誰に委ねられているかなどは、私はまだよく分かっていません)。何種類もテーマを変えて文章が書けるなら、そのエネルギーを単位を求める他のアクションに還元できたりするだろうし。

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