私と都合と思惑と/俺のスタジオ/Gioru

そもそもこのスタジオって何をするところなの?

1年の時に、このスタジオに所属してしばらくたって、何度か考えたことがある。

他のスタジオにも所属していた私から見て、また他のスタジオに所属している友人からの話によって、このスタジオで明らかに他と違う所があるのを知る。

それが冒頭のこれである。具体的な目標が共通認識の中に存在しない。

 

それでは、私は何故このスタジオに所属したのだろうか? 当時、どんなことを思っていたのか振り返ってみる。

①編集者に興味を持つ

②編集・批評スタジオ? なにそれ

③人文祭のときに少し覗く

④自分の考えと相手の考えをぶつけて、議論をするのかな(そう見えた)

⑤他者がどんなことを考えているのか知るのって面白そう!

⑥所属

 

始まりと結論に至ったときの感情がまるで違うような気がする。

無理やり自分の感情をまとめれば、どっちも興味があるのである。

自分の考えを発信してみたい気持ちはもちろんある。しかし、それはあくまで私個人の偏見に基づくもので、それらが全てであることはあり得ない、と私は考えている。

それならば他者の考えも発信するべきであり、それが行われているこのスタジオに興味を持ったのではないか。

自分が考えもしなかったことを考えている、そんな人はどのようなことをしたいのか。興味が湧いてくる。

今回の議論であったってそうである。

私にとってのスタジオとは何なのか、今後どうするのか、それについて話し合おうとしている。言ってしまえば、方針が決まっていないこのスタジオを、いかに自分好みのスタジオに持って行こうか、というのを話し合おうとしているのではないか。

ちょっと考えただけでも面白そうである。流されるままに行こうとしている人ももちろんいるだろうし(自分自身も、否定しきれない)、前回のように積極的に変えよう(?)としている人もいる。それぞれの思惑が混じっているこのスタジオは、見ているだけでも中々面白い。

 

具体的な目標が決まっていなかったのだから、個人で勝手に決めてもいい。そう思った私は、このスタジオを自分の書く技術の向上、知識の吸収、他者の考え方を知る、人間観察の場として使ってきていたようだ。他にも何か考えているのかもしれない、私の書く文章が他人に受け入れられるのか、とか。

 

とにかく、今のスタジオの状況は私にとってだけ言えば、非常に都合の良い場になっている。このスタジオの形態が多少変化したとしても、今の私の目的からすれば、あまり関係のないことではある。ただ、直接人の顔を見られなくなるとすれば、観察という意味では難しいかもしれない。まぁ、文字列だけ見て考察するのも悪くはないのだが。

 

さて、自分にとって都合のよいスタジオ、もとい理想のスタジオとは意見が乱れている場である。一つの目標に向かっていくとしても、そこまでの間に何かごちゃごちゃとした思惑があれば、私にとっては問題ない。目標があったほうが、これから何をすればいいのか、と考える点では、非常にやりやすいのは間違いないから。

テーマを決めて、それについて論じていく、意見を戦わせるというのも面白そうである。それこそ私の思惑としては願ったりかなったりのようである。テーマによってはそれができなくなるのが辛いものではあるが。そういう意味では、改善点は多々あるみたいだ。

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