Sunday Sunset Studio/俺のスタジオ/ノルニル

     待ち受け画面に浮かぶ、小さな窓のぎりぎりな点滅。充電ケーブルを取り出して、コンセントにつなぐ。ふと横を見れば、制服姿の男女が脇目もふらず問題集に取り組んでいた。中学生くらいだろうか。ぼんやり眺めていると、男の子がページをめくる際に目が合った。まっすぐなまなざしに何もかもが見透かされる気がして、すぐさま目を伏せる。

     特に代わり映えのしない日々のなかで、だんだん悪くなるケータイの電池の保ちだけが、過ぎ去った時間の存在を証明してくれる。入学式の前日、初めてケータイを買ってもらったその日から数えてとっくに2年の縛りは過ぎていたが、新しい機種に変える気はなかった。いまの自分に、そんな資格あるわけなかった。

 

 

     夏期講習が終わってしばらく経った朝、いつものように予備校への通い道。吸い込まれるように、最寄り駅に併設された市立図書館の分室へ立ち入って、それからもう2ヶ月になる。勉強は家に帰ってFM802を聴きながらしたけれど、ここではしなかった。手塚マンガにジョジョ、スプリガン。暇つぶしに手当たり次第制覇して、とうとう読むマンガもなくなった。
     名前ばかりの『夏休み』が明けても変わらないメンツ。校舎までやってきても寝ているだけの生徒。200人を超す大講義。うわさ話や陰口の応酬。そんな中に埋もれて、同じものになるのが怖かった。ありがちで、でもそれこそがかけがえのない罠だと気づかないまま、縋れるだけの足がかりを必死に探していた。

 

 

     平日昼間の図書館には、普段目にすることのない透明な人々が集う。どう考えても無職の陰気な男性や、学校にいるはずの小学生。喚き続ける老人、たまに浮浪者。そんな中、浪人生の自分はまぎれもなくクズの一角を成していた。手洗い場へ来れば、「×野×康 ほんもってトイレはいるな お前が3ばん目のへやでなにしとるか知っとるぞ!次来たら*す」といった意味不明かつ過激な文句が個室の壁に刻み込まれている。その字はとても乱雑で不器用で、否が応でもここが底辺の溜まり場だということを改めて認識させる。
     でも。それでもどうか、夢を見失ったものだなんて言わないで。自分ひとりでこの人生どうにかできるなんて、これっぽっちも考えちゃいないんだ。そんな願いだけを、ちっぽけな心に留めていた。

 

 

 

     ケータイが震え、机から落ちた。ネズミのしっぽのように伸びきったケーブルがだらしなく垂れ下がる。周りの多くはスマートフォンに移行したため、メールが届くのは珍しい。ケーブルを手繰り寄せて画面を開いてみると、母親からだった。

     父親のコートからレシートが出てきた。記された日付は、出張に行っていたはずの一日で。今から単身赴任先に行く。

 

     青白く光る液晶に映し出された、無機質な文字に目がかすむ。胸のなかが泡で埋め尽くされて、息ができない。回らない頭をぶんぶんと揺らし、母親と最寄り駅で合流することにした。どこか自分を斜め上から見下ろしているような感覚。思考の天秤は目の前に訪れた状況に向き合うことよりもむしろ、いかに予備校から飛んで帰ってきたように見せかけるか、ということの方に傾いていた。

     ああ、これからきっと融けた雪がそこらじゅうにべちゃべちゃと散らばる、北の地へと向かうことになるのだろう。特急にこんな形で乗りたくはなかった。空想のなかの列車は切り取られたフレームのなかで、車輪だけが大きい。がたがたと音を立てて震えたのは、果たして軋んだ車輪か、それとも自分のからだだったか。

 

 

 

     初めてのことが多すぎた。神などおらず、ただ人間がそこにいるだけであること。大人が本当にキレた姿を見た。兄が誰よりも父親を尊敬していたこと、その落胆を知った。擁護に回った祖母と、本音で語り合った。自分の、ひとりだけの意見を持つことを迫られた。

 

 

     そして。紆余曲折の果てに新たなスタートを切って、自分はここに立っている。だけど。
    予備校に戻ってはじめての模試の帰り道、慣れない喫茶店で背伸びしてコーヒーを注文した。湯気がゆらゆらと立ちのぼり、その微かな隙間からいつか聴いたFMが流れてくる。電波の調子が悪いのか、すこし聞き取りづらい。だから耳を傾けて、心のアンテナを伸ばす。
     「サンデイ・サンセット・ステューディオ。本日はこの曲をお送りします」
     アコースティックを効かせた、イージーリスニング系のインストが流れだす。かつて寄る辺にしていた洋楽専門の番組は、聞いたことのない曲、見たことのない世界をたくさん教えてくれた。でも、それはもう自分の心には届かなくなっていたことに、いまはっきりと気がつく。傾いた日差しのなかに、乾いたノイズばかりが散らばる。

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