制度維持/俺のスタジオ/なべしま

これまでのスタジオの体制について問題点を挙げると
・コメント制度の意味がない
・やっていることについて到達点がない(目標がない)
等のスタジオとしての意義はどこにあるのか、という点に終始すると思います。
スタジオの目標を一つにするのは他のスタジオでは実際に行われていることですし、不可能ではありません。けれどこのスタジオではそれを求めてきている人は少ないのではないでしょうか。実際、去年行われたグループ分けは本来その目標を持つために実行されました。そしてスタジオが基本的に希望者を拒まないのならば、スタジオの目標を一つに絞るというのは少し不自然であるように思います。たしかにスタジオを脱退する人は少なからずいたわけですし、目標を一つにした時にあらわれる脱退者は例年通りとも言えます。脱退者を気遣う必要はないでしょうが、それでもあらゆる人の受け皿的に人間を集めるスタジオならば、できるだけ個人の目標を尊重しつつ活動していけないだろうかと思います。
個人の目標は大きく分ければ二つになるでしょう。
・自分の文章力を磨きたい
・他人の文章を批評する力をつけたい

前者の自分の文章を磨きたい、という中には
他人の意見を求める人
他人の文章を読んで自分の糧にしたい人
文章を書いて自分の力を高めたい人
など複数います。
後者については批評文、物語文どちらについて批評するかの二種類でしょうか。
従来の制度は

テーマに沿った文章を書く
→それら文章をグループ分けし、同グループ内でコメントをつける
→授業日は作者が自分の文章を解説し(言い訳タイム)、コメントをもとに互いの文章の問題点を挙げるなどして批評し合う
→最終的にグループ内投票でグループ内1位を、それらグループ1位を全体で投票し、全体1位を決定する、全体1位の人が次回のテーマを決める
といったものでした。
この授業日の使い方に疑問が呈されたわけですが、その点に目標の違いがあらわれていたように感じます。
コメントシステムで他人の文章を批判することに意味を見出した人もいれば、それを褒め合いに終始するため無用のものとする、という人など様々ですが、それは目標を異にしていたからでしょう。

個人的には、たしかに授業日のコメントが褒め合いになるのは少し倦怠感を覚えていましたが、文章を書く、他人の文章を批評するという構造については面白かったと思っています。それは批評に重点を置く人も同様であったのではないでしょうか。それならば、ざっくりとした括りではありますが、自分の文章力を磨きたい人の選択肢を増やすのが一番手っ取り早いはずです。

制度をかえるのは一部でいいでしょう。
・グループ制度の廃止
読み手の負担は増えるため、締め切りを早 める
授業日は特にコメントの多い人間がいれば、その人を中心にグループを作り、質問形式で議論する
→投票をしようとすれば一位も決められる
→人数が割れれば好きな人のところに行く、ただしそうなればグループにする必要性が薄れる
・コメントシステムを自由化
好きな人にのみコメントする

ここに顔をあわせる利点があるのかと言われれば、たしかにないと思います。サイバースタジオについては否定するだけの根拠を見出せませんでした。
他人の作業状況を見たいというのならば、全員ツイッターのスタジオ専用アカウントを作成し、その都度頭の中を露出する意味で呟く、というのはどうでしょうか。たしかに作業方法は人それぞれですが、ツイッターならば自由度は高いはずです。それほど負担になるとも思えませんし、締め切り間際に考え始めるという事態が問題ならば、その抑制にもならないでしょうか。

 
提出が遅れたくせにブログに挙げられた文章を全部は読んでいないため、同じ内容の繰り返しになっていることでしょう。さらに言えばこの文に盛られた案、人の意見です。パクリです。劣化版の盗作です。のでこの案を考え出した方には本当にすみません。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。