嘘でなぜ悪い/嘘/リョウコ

血まみれ、汗だくで狂気的な笑みを浮かべながら、人が実際に切り合っている様をおさめたフィルムを持って走る売れない映画監督。
「やった、やったぞ!」
夜の一本道を、何処かへ向かって疾走する彼に、突然投げつけられる男の怒声。
「カーット!」
映画監督こと長谷川博己は、アスファルトに崩れ落ち、かけつけたスタッフに支えられてカメラの外へ、虚構の外へ這ってゆく。

嘘と聞いて、まず初めに浮かんだのが園子音の「地獄でなぜ悪い(2013)」のラストシーンだった。
2時間かけて綿密に作り上げた嘘を台無しにする60秒も無いであろうこのシーンに、当時の私は驚いた。
感動した。
嘘を嘘として宣言しながら、現実に生きる私たちを釘づけにする2時間10分の虚構、そして流れる映画と同名の星野源のテーマ曲。
その歌詞もまた、素敵だ。
「嘘でなにが悪いか?」

一般的に、嘘や虚偽などはわるいこととされる。
本音と建て前を使い分けて日々生きているフツーの大人たちは皆、正直や素直をよいこととして私たちに説く。
平気で思ってもいないことを語り、1の感情を何十倍にも膨れさせて相手の言葉に反応してみせるフツーの大人に、私は幼いころから辟易していた。
嘘だらけの世の中なのだから、正直や素直を説く前に嘘のつき方を教えてくれればよかったのに、とすら思う。

嘘とは素晴らしい機能だ。
嘘と、嘘の宣言は、私たちの精神の安定剤になる。
例えば、何か応えの無い問いについて語るとき。
真理とは思えないとりあえずの論を語ってみる。
その嘘は、嘘という自覚がある時点で、どこかほかに真実があるということを確信させる。
何の目的もなく穴を掘り続けることは苦痛だが、真実というお宝が眠っていると思い込めば、その作業は意味を持つ。

嘘が人を生かすときもある。
フィクションは、現実では無いからこそ、エンターテイメントとして成立する。
多数の人間が死ぬ話、幼い子が酷い目にあう話、ある人が突然人生のどん底に叩き落とされる話・・・・。
これらは、フィクションであると宣言されるからこそ私たちは安心してお茶の間で見ていられるのである。
そして人の創り出すこれらのおもしろい嘘は、現実からの逃げ道にもなる。
虚構の物語の中に、現実の自分へのヒントを見出すこともある。
平面の嘘は、私たちを現実の世界に留める効力もあるのだ。

この世は嘘でできている。
建前も、リアクションも、化粧も、フィクションも。
個人と個人の関係の潤滑油としての嘘、緩衝材としての嘘。
嘘と嘘で人間関係が成り立つ、嘘だらけの世の中である。

だから私は、今日も何食わぬ顔をして何でもない嘘をつく。
私の嘘で、人が笑う。
嘘でなぜ悪い?

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「嘘でなぜ悪い/嘘/リョウコ」への5件のフィードバック

  1. 嘘とフィクションを組み合わせる発想はとてもおもしろいと思った。所謂、皆が想像する嘘とは違って切り込みが斬新でいいなと思った。しかし、真理とは思えないとりあえずの論というのは必ずしも嘘として成り立ってはいないのではないだろうかと感じた。

  2. 作品紹介と共に、嘘についてのちょっと違う切り込み口で書かれているのは印象に残って良いと思った。
    精神安定剤としての嘘、人を生かす嘘についての例がもう少し分かりやすいものだと更に共感できるのではないかと思った。

  3. 真理とは思えない論を立てるというのは嘘ではなくただの仮説なのではないだろうか。フィクションなどは確かに嘘のカテゴリーに入るとは思うが仮説はそうではないと思う。
    嘘の全ては悪ではないが、それは嘘が嘘だとわかっているから言えることではないのか。嘘だとわからない嘘は結局人を傷つけるものだと思う。

  4. 私も最終週までにはこんな文章が書けるようになりたいと心の底から思えた。
    3段落目の「わるい」がなぜひらがななのか、4段落目「応えの無い問い」の応えがなぜ「答え」じゃないのか気になった。
    文章としても好きだし、言っている内容にも賛同でき、読んでいて気持ちが良かった。

  5. 冒頭の映画にあげられた素材と、後半のトピックが、「嘘でなぜ悪い」という言葉の上でしか繋がっていないように感じた。たぶん、掘り下げていったら繋がるのだろうけれど、その補完を読者に預けているので、作者の「私これをこう考えたらこう繋がってこうなったんだよ!」っていう道筋が分からないから、カタルシスがない。というか、この文章だけ読んだとき私のなかで納得! って感触はなかった。いい悪いではなく、読者に考えさせるか、一つの自分の論を提示するかの問題だろう。
    もちろん、これは映画について未視聴である私が、映画で扱われる「嘘でなぜ悪い」という言葉の趣旨をくみ取れないことにひっかかっていることもある。そこを掘り下げたら今度は映画のネタバレとの兼ね合いも生まれてしまうのだろう。

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